« ■Never say never | トップページ | ■我孫子も被災地でした »

2011/03/17

■節子への挽歌1291:祈り

節子
原発事故はますます深刻化する一方です。

祈りの文字がネットで目につくようになりました。
もっと祈りを集めようという呼びかけもあります。
その一方で、原発現場では決死の作業が続いています。
その人たちへの祈りもしなければいけません。

祈りは通ずるのか。
節子と一緒にどれほどの祈りをしたでしょうか。
そうした祈りは、通じたのでしょうか。

祈りは、神や天へのものではありません。
自らへのものです。
祈りが通じたかどうかは、自らの考え方次第です。
そう気がついたのは、節子を見送って数年してからです。
祈りは必ず通ずるものなのです。
そう思えるようになってきました。

節子も祈り続けていました。
節子はきっと、その祈りのなかで彼岸に旅立ったのです。
祈りは、その結果とは無縁です。
祈りそのものに意味があるのです。
今回の地震や津波の被災地でも、たくさんの祈りがあったことでしょう。
テレビの報道画面から伝わってきます。

祈りましょう。
原発現場で作業している人に感謝しながら。
被災地で辛い思いをしている人に感謝しながら。
そんな気持ちでいっぱいです。
節子も、彼岸で祈ってくれているでしょう。
そんな気がします。
夢も見ます。

|

« ■Never say never | トップページ | ■我孫子も被災地でした »

妻への挽歌07」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌1291:祈り:

« ■Never say never | トップページ | ■我孫子も被災地でした »