■ショック・ドクトリン
福島原発事故の発生で、すべてのニュースは覆われだしました。
地震・津波の被災さえもが、見えにくくなっています。
ましてや、それ以外の社会の動きは見えてきません。
相撲界の事件も、いまや話題にさえなりません。
しかし、実際には世の中からそうした事件が消えてわけではありません。
私の周りでも、とても個人的な問題や生活の問題なども含めて、いままでと同じように、事件や問題が起こっています。
リビアでは相変わらずの内戦が続いているでしょうし、北朝鮮の拉致問題が解決したわけでもありません。
私たちの世界が、いかにマスメディアによって形成されたものであるかがよくわかります。
私たちは虚構の世界に生きているといってもいいでしょう。
今日も知人があるメーリングリストに「ショック・ドクトリン」の話を流していました。
前にもチラッと書きましたが、大きな事件が起こるとみんながそれに目を向けている隙をねらってとんでもないことをやってしまう人がいます。
さらに、意図的にそうした大騒ぎを起こして、やりたいことを実現してしまうということもあります。
これは、国家の戦略手段のひとつです。
金銭至上主義者のミルトン・フリードマンは、「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と述べたそうですが、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインは、これを「ショック・ドクトリン」と呼び、危険な思想と警告を鳴らしています。
クラインは、急進的な市場主義改革は、そうしたショックを利用して進められたと主張しているようです。
今回の事件は人為的なものではありませんが、みんなの目が地震・津波の被災と原発事故に奪われている時に、国会で何が決められているか、いささかの不安はあります。
こういう大事件の前には、細かなことを言い出すことは勇気のいることです。
しかしどんな事件が起きようとも、私たちの生活はその事件の対処だけで終わってはいけません。
こうした時期であればこそ、改めて日常に戻って考えることが大切なのではないかと思います。
ところで、ショック・ドクトリンですが、クラインは危険な思想と言いますが、危険なのはその命題自身ではなく、危機状況を自分のために利用する人、例えばフリードマンのような人が出てくることだろうと思います。
こういう時期だからこそ、見えにくいところで、悪事をたくらんでいる人への監視を強めなければいけません。
そのために、私たちは浮き足立つのではなく、しっかりと日常も生きる必要があります。
例えば、電力が不足しているのではなく、電力消費が過剰な生き方を問い直すことが大切です。
資源のない日本は原子力に頼らないといけないなどという主張に、安直にうなずいてはいけません。
いま必要な「変革」は、高木仁三郎さんが言っていたように、「脱原発」へと変えていくことだろうと思います。
もし日本という国が存続できたらですが。
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