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2011/03/11

■大地震報道のニュース映像を見ていて感じたこと

大きく長い地震でした。
今日発生した東北地方太平洋沖地震はM8.5.発生後、8時間経過した今も、かなり大きな余震を感じます。
幸いに在宅していたため、テレビの報道をずっと見ていました。
今も見ています。
津波のすごさを改めて実感しました。

遠景で撮影したテレビ画面を見ていて、何回か、早く退避したらいいのにと思うような情景がありました。
空からの津波の映像を見ていると、津波が向かう先の道路に、その津波のほうに向かって走ってくる自動車があったり、水位が高まっている近くでそれを見ている人がいたり、画面に向かって声をかけてやりたいほどでした。

そういう情景を見ながら、もしかしたら、これは他人事ではなく、私たちの姿ではないかとも思いました。

昨日、ナラティブサロンというのをやりました。
いろいろな問題が提起されましたが、みんなそのことに気づいています。
にもかかわらず、その流れに抗しきれずにいます。
生活があるからです。
そのやりとりを思い出しました。

海岸沿いに立っていた人はどうしたでしょうか。
津波の押し寄せる方向に向かっていた自動車に乗っていた人はどうでしたでしょうか。
津波の近くの道路のトラックの荷物台に乗って、津波を見ていた人はどうなったでしょうか。

みんなもしかしたら自分は大丈夫だと思っていたのでしょうか。
自動車を守るために自動車から降りて逃げることをしなかったのでしょうか。
津波を見物していたのでしょうか。
不謹慎ですが、その姿は、私たちの生き方を象徴しているようで、まるで自分自身を見ているような気がしました。

死者は500人に達しそうです。
まだ余震が続いています。

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