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2011/03/01

■石器時代の経済学

先日、石器時代の人たちは幸せだったという説がある、と書いたら早速、誰が言っているのかと質問されました。
それで昔読んだ本を引っ張り出しました。
アメリカの文化人類学者のマーシャル・サーリンズが書いた「石器時代の経済学」です。
日本で翻訳が出たのは1984年ですが、私が読んだのは会社を辞めてからです。

当時、すでに湯島でオープンサロンをやっていましたが、そこでも話題にしたことがありますが、誰もまともには受け止めませんでした。
みんな学校で石器時代よりも今はとても幸せな社会だと洗脳されていますから、石器時代が豊かだったなどという話は受け付けないのでしょう。
日本の学校教育がどういうものであるかの本質がわかります。
「知的好奇心を封じ込める」のです。

そうした体験は何回もしています。
10年ほど前に、やはりサロンで、福岡市では14人の1人が保険料を払えずに健康保険証を返却したため病院にもいけないそうだという話をしたら、参加者全員からそんなに多いはずがないといわれました。
その後、そうした実態は明らかになってくるのですが、人は信じたいことにしか耳を傾けません。
そう言えば、先日のオープンサロンでも、企業でいかに人間が疎外されているかの話をしたら、佐藤さんが話を面白くするために大げさに話しているといわれました。
その数日前に見聞した話を、そのまましただけなのですが。
知識人はなぜ人の言葉を信じないのか、哀しい気がします。
私がよほど信頼できない人なのかもしれませんが、人の言葉はまず信じることから人のつながりは生まれていきます、

さて石器時代の経済学です。
詳しくは、その本を読んでもらうとして、一つの話だけを紹介します。

サーリンズは、「狩猟=採集民(とりわけ、限界的な環境にすんでいる人々)についての、昨今の民族学的報告によると、食物生産に彼らは、成人労働者一人一日当り、平均3時間から4時間しか費やしていないことが示唆されている」と書いています。
そして、石器時代の社会は、1日ほんの3~4時間働くだけで、全員の欲求が充足される、まさに「始原のあふれる社会」だったというのです。

先週読んだ「社会的共通資本としての川」のなかで、高橋ユリカさんが、「熊本県の球磨川流域では戦後の食糧難の時代にも餓える人はいなかったという。しかし、荒瀬ダムができてからは、鮎だけでなく、ウナギなどの魚類はダム近辺の川からいなくなった」と書いています。
つまり流域住民たちの暮らしは、自然によっては支えられなくなったということです。

経済の発展とはいったい何なのか、考えなくてはいけません。

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