■節子への挽歌1290:正常な生活とは
節子
電話事情が改善されたようで、いろんな人から電話が入りだしました。
お米はあるか、不自由している物はないか、みんな心配してくれます。
たしかにテレビを見ているときっと心配になるのでしょう。
しかし、私が住んでいる我孫子市は特に問題はありません。
スーパーから食材が無くなっているようですが、すぐに回復するでしょう。
ガソリンの給油が大変そうですが、まあ使わなければいいだけの話です。
計画的な停電も行われていますが、それくらいの不便はむしろ好ましいことかもしれません。
それにわが家は娘たちの意向で、かなり厳しい「節電」も行われています。
友人知人からの、ちょっと辛い連絡も入りだしました。
もちろんホッとする連絡も入ります。
電話やメール、あるいはネットの利用も、地震発生以来、控え目にしていましたが、そろそろ大丈夫かもしれないと思い、少しずつ再開しました。
福島の原発がたいへんな事故を起こしていますが、その状況はテレビを見ていてはあまりわかりません。
それもあって、ネット利用者が少ないだろうなと思う午後の時間帯を使って。ネットも利用するようにしました。
メーリングリストへの投稿も控え目に再開しました。
そうしたらいろいろと反応もあります。
やるのを忘れていた仕事も思い出しました。
それで昨日までは暇だったのですが、また忙しくなりました。
まだ電車の運行状況が不安定なので、オフィスには行っていませんが、明日にでも行ってみようかとも思います。
生活は徐々に正常化しつつあります。
と書いて、気づいたのですが、どちらが「正常な生活」なのでしょうか。
節子と違って、私が「リアル」に生きていないことに気づかされます。
節子なら、この数日が正常だったのよ、と言うでしょう。
たしかにそうに違いありません。
困ったものです。
また不正常な、あるいは不健康な、生活に戻りますか。
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