■節子への挽歌1291:祈り
節子
原発事故はますます深刻化する一方です。
祈りの文字がネットで目につくようになりました。
もっと祈りを集めようという呼びかけもあります。
その一方で、原発現場では決死の作業が続いています。
その人たちへの祈りもしなければいけません。
祈りは通ずるのか。
節子と一緒にどれほどの祈りをしたでしょうか。
そうした祈りは、通じたのでしょうか。
祈りは、神や天へのものではありません。
自らへのものです。
祈りが通じたかどうかは、自らの考え方次第です。
そう気がついたのは、節子を見送って数年してからです。
祈りは必ず通ずるものなのです。
そう思えるようになってきました。
節子も祈り続けていました。
節子はきっと、その祈りのなかで彼岸に旅立ったのです。
祈りは、その結果とは無縁です。
祈りそのものに意味があるのです。
今回の地震や津波の被災地でも、たくさんの祈りがあったことでしょう。
テレビの報道画面から伝わってきます。
祈りましょう。
原発現場で作業している人に感謝しながら。
被災地で辛い思いをしている人に感謝しながら。
そんな気持ちでいっぱいです。
節子も、彼岸で祈ってくれているでしょう。
そんな気がします。
夢も見ます。
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