■節子への挽歌1256:突然の不安感
節子
吉田銀一郎さんは、自殺未遂サバイバーを自称しています。
実にドラマティックな人生を過ごしてきました。
私が吉田さんに会ったのは昨年の11月5日ですが、以来、毎月2回ほどお会いしています。
今日は、その吉田さんのカミングアウトぶりに感激したという、菅野さんと3人で話をしました。
個人を生きている人には、私はとても関心があります。
その人のために何かできることはないだろうか、とついつい考えてしまうのです。
吉田さんはまだ「自殺未遂」した自分の人生にこだわっています。
そのこだわりがある限り、サバイバーとはいえないと、私は辛らつに話していますが、吉田さんの話を聞くたびに、人生や家族や夫婦や仕事について考えます。
菅野さんは、まだ若い女性ですが、彼女も自分の人生を生きています。
そのせいか、実に本質的なことをはっきりというのです。
とても刺激的な2時間になりました。
吉田さんもきっと少し前に進めたと思います。
人はそれぞれ「重荷」を背負って生きています。
その重荷の中身は、自分ではなかなかわかりませんが、誰かと話し合っているとだんだん見えてきます。
そして、誰かが背負っている重荷は、実は自分も背負っていることに気づかされます。
重荷を背負い合う関係を少しずつ広げていきたい。
そう思ってはじめたのが、コムケア活動ですが、重荷を背負い合うことは、そう簡単ではありません。
すべてを背負い合ってくれた節子の存在は、いまから考えるととても大きかったのです。
節子がいた頃は、ともかくなんでもすべて背負っても大丈夫という意識がどこかにあったのです。
ふらついたら、節子という支えがあったのです。
あまり頼れるほどの支えではありませんでしたが、精神的には大きな存在でした。
その節子がいなくなったいま、あまり安直に、重荷を背負い込むことは留意しなければいけないのかもしれません。
吉田さんと話していて、急にそんな不安感が襲ってきました。
吉田さんがどうのこうのというわけではありません。
話している合間に、あれもこれもと引き受けてしまった、いろんなことが思い出されてきて、急に不安になってきてしまったのです。
この不安感は、いったい何なのでしょうか。
吉田さんたちは帰りましたが、まだ胸がドキドキしています。
奇妙な挽歌ですみません。
節子に助けを求めたい気分で、ついつい書いてしまいました。
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