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2011/02/07

■節子への挽歌1254:心理的リアクタンス

節子はよく知っていますが、私はかなりの天邪鬼です。
実のところ過剰なほど素直な面とその反対に極度の天邪鬼が、私には同居しています。
そのことを知っていた節子は私をうまく操れたはずですが、節子もまたとても素直な人でしたから、人を操ることは不得手でした。

過剰な素直な面は、たぶん私の方が上手でした。
普通の常識を持っている人ならとても信じないようなことを、私はすぐに信じてしまうことがありました。
まあ「常識がない」だけかもしれませんが、どんなこともまずは信じてしまうのです。

その反面、相手が何かを決めつけて話している時には天邪鬼の心が出てきてしまいます。
そして、自分ではまったく思ってもいなかったことを、ついつい発言してしまいます。
私に何かをやらせようと思ったら、反対のことを言えばいいのです。

あることをやろうと思っている時、反対されると、多くの人はますますそのことをやりたくなるものです。
親に結婚を反対されるとますます結婚したくなるとう話はよくききます。
私たちもいずれも、最初、親に反対されました。
だから結婚したわけではありませんが、反対されたことを実行することは若い時には楽しいものです。
最近の若者は、そういうことがしにくくなっているため、精神的な問題を起こすことが増えていると私は思っていますが、この話はまたいつか時評編に書きます。

先日、ある人に、元気になったと手紙を書いたら、それを喜んで、親は元気でなければいけないと書いてきました。
その一言で、天邪鬼が首を持ち上げ出しました。
もう元気になったなどと言うのはやめようと思いました。
元気は、今の私にはふさわしくありません。
なによりも節子が悲しむでしょう。
節子は、間違いなく、私が元気をなくしていることのほうが喜ぶはずです。
妻を亡くした父親が元気だったら子どもはどう思うでしょうか。
悲しんでいるほうが安心するでしょう。
私なら、間違いなくそうだからです。
第一、私がいないのに、元気でははしゃいでいる節子など、許せまません。

説得者の意図した方向とは逆の方向に被説得者の意見や態度が変わることを、心理学ではブーメラン効果といいますが、なぜそうなるかについては、説得されると人は自らの自由が迫害されると感じて、自由を取り戻そうとする心理的なリアクタンスが発生するのだと言われています。
よくわかります、
人は自由でありたいのです。
くよくよしていても、メソメソしていても、あるいは元気でも、それは自分の気持ちのあるがままに任せたいのです。
私は、それを「わがままな生き方」として、自分の生き方の基本に置いてきました。
節子は、それを良く知ってくれていましたし、自分でもそういう生き方をしていました。
節子もまた、わがままでした。
嘘をつかない生き方をしていたという意味です。

心理的リアクタンスは、自らのアイデンティティを守ろうとする生命現象だろうと思います。
大きな生命現象に身を任すと、人は生きやすくなるのかもしれません。
悲しいときは泣けばいい、楽しいときは笑えばいい。
元気などという、わけのわからない言葉を自分で使ったことを後悔しています。

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コメント

おはようございます。
3回目です~
元気になった…というこちらの記事内容は、よく響きます。最近、元気になったねーと言われます。亡き主人との想い出の場所に行ったと言うと、そんなのは辛いだろうによく行けるねと言われます。元気になった事と平気とは違うのにって思います。
大事な人を亡くした悲しみは、何年経っても深まります。亡くなった主人は、悲しみの移ろいを教えてくれます。激しく悲しい時も、沈静化した深い悲しみも形を変えて教えてくれます。
悲しみにも色々な形がある事を知りました。
深く心にある亡き人への想いは、自分だけの大切な心ですね。元気であっても深く~心にある想いは大事にしたいです。
佐藤さんの~嘘をつかない生き方~心に響きました…

投稿: ライム~ゆりねから変更しました。 | 2011/02/08 10:02

ライムさん
いつもありがとうございます。

>悲しみは、何年経っても深まります。

はい、そう思います。
それがなかなかわかってはもらえません。
まあ、わかってもらう必要もありませんが。

>佐藤さんの~嘘をつかない生き方~心に響きました…

正確に言うと、「嘘をつけない生き方」と言ってもいいかもしれません。
時々、嘘をつきたくなって、嘘をつくこともあるのですが、
それがすぐにわかってしまうのです。
たとえばすぐ顔に出ます。赤面したり、声が変わったりするそうです。
だからわかってしまうわけです。
それについつい自分で嘘であることを話してしまうのです。
それで、最近は意図的に嘘をつかなくなったのです。
人間の弱みは、強みにもなると言う一例ではないかと、私は思ったりしています。
はい。

投稿: 佐藤修 | 2011/02/10 18:02

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