■節子への挽歌1277:節子のおかげで農作業
節子
今日は農作業をしました。
こうなった理由は、もともとは節子にあるのです。
節子は、いなくなってもなお、私の生活に影響を与えています。
仕事がたまっていたので、今日は午後からそれを自宅でやっていました。
誰かが来たので出て見ると、近くの小野寺さんでした。
小野寺さんは、わが家の家庭農園の近くの一人住まいの100歳の方の家に、住みこみで、お世話されている方です。
ご本人ももう80歳近くですが、とても元気です。
わが家の荒れ果てた家庭農園にねぎを植える話を娘から聴いていたようで、いつ植えるのか、手伝いますよと言うのです。
しかし、その家庭農園は手入れもしていないので雑草で大変です。
その上、仕事も忙しいし、断りたかったのですが、小野寺さんはともかくやりたそうなのです。
それにわざわざわが家まで誘いに来てくれたのですから、断るわけにはいきません。
そこでついついじゃあ私も一緒にやりますよ、と言ってしまったのです。
不幸なことに、あいにく娘は用事があって行けなかったのです。
これがなんで節子のせいかといえば、そもそも隣家でもない小野寺さんと接点をつくったのは節子なのです。
知りあいもいない小野寺さんに、節子が声をかけたのがきっかけだったようです。
節子は、働き者が好きなのです。
小野寺さんはともかく働き者です。
節子がいなければ、決して接点は生まれなかったでしょう。
私は怠惰者ですから。
その働き者の小野寺さんと一緒に農作業するのは大変です。
私はすぐにばててしまいました。
小野寺さんは、あまりに早くばててしまった私を見て笑い出しました。
そして、もう帰ったほうがいいというのです。
お言葉に甘えて、息を切らしながら帰宅しました。
そう言えば、節子がいた頃もこんなだったなと思い出しました。
働き者と付き合うのは大変です。
後で農園を見たら、きれいにネギが植えられていました。
これで食費がだいぶ助かりそうです。
それはともかく、おかげで予定の仕事ができませんでした。
農作業は30分ほどでしたが、疲れてしまい、その後はテレビを見てしまったのです。
その後もさぼってしまいました。
週末の公開シンポジウムのコーディネーター役を引き受けているのですが、その準備もできませんでした。
さてさて、シンポジウムはどうなりますことやら。
| 固定リンク
「妻への挽歌07」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1400:世界で一番孤独な部屋には「孤独」はない(2011.07.03)
- ■節子への挽歌1399:そうだ 奈良にいこう(2011.07.02)
- ■節子への挽歌1398:消えてしまった老後(2011.07.01)
- ■節子への挽歌1397:暑い夏の夜は嫌いです(2011.06.30)
コメント