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2011/03/22

■節子への挽歌1296:用事がなくなった後の空白

節子
地震のおかげで、生活のリズムが狂ってしまいました。
いろいろと前向きに進んでいたのですが、すべてが変わってしまいました。
この1週間、ほとんど在宅でした。
外出はしていますが、せいぜいが隣町の柏です。
そのせいか、心身ともに不調です。

先週の金曜から日曜日まで、信濃川に鮭の稚魚を放流するイベントやシンポジウムに参加するため、新潟と長野に行く予定でした。
地震が起こってしまったためにすべてが中止になってしまいました。
とても残念です。
用意した鮭の稚魚は新潟水辺の会のみなさんが放流して来てくれたそうです。

中止されたのはそれだけではありません。
企業の人たちとの合宿もNPOの集まりもまちづくり関係のミーティングも中止です。
予定がなくなることの意味に気づきました。

節子がいた時には、予定が中止されると節子との時間が増えて、むしろうれしいものでした。
しかし、いまは違います。
そうした予定がなくなると、時間がまさに空白になるのです。
そして、どうしたらいいかわからなくなるのです。
いまさら何をという気もしますが、これまでそんなことを感じたことはありませんでした。
しかし今回は、ほとんどすべて予定がなくなった上に、湯島にも行かずに在宅しつづけたせいかもしれません。
時間の使い方がわからなくなってしまいました。
被災地の人の状況やその関係でさまざまなボランティア活動が求められていることは知っているのですが、それにも本腰が入りません。
自分で能動的に動き出す気が起きないのです。

いろんな人からメールは来ます。
元気のメールとそうでないメールです。
日本全国がどうも躁と鬱に二極化しているような気もします。

私はちょっとうつ状態かもしれません。
節子がいたら、すぐに直してくれるでしょう。
しかし、いまは自分だけで解決しなければいけません。

これではいけないので、明日は湯島に出かけようと思います。
今週は恒例のオープンサロンですので、いろんな人に会えるかもしれません。
私は、人に会うと元気になれるのです。
節子もそれをよく知っていました。
しかし、最高の元気の素は節子だったのですが。

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