■政治哲学の不在
ニュージーランド地震を受けた政府専用機派遣に関し、前原外相は、国際緊急援助隊だけでなく、「うまくタイミングが合えば、現地に行きたい(被災者の)保護者も乗ってもらうよう段取りを今している」と述べたという報道がありました。
その迅速な発言に、思わず拍手を送りたくなりましたが、どうやら法律が制約になって、実現しなそうです。
北沢防衛相も「聞いていない」と否定したそうです。
やはりわが国の法治主義の主役は人間ではなく、法律条文のようです。
私のようにリーガルマインドしか学ばなかった法学部卒業生には理解できないことです。
最近話題のハーバード大学のサンデル教授だったらどう考えるでしょうか。
「正義」を優先させるロールズはともかく、サンデルであれば、まずは関係者にとっての「善き判断」を重視するでしょう。
法律はいかようにも読み解けるものです。
前原さんはともかく、菅首相がその気になれば、前原さんの思いは実現したでしょう。
とても残念でなりません。
ロールズの正義論は、私にはとても共感できるところがあります。
自分の属性や境遇を前提に生産年齢人口図に考えることから正義論を始めるという、ロールズの「無知のベール」論は、とても共感できます。
しかし、人間にはそれぞれの「生々しい具体的な生活」があります。
ロールズの「無知のベール」論をサンデルは「負荷なき自己」論として批判していますが、それもまた実に共感できます。
私たちは、それぞれの人のつながりやさまざまな具体的状況を背負って生きているからです。
そうした具体的な重荷から自由に「正義」を生きることは、難しいです。
歳のせいか、最近はロールズよりもサンデルに共感できるようになってきました。
しかし、今回の政府専用機事件で、両者は決して矛盾しないのではないかという気がしてきました。
「無知のベール」論でも「重荷を背負った自己」論でも、今回の件で言えば、前原さんを支援できます。
そして、この問題には、私たちの税金の使い方や国民主権の本質にもつながる問題のような気がします。
テレビで報道された、サンデル教授の白熱教室の解説をされていた小林正弥さんがおっしゃっているように、政治哲学がもっと求められてきています。
政治哲学がない政治家は、状況の中で際限なく揺り動き、マスコミ情報で右往左往する、無責任な私たち国民以上に大きく揺れ動きます。
首相がころころ変わることが問題なのではなく、政治哲学の不在が問題のような気がします。
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