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2011/02/20

■節子への挽歌1267:河津桜の向こうに見える世界

節子
庭の河津桜が咲きだしました。
昨年よりも1週間ほど早いようです。

四季があることは、周りの風景を変え、意識や行動に変化を与え、生活を豊かにしてくれます。
私たちはとても恵まれた環境に暮らしていることを感謝しなければいけません。

節子がいなくなってから、しかし、そうした季節の変化や風景の変化があまり意識しなくなってきました。
節子がいなくなって、心身の感受性が弱まっているのかもしれません。
しかし、ただそれだけではないような気がします。

最近、よく思うのですが、伴侶や家族や仲間がいるということは、世界をそれだけ多角的に感じられるということかもしれません。
私の場合は、節子への依存度が高かったので、節子の不在は大きな影響を与えています。
節子がいたころの私の世界といなくなった今の私の世界は、明らかに違います。

感覚的に言えば、どうもカラフルでない気がします。
心身がブルーだからではありません。
どうも感覚的に世界の見え方、周辺の見え方が違うような気がします。
うまく説明できないのですが、生活を共にしていると、もしかすると感覚が共有され、人間の心身もホログラフィのようになるのかもしれません。
一部が欠けてしまったホログラフィのように、どうも世界がぼんやりとしか見えていないのです。
地デジのテレビとアナログテレビの違いのようです。

ところが、さらに面白いことことに気づきました。
世界がぼんやりとしか見えてこなくなると、見えないものが見えてくるような気がしてくるのです。
もしかすると、もうじき、見えないものが見えてくるかもしれません。

河津桜の花の向こうに、いろんなものが見えます。
一輪の花の向こうに、さまざまな世界が広がっているのです。
節子と一緒なら、もっとたくさんの世界が見えるはずなのですが。

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