■悪魔のささやき
入試問題のネット流出事件が相変わらず大きく報道されています。
前に書いたように、私自身は問題の所在を違うところに見ていますので、マスコミの取り上げ方には違和感があります。
残念なことは、これでまた、若者の未来がひとつ消し去られたという事実です。
悲しい話です。
思い出すのは、加賀乙彦さんの「悪魔のささやき」論です。
精神科医として東京拘置所に勤めた経験を持つ加賀さんは、その著書の中で、
「人は意識と無意識の間の、ふわふわとした心理状態にあるときに、犯罪を犯したり、自殺をしようとしたり、扇動されて一斉に同じ行動に走ってしまったりする。その実行への後押しをするのが、「自分ではない者の意志」のような力、すなわち「悪魔のささやき」である」と書いています。
そうした「悪魔のささやき」を耳にしたことがない人もいるでしょうが、私はよく耳にします。
私がこれまでそうした「ささやき」に引きずり込まれなかったのは、単に運がよかっただけだろうと思います。
ですから、今回の問題を起こした若者は、決して他人事ではないのです。
最近、熊本で起こった大学生の女児殺害事件も、動機が全くわかりません。
おそらくここでも悪魔がささやいたのでしょう。
そう考えなければ、まじめな若者がこんな事件を起こすはずがありません。
前にも書きましたが、まじめであればこそ、悪魔は入ってきやすいのです。
小坂井敏晶さんの「人が人を裁くということ」(岩波新書)はとても考えさせられた本です、
小坂井さんは、犯罪者とそうでない者とを分け隔てる何かが、各人の心の奥底にあるわけではないといいます。
そしてこう書いています。
「実際に行為に走った者には、もともと殺人者の素地があったと我々は後から信じ、またそのように本人が思い込まされるのである。人間は意志に従って行動を選び取るのではない。逆に、行動に応じた意識が後になって形成される。警察の厳しい取調べの下、犯行動機が後から作られる。また、服役生活において罪を日々反省する中で、犯行時の記憶が一つの物語としてできあがる」。犯罪や犯罪者は、行為によってではなく、処罰によって出来上がるというわけです。
以前も書きましたが、処罰された人の再犯率が多いことは、いまの裁判制度の欠陥を示唆していると思いますが、小坂井さんは
「釈放されても、前科のある者は再就職に苦労し、伴侶を見つけるのも難しい。そのような生活の困難、将来への絶望、世間への恨みが再犯へと導く。ほとんどの人間は、犯罪者の素質があったから犯罪者になるのではない。まるで単なる出来事のように、本人の意志をすり抜けて犯罪行為が生ずる。しかしそこに社会は殺意を見いだし、犯人の主体的行為と認定する。お前は自由意志で犯罪を行ったのだと社会秩序維持装置が宣言する」と書いています。
とても共感できると共に、わが身に重ねて考えると、実に恐ろしい話でもあります。
「単なる出来事のように、本人の意志をすり抜けて犯罪行為が生ずる」。
普通に暮らしていても、明日、私自身が犯罪者になっているかもしれないということです。
熊本の若者のような事件は、私には無縁であると思いたいですが、決してそうではないでしょう。
どんなに異常に見える事件であっても、自分と無縁な事件などありません。
悪魔のささやきは、相手を区別などしないでしょうから。
そうした想像力を持って、昨今起こっているさまざまな事件を考えなければいけないように思います。
ただ声高に非難し裁けばいいわけではないのです。
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