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2011/03/09

■節子への挽歌1283:病院の待ち時間

節子
今日は病院で一人で1時間待ちました。
私が一人で1時間待つというのはめずらしいです。
節子がいたら、よくがんばってね、とほめられそうです。
今回も1時間待たされたら帰ろうと思っていましたが、その5分前に呼び出されました。
予約制度の意味がないとこの病院の管理能力を疑いたくもなりますが、まあ相手が病院ですから、いろいろと事情があるのでしょう。
緊急の患者がいたのかもしれません。
自分勝手な行動は控えなければいけません。
しかし、私は「待つ」という行為が苦手です。
誰かと一緒であれば何とかなるのですが、一人だと我慢できません。

病院の待合室で、何回、節子と待ったでしょうか。
長い時には2時間も超えました。
病院で患者を待たせるという神経が、私にはわかりませんが、現実は待たないわけにはいきません。
以前も書きましたが、医師によっては「長いこと待たせてすみません」といいますが、さも当然のように何も言わずに診察を始める医師もいます。
医師も忙しく、昼食もまともに食べていない実状を知っているものとしては、そうした無駄な時間をできるだけなくしたいと思う「まじめな医師」の気持ちもわかります。
しかし、それは決して無駄な時間ではなく、医師の医学的な処置行為よりも大きな効果のある医療行為だろうと、私は思います。

また話がそれてしまいましたが、待合室で順番を待つ間、節子は何を考えていたでしょうか。
私が節子に同行せずに、娘に代わりを頼んだのは、たしか1~2回でした。
後は必ず私が同行しました。
待合室に節子を一人にしたことはありません。
と、今日まで思っていました。
しかし、そうだったのか。

私のいまの病院通いは、たいした病気ではありません。
しかし節子の場合はそうではありません。
どれほど心細く、どれほど辛かったか。
辛い手術もあったのです。
それにも、節子らしい対応をしてくれましたが、ほんとうは心細かったのではないかという気がしてきました。
いまさらそんなことを思ってどうするの、と言われそうですが、今日ふとそう思ったのです。

待合室の待ち時間を、もっともっと楽しい時間にできたのではないか。
ただ付き添えばいいというものではないのです。
もっと節子との時間を充実させるべきだった。
そこがたとえ病院の待合室であっても、節子には大事な時間だったのですから。

後で思うと、どんな時にもできることはたくさんあります。
人の愚かさは、救いようがありません。

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妻への挽歌07」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。
文中の~どれほど心細く、どれほど辛かったか~

一昨日、私が病院に行って簡単な検査の結果を聞きに行きました。
待ってる間、やはりなんだか怖かったです。その時、思いました。
主人はどれほど怖かっただろうかと。今も胸が痛みます。

人の愚かさ~なんて…節子さんは、ご主人様が傍に居るだけで心強かったん
だと思います。夫婦ってそんなものですから。一緒にいるだけで十分だったと思います。

私事ですが、たまたま私が行けなかった時、来てくれと~その日関西では珍しく大雪でした。電車も止まって車で出掛けて~事故を起こしました。けれど、後で主人の不安そうな顔を見て、夫婦一体なんだなと思いました。

傍に居てくれるだけで、節子さんは耐えられたんではないでしょうか。
その心を思うと、涙が出てきます。

今日、ふとそう思ったのです~という佐藤さん!
節子さんは、夫婦の想いを噛み締めておられるような気がします。
奥様への想いは、優しいですね。

投稿: ライム | 2011/03/11 10:30

ライムさん
コメント、読ませてもらいました。
涙がまた止まらなくなりました。
ありがとうございました。
いつになっても戻れません。
時々、「あの時」に戻ってしまいます。

投稿: 佐藤修 | 2011/03/11 13:15

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