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2011/02/15

■法もルールも時代によって変わります

八百長相撲問題は、出口のない袋小路を突き進んでいるような気がします。
発想を変えなければ、問題は解決しないでしょう。
前にも書きましたが、私はもっとおおらかに考えたらいいと思いますが、みんなの目は厳しいです。
相撲好きな人も多いでしょうか羅、本場所や工業を休むのであれば、いっそ「八百長場所」を開くのがいいと思いますが、たぶんまじめに聞いてもらえそうもありませんね。
私はかなり本気なのですが。
伊勢神宮で行われる奉納相撲は、本来、八百長相撲なのですし。

そもそも「法」は、時代によって大きく変化します。
前にも書きましたが、大切なのは「法の条文」ではなく、立法の精神や法の背景にある理念です。
大岡裁きという言葉もありますが、法は社会をスムーズに動かしていくための「方便」でしかないのです。
その方便に、呪縛されてはいけません。
法のために、相撲を壊すのは本末転倒なのです。

お金のやりとりは許せない、という人が多いようですが、私たちの生き方は「お金のやりとり」で成り立っています。
お金をもらうために、自分でも納得できない仕事をしたことがないという人はどれほどいるでしょうか。
私には、彼らを責める気は全く起きません。

今の日本の社会は「お金万能」です。
であれば、相撲界も「お金万能」が少しは許されてもいいのではないでしょうか。
それがいやなら、社会全体のお金万能の状況を変えるべきです。
もちろん私は後者の考えで、生きています。
自分の生き方で実現できないことを、若い無垢な力士に求めるような人間にはなりたくありません。

もういい加減、すべての力士を許してやったらどうでしょうか。
八百長が無かったと言い張っていた協会役員だけが潔く辞めたらいいでしょう。
一番悪いのは、そうした人たちだからです。
裁く人と裁かれる人が、まったく反対なのです。

まあよくある構図ではありますが。

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