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2011/03/27

■節子への挽歌1302:静的な不安定感

ネットワークささえあいの交流会を開催しました。
この大変な時期にもかかわらず、6人の人が集まりました。
この状況の中で、何ができるのか、みんなそれぞれにそう考えています。
しかし、注意しないと、善意は迷惑にもなりかねません。
そこが難しいところかもしれません、

ある人が、こうした状況の中で、男性と女性の動きは違うと話しだしました。
簡単に言えば、男性は社会の一員として考えるので、あまり状況に振り回されないで、坦々と仕事をこなしているが、女性は生活の視点で考えるので、放射能汚染や地震の動向に過敏に反応してしまう、というのです。
その人は女性なのですが、勤めています。
自分も男性の多い職場にいると仕事中心で考え行動するが、しかし自宅に変えると母親として妻として家族の生活を考えるので、汚染情報などには過敏に反応し、買物にも走るというのです。
ということは、必ずしも男女の違いではなく、組織人か家庭人かの違いかもしれません。

私にはとても興味深い指摘でした。
組織秩序からの発想と個人生活からの発想と、そのいずれもが大切です。
夫婦が分担していたのは、作業や役割ではなく、そうした思考の視点ないしは理念なのではないか。
もしそうならば、夫婦で一緒に生活することが、判断基準の視点を二極化し、それが人生を深めるのではないか。
そして、そのことが社会を安定させ変化させる原動力ではないかと思ったのです。

最近、私の生活が単調なのは、視点が単極化したためかもしれません。
もし社会が動的に安定しているとすれば、最近の私は静的に不安定です。
壊れているのは社会ではなく、自分ではないか、
時々そんなことを考えさせられるのも、もしかしたらそのせいかもしれません。

ちなみに私の心身は、最近は、いわゆる「下船病」のように、常に揺れ動いている感じです。
困ったものです。

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