■「原発を選んだ時に始まっていた」
野菜や牛乳の放射能汚染が広がっています。
風評被害が懸念されていますが、現実にはすでに発生しているようです。
複雑な気持ちです。
むすめに茨城県のほうれん草を食べたいと頼みましたが、もう売っていないようです。
こういうことの処置は早いです。
テレビで、牛乳を廃棄した酪農家が、「酪農農家は何も悪いことはしていないのに」と話していました。
それを聞きながら、大きな違和感を持ちました。
本当にそうでしょうか。
確かに、丹精込めてきた原乳をこんな理由で廃棄せざるを得ないことはやりきれない気持ちでしょう。
しかし、事情は今回地震や津波で被災した人たちも、同じことです。
みんな「何も悪いことはしていないのに」という気持ちでしょう。
そうではない、と素直に反応したのが、石原都知事の「天罰論」です。
この発言は大きな問題になり、さすがの石原知事も謝罪しました。
私も、この発言をテレビで聞いた時には問題になるなと思いましたが、その半面で共感もできました。
私も天罰のような気がしていたのです。
もちろんそれは被災者に対するものではなく、私自身も含めて、日本列島に住むすべての人への警告という意味です。
今日、テレビを見ていたら、農家の人らしい人が、まずは私たちが原発を選んだことに責任があるというような発言をしていました。
感動しました。
その人は、その次に東電の責任をあげていました。
その言葉を聞いて、思いきって、この記事を書くことにしました。
昔、このブログにも書いた「最初に無実の者を死刑にしたとき運命は決した」という言葉を思い出したのです。
もしかしたら、今回の事件は、「原発を選んだ時に始まっていた」のかもしれません。
その責任は、もちろん私も背負わなければいけません。
これを契機に、原発への認識が深まることを念じています。
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