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2011/03/28

■節子への挽歌1303:動けない日もあります

私が一番動けなくなったのは、たぶん節子と別れてから3か月から半年経った頃です。
信じたくない現実は、それくらいの時間がないと実感できないのです。
いまもなお完全に実感しているかといえば、残念ながらそうではありません。
おそらく未来永劫、節子との別れには納得できずにいくことでしょう。
それにそれが必ずしも間違いとも言えません。

被災地のみなさんの多くは、おそらくまだ実感はできていないのではないかという気がします。
確かに哀しいし涙は出ます。
寒さに震え上がってしまうかもしれない。
しかし、それは心身が反応しているだけでしかありません。
そして、それがおさまりだすと、魂の中の暗闇が見えてきます。
それは決してふさがりません。

見かけ上、元気になっていく心身と欠けてしまったことに気づく魂。
それは奇妙に交錯しながら、バランスを取りながら、自らを変えていきます。
自分ではなかなかコントロールできません。
こんなはずではないのにと思いながら、動けないのです。
涙も出ないのに、哀しさが襲ってくる。
元気になろうという心身を、そうした涙も出ない哀しさが引き戻す。
何もできない1日。
そうしたことが時折、起こります。

これは病気だろうか、とも思います。
しかし、おそらくそうではないでしょう。
これは健全な証拠なのです。

被災地のたくさんの方たちの、今年の秋が心配です。

節子
今日はそんなことを考えていました。
動けない時は、動けない。
4年前の夏の節子のことが心から離れません。

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