■節子への挽歌1276:同士からのメール
節子
杉本泰治さんからメールが届きました。
どうしてらっしゃるかな、とホームページを開いたら、昨日の3月1日には、「節子さんへの挽歌」を書いておられて、感じ入りました。杉本さんは、私たちのことを「どうし」と読んでくれていました。
健康で、いっそうご活躍ください。
たぶん同志ではなく、同士という意味でしょう。
杉本さんは一緒にハワイにキラウエア火山を見に行った「同士」なのです。
節子の訃報を知って(どうして知っていただけたのでしょうか)、すぐにわが家までやってきてくれました。
いや、記憶が定かではないのですが、もしかしたらその前に節子のお見舞いにも来てくれていたような気もします。
そのいずれかの時に、節子さんは同士ですから、と言ってくれました。
何やらとてもうれしい気がしました。
杉本さんは私よりも一回り年上です。
ハワイにご一緒したのが最初の出会いですが、以来、私は一方的にお世話になっています。
いつかお返ししなければと思いながら、今もってお世話になるばかりです。
人間は不思議なもので、お世話になる一方の人とお世話をする一方の人とにわかれます。
そして、なぜか自然にいろんな人のお世話になる人とそうでない人にもわかれます。
私は前者で、なぜかいろんな人のお世話にばかりなってきています。
図々しいのかもしれませんが、なぜかそうなのです。
杉本さんにもお世話になりっぱなしなのですが、そればかりか、私よりもずっと年上の杉本さんが私を心配してくれているのです。
このメールの文面はもしかしたら、この数日、挽歌が書かれていないことを心配してくださってのメールかもしれません。
この数日、挽歌が書けていなかったのです。
やはり挽歌は毎日きちんと書かなければいけません。
節子
あなたがいなくなっても、まだ私たちのことを見守ってくれている人がたくさんいます。
私たちはどうしてこんなにも善い人たちにばかり囲まれているのでしょうか。
とてもあったかくい世界です。
にもかかわらず、なぜ節子は逝ってしまったのでしょうか。
そしてなぜ私は今なお、ここにとどまっているのか。
どう考えても、理解できません。
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