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2011/03/24

■節子への挽歌1298:別れ方

節子
生活はかなり正常化してきましたが、被災の深刻さは想像以上です。
死者・行方不明が2万人を超えそうです。
一番心身にこたえるのは、「別れ」を感じさせる画面です。
不思議と「死」に対してはなにも感じません。

家族との別れ、伴侶との別れ、そうしたことを感じさせる画面になると画面を変えてしまいます。
見ていられないからです。
そういうことを繰り返していて気づいたのですが、問題は「死」ではなく「別れ」です。
人生においては、「別れ方」が問題なのです。

余命が問題になる患者の家族に医師は「生き方」ではなく「死に方」だといいます。
なんと非情な言葉だろうと私は憤りを感じましたが、それは「死」という言葉が、生命的でないからです。
代わりに「別れ方」だと言われても、おそらく同じように憤りを感じたでしょうが、普段から「別れ方」は考えておかねばなりません。
もしそうしていたら、いざという時に、もう少し悔いのない生き方ができるかもしれません。
親との別れ方、子どもとの別れ方、そうしたことはだれもが日常的に考えることかもしれません。
しかし、伴侶との別れ方も、普段から考えておくべきことかもしれません。
出会いは必ず別れにつながるのですから。
そして、時に今回のように、ある日、突然やってくるかもしれないからです。

いまから考えると、私にはその考えが欠けていました。
節子にはそうした考えはあったような気もしますが、あえて私には求めませんでした。
節子は私に最後まで希望を残していてくれたのです。
最近またそんなことをよく考えます。

節子が言っていました。
明日がなくても後悔しないように、今日はしっかりと生きた、と。
それに対して、私は笑いながら、明日もあるから大丈夫だよ、などと無責任なことを言っていました。
真剣に生きていた節子に対して、なんと不誠実だったことか。

被災地の人たちのちょっとした言葉が、節子との会話を思い出させて、心を凍らせます。
生き方に誠実さが不足していました。
口惜しくて仕方がありません。
いまさら謝っても、どうにもなりませんが、位牌に向かって毎日謝罪するばかりです。

不謹慎かもしれませんが、今回の地震や津波は、私の心身のなかの風景につながっています。
だから、とても寒いのかもしれません。


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