■節子への挽歌1295:自己喪失
節子
今回のような大きな津波は、平安時代にも東北で発生していたようです。
多賀城址には、その痕跡がしっかりと残っているようで、それに気づいての対策を主張していた人もいました。
十三湖のように、他にも東北の巨大津波の記憶はあるはずですが、そうした事実はなかなか意識されないのでしょう。
大地の記憶と人間の生活は、最近では必ずしもつながっていないからです。
「私とは記憶そのものだ」と書いているのは、小坂井敏晶さんです。
心理学の世界では、主体性という概念はほぼ否定されています。
この挽歌では、個別の生命体を越えた「大きな生命」について時々書いていますが、おなじことが「意識」にも言えます。
私の意識は私の物ではなく、記憶という現象を介して「大きな意識」とシェアしたものなのです。
節子の意識もまた、同じことです。
小坂井さんの表現を借りれば、「自己は記憶の沈殿物」なのです。
自己という実体があるわけではありません。
たしかに自己の肉体はありますが、意識する自己の実体はありません。
他者との様々な体験の記憶を通して、自己がうまれます。
私の場合、その共通の体験量が圧倒的に多いのが節子でした。
だから節子がいなくなったことは、自らの消失にもつながりかねなかったのです。
小坂井さんは、「他者と共有した時間をすべて取り除いたら自分自身が消失してしまう」と言っています。
そて、「だから身近な人を亡くすと、いつまでもその人の写真に語りかけたり、その人を思い出すモノを大切に取っておくのだろう」と書いています。
位牌やお墓がどんなに大事なのか、わかります。
今回の地震や津波で、瞬時にして多くの記憶を失った人は戸惑うばかりでしょう。
愛する人を失うことは、確かに悲しく辛いことです。
しかし、失ったのは愛する人たちだけではないのです。
その人を思い出すモノや風景までもが失われてしまった。
対象喪失ではなく自己喪失と言えるかもしれません。
私には被災地の風景や被災者の言葉は、辛すぎて観ていられません。
しかし、もしかしたら、あの風景は、私にとっての節子のいない今の世界の風景と同じなのかもしれません。
もしそうなら被災した人たちは、それをしっかりと心に刻み込んでおかねばいけません。
それが生きる力を与えてくれるからです。
節子の記憶が、私に生きる力を与えてくれているように。
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