■節子への挽歌1286:挽歌どころではないほどの地震です
節子
地震の被害が次々と明らかになってきています。
その被害は驚くほどのものでした。
まだ余震があり、それもかなり大きなものもあります。
しかし、人は状況にすぐ慣れてしまうもので、余震にも慣れてしまいました。
節子の不在にはなかなか慣れないのとは大違いです。
知人のいる町が全滅とか津波に襲われたという報道が次々あるので、テレビからも目を離せません。
そのうえ、福島の原発のトラブルまで発生しました。
テレビでさえ炉心溶融の可能性を報道していますので、ますますテレビから離れられません。
知ったからといって何かできるわけではありませんが、他のことをやる気が出ません。
昨夜もずっとテレビを見ていたので、眠くて仕方がありません。
節子がいたらどうしたでしょうか。
こういう時の節子は、実に心強かったですが、私はただただテレビを見ているだけです。
壊れた置物は廊下に放置したままですし、散らかった資料もまああまりきちんとは片づけられずにいます。
節子がいたら、テレビばかり見ていないで片づけなさいよ、というでしょうが、原発が危ういのに片付けなどできるか、と言い合っていたでしょう。
しかし挽歌どころではありません。
私たちの社会がいかに危ういものであるか、思いしらされました。
その上、こういう時には頼りになる節子がいないので、困ったものです。
この地震は社会の方向を変えてしまうかもしれません。
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