■節子への挽歌1269:春が来ない冬
ちょっとまた悲しい話です。
日曜日の朝日新聞に、ノンフィクション作家の佐野眞一さんが「事実を丹念に掘り起こす」というタイトルで寄稿していました。
「事実を丹念に掘り起こす」ということであれば、黒岩比佐子さんだったなと思いながら、何気なく読んでいたら、最後に黒岩さんの「パンとペン」が出てきました。
この本は私のサイトでも紹介しましたが、秀作です。佐野さんはこう書いています。
「冬の時代」と呼ばれる社会主義運動弾圧の時代があった。。春が来ない冬。
幸徳秋水や大杉栄は、その受難の代表として大抵の人は知っている。
では、彼らの生活を支える「売文社」を興した堺利彦を何人が知っているだろうか。
黒岩比佐子はそこから始めて、堺の人間的魅力を余すところなく描き出した。
「パンとペン」という秀逸な題名に作者の才能の埋蔵量が垣間見える。
「冬の時代」の後に「春の時代」が到来しなかったことを歴史は語っている。
私はそれを検証するもう1冊を書かねばならない。
著者はそう宣言した直後、52歳の若さで亡くなった
こうして改めて、第三者の言葉として目にすると、さまざまなイメージが重なってしまい、一瞬、心が止まってしまいました。
これから大きな花が咲こうとしている直前に黒岩さんは逝ってしまいました。
彼女の執筆への思いを知っていたので、邪魔をしてはいけないと彼女を訪ねることもなく、そのうち、湯島にもまたぶらっと行きますという彼女の言葉にまかせていたのですが、結局、ゆっくり話をする機会もありませんでした。
湯島天神の近くのレストランで、節子と3人で食事をしたのはいつだったでしょうか。
その時の黒岩さんは、まだ暮らしそのものも大変のようでしたが、いつものように、控え目に、しかし大きな夢を語ってくれていました。
節子は、そうした黒岩さんの夢が実現するのを確信していました。
黒岩さんにも春は来なかったのか。
節子にも、私にも、春は来なかったのか。
春とは何なのか。
もしかしたら、冬こそが春なのかもしれない。
わけのわからない表現ですが、そんな気もします。
佐野さんは最後にこう書いています。
次代を嘱望されていた彼女の早すぎる死は、「冬の時代」と言われて久しいノンフィクション界に将来の希望がまた一つ消えてしまったようで、悔まれてならない。そう思います。
節子
黒岩さんと会っていますか。
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