■節子への挽歌1293:逃げたい気分
節子
地震騒ぎで庭の水や利を忘れていました。
ますます庭の花は悲惨です。
家の中に取り込んでいた花もいくつか駄目になってしまいました。
何をしているわけでもありません。
むしろ睡眠時間は増えていますし、食事もきちんととっています。
疲れの原因は「無力感」かもしれません。
地震発生以来、テレビを見過ぎたのかもしれません。
人を疲れさせるのは無力感なのかもしれません。
昨日、近くの家電販売店に行きました。
いつものように、たくさんの人がいました。
地震も津波も、原発も、何もなかったように思うほどです。
しかし、買いに行った電池は一つもありませんでした。
朝、地元の若者がチャリティー野菜市を開くというので出かけてみました。
みんな張り切っていました。
売上は被災地に送るのだそうです。
前向きに取り組んでいる友人知人のメールも届きだしました。
にもかかわらず、自分の気持ちが萎えていくのを感じます。
被災関係の画面がテレビに出てくると、目を背けている自分に気づいて、罪悪感が出てきます。
電話やメール、あるいは誰かに会っている時はいいのですが、その後、どっと疲労感が襲ってきます。
逃げたい気分です。
しばらくは花の水やりに専念したいという気がします。
生活につながる生々しい情報には、もう耐力がありません。
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