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2011/02/19

■節子への挽歌1266:人の世の住みやすさ

昨日から今日にかけて、またたくさんの人に会いました。
人にはそれぞれの世界があり、物語があります。
しかし、そうした「自分の物語」をしっかりと生きている人はどれほどいるでしょうか。
時々、そう思うことがあります。

夏目漱石の「草枕」の出だしの文章は有名なので、多くの人が知っているでしょう。

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
今日、新聞を読んだといって、湯島の「支え合いサロン」にやってきた人がいます。
人と話すのが好きなのだそうですが、子どももいないし、人と話す機会がないというのです。
近所の交流もないし、趣味や学びの会にも参加できるものがないといいます。
つまり、居場所がないと言うのです。
まだ50代の女性です。
不思議です。
人と話すのが好きならば、道で出会った人に話しかければいいだけです。
声をかけるだけなら、智や情や意地など関係ありません。
それに、その人にはまだ元気に働いている伴侶がいます。

伴侶と離婚し、子どもたちとも疎遠になった人が、その人にアドバイスしました。
自分から動きだせば、世界は変わる、と。
その人は、一度は自殺を試みた人です。
最近、湯島のサロンに毎回やってきます。
その人は「ここに来るととても気持ちの良い時間を過ごせる」と言うのです。
人の世は、決して住みづらくなどないのです。

草枕は、先の文章のあと、こんな文章が続きます。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
詩が生まれ、画が出来るのは、住みにくさのおかげだと言うのです。
私は詩も書けず、絵も描けませんでした。
詩人にも画家にもなれない、多くの人は、要するに、さほど生きづらくはないはずなのです。
ほどほどの生きづらさは、世界を豊かにするとも言えます。
いろんな人に会っていると、そんな気がしてきます。

どこに越しても住みにくいということは、どこでも住みやすいということです。
いろんな人の話を聴いていると、自分の世界が相対化されてきます。
そして、自分の生き方も見えてくるような気がします。
だから、人に会うと元気が出てきます。
節子ほどではありませんが、だれでもが人に元気を与える存在なのです。
最近、つくづくそんな気がします。

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