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2011/02/01

■フェイク・イベント

日本ハムに入団した斎藤佑樹投手の人気がすごいです。
昨日の沖縄入りの那覇空港には1000人を越えるファンや報道陣が集まったそうです。そういう光景をテレビで流すことで、また人が集まってきます。
貧困問題や格差問題の深刻化が進む中で、どうもちぐはぐな感じがしますが、実際には両者はたぶんコインの裏表なのでしょう。
名古屋市の市長選で、河村さんが「汗を流す人が苦労し、汗を流さない人が楽をしているのはおかしいでしょう」といつも言っていますが、今の経済や政治の仕組みはそうした状況を加速させています。
そして多くの人は、それがおかしいとさえ思っていないようです。

斎藤投手の追っかけ女性たちは、自らがどういう影響を社会に与えているかをもっと認識すべきでしょう。
彼女たちが貧困を作り出す元凶だろうと、あまり論理的ではないかもしれませんが、私は考えています。

河村さんが言うように、この社会は汗をかかない人ほどお金を手に入れられるようになっている気がします。
それは悪いことではありません。
まじめに働く人はお金ではない、もっと価値のある報酬をもらえるからです。
汗をかかずに手にいれたお金は、マスコミに乗せられて消費するのがせいぜいで、その結果、生活は壊れていきます。
しかし、生活の壊れは個人の問題でとまりはしません。
汗しながら、金銭的には貧しくても、豊かな生活を送っている人たちをも巻き込んでいきます。
なぜならすべての人の生活はつながっているからです。

お金の無駄遣いがある閾値を超えると、社会の価格体系に影響を与えます。
商品の価格はその商品に内在する価値によっては決まりません。
人気が高まれば、ただの石ころだって際限なく高価になっていくのです。
その役割を担うのが、たとえば斎藤投手の追っかけ女性たちです。
すべてとはいいませんが、そんな気がします。
そうした動きが極端に進むのがバブル経済です。
実体経済とは関係なく、そこでは金銭が悪さをし始めます。
お金が人の心を壊していきます。
そしてお金がないと生きていけないと思わせてしまう社会が広がるのです。
貧困はたしかになくさないといけないとは思いますが、昨今の貧困の捉え方には違和感があります。
問題は「金銭的貧困」ではなく「貧困の条件」です。

「フェイク・イベント」とはボードリヤールの言葉だったと思いますが、
彼は、「情報のネットワークをつうじて感染する沈黙の伝染病」が実体のない出来事を創りだすと指摘します。
斎藤投手の追っかけ女性たちの映像を繰り返し見せられて、仕掛けられたフェイク・イベントのにおいを感ずるとともに、この人たちこそ貧困層ではないかと思いました。
そう思う私のほうが、よほど心が貧困だと怒られそうな気もしますが、昨今のフェイク・イベントブームにはついていけません。
生まれた時代を間違えてしまったのかもしれません。

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