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2011/02/20

■拡家族

今日、韓国の佐々木さんからホームページに「お祖父さんになった」という投稿がありました
それで気がついたのですが、最近、「拡家族」の話がまわりで増えています。

「核家族」ではなく、「拡家族」です。
こう言う表現を最近は時々目にしますが、私が意識したのは20年近く前のことです。
日本リサーチ総合研究所の次世代住まい方に関する研究会の委員にさせてもらった時に提案させてもらったのです。
私は以前から、「血縁」と「地縁」は隣り合わせのものであり、かなり親和性のある概念だと思っていました。
遠くの親戚より近くの他人という言葉もありますが、その言葉が示唆しているように、両者には類似性があるのです。

私がいう「拡家族」は、血縁にはこだわらないものの、寝食を共にすることにより生命のつながりを深める関係性のことです。
共同生活家族や養子関係など、そういう「家族」形態は昔からありますし、今も各地に残る連や講も含めてもいいでしょう。
そうした人のつながりに共通するのは、無防備関係と論理を超えた信頼性です。

昨日、自殺のない社会づくりネットワークの交流会がありましたが、そこである人にシェアハウスの話をしたらとても興味を持ちました。
横浜では私の知人が3世代のコレクティブハウスのプロジェクトに取り組んでいます。
私の住んでいる近くでも、血縁のない人たちのシェアハウスの建設が進んでいます。
高齢者に関わるNPOや子育てに関わるNPOの人たちから、3世代の交流の仕組みや場がほしいという話もよく聴きます。

家族の崩壊が話題になる一方で、こうした動きが広がっていることをどう考えるべきでしょうか。
イギリスの道徳哲学者アダム・ファーガスンは、「人間は、自然に共同体の成員である」と言ったそうですが、人は一人では生きられません。
過剰に原子化された昨今の生き方に、みんながおかしいと思い出したのでしょう。
しかし、その一方で、血縁家族の仕組みは壊れだしています。

家族の構成原理として血縁は重要な要素ではありますが、絶対のものではありません。
新しい家族のあり方が、求められているように思います。
それが、血縁と地縁を軸にした拡家族ではないかと思います。

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