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2011/03/02

■入試問題ネット流出事件で考えたこと

インターネットへの入試問題流出事件が話題になっていますが、世間で言われているほど、私は腹立ちを感じません。
情報社会とはそうしたものだろうと思っているからです。
たしかに犯罪なのでしょうが、どうも実行犯を憎めずにいます。
むしろそれに対する大学側の慌てぶりに、いささかの違和感を持ちます。

私は昭和30年代に大学で学んだものですが、税法の試験の時に、六法全書の持込が自由でした。
私には当然のことでしたが、他の科目では持ち込み禁止でした。
私には納得できず、それが司法試験を諦める最初でした。
法律なんか覚えられるはずがないからです。
それほど自分を無駄遣いしたくないと思っていたのです。

語学も苦手でした。
辞書の持ち込みを認めてほしいと思っていました。
何しろ記憶力がよくないのです。
興味のあることはいくらでも覚えられますが、法律とか言葉の意味などは覚えられないのです。
一種の発達障害ではないかと思うこともあります。

ところで、この事件が報道された時に、私が思ったのは、この情報社会の時代に大学は相変わらずの試験をやっているのだなということでした。
私たちが生きるうえで、インターネットを活用して、世界中の知を活かすことは、いまやとても大切なことです。
この受験生は、素直にそれをやっただけのような気がするのです。
法律の試験に六法全書を持ち込んだり、語学の試験に辞書を持ち込んだりするのと、私には同じように思えるのです。
まだそんなレベルの試験をしているのかと、京都大学のレベルの低さに驚いたわけです。
いや京都大学の問題ではなく、日本の大学すべての話です。

情報社会は、ありふれた形式知の多寡を問うのではなく、それを活かして創造的な価値を創り出すことを試験に取り入れるべきです。
インターネットで聞いたら、10分後に答がわかるような問題に、果たしてどんな意味があるのでしょうか。
そんなことばかりやっているので、大学卒業生の知のレベルは高まらないのではないかと思います。

知の評価システムは根本から変えなければいけません。
そうしないと、相変わらず知性のない有識者が増えていくでしょう。
まあそれが日本の教育の狙いなのかもしれませんが。

今回の実行犯をかばうつもりはありませんが、この事件が問うていることをしっかりと考えるほうが大切なような気がします。

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教育時評」カテゴリの記事

コメント

私が感じていたと同じようなことが載っていて救われたような気がします。
 多くの人(若者らしい)が、本気で非難しているところを見て、今の社会を見る思いがして
残念です。

投稿: AA | 2011/03/05 11:31

AAさん、ありがとうございます。
私もやっと同じ思いの人に出会い、ホッとしました。

投稿: 佐藤修 | 2011/03/10 18:43

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