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2011/03/16

■新しい出発にしなければいけないと痛感しています

ネットにもキャパシティがあるので、不要不急のインターネットの利用は避けていたのですが、あまりにもテレビの情報には信頼性がありません。
それでまたネットを開いてみました
実にさまざまな情報が流れていますが、あまりにもテレビ情報とは違います。
どちらが正しいのか、判断できませんが、一つ言えることは、こういう「非常事態」にも関わらずに、専門家が集まって知恵を出し合うようにはなっていないということです。
テレビにもたくさんの専門家的な立場の人が出演していますが、テレビに出る前にやることがあるのではないかとも思います。
しかし、おそらく原発に批判的な専門家は、実際の対策検討に呼ばれもしないし、テレビにも出られないのでしょう。
しかし、批判的な目で考えている人こそが、現実を見えることもあるでしょう。

それにしてもテレビでの記者会見はあまりにも現場との距離があります。
伝聞情報ばかりで、データーもかなり時間のたったものしか発表されません。

ある、社会的にもかなりの活動をしている人が、
「幸いにして生き延びられたら、今度こそ原発をなくしましょう!」
とあるメーリングリストに流していました。
恐ろしいほどに哀しいメールですが、真実味を感じます。

しかし、今この時間にさえ、福島の原発の現場では、生命の危険を冒しながら、爆発防止に取り組んでいる人がいます。
その人たちは、決して好き好んで、原発の現場に関わっているわけではありません。
推進を決めたのは、決して彼らではないのです。
そう思うとやりきれない気がします。

日本政府の反応の遅さと対象的に、海外各国の反応は迅速です。
政府がまだ機能しているのでしょうか。
日本の政府は、国民の生活を守る姿勢が欠けているのかもしれません。

枝野官房長官は誠実に記者会見に当たっています。
その誠実さには頭が下がります。
しかし、大切なのは、誠実さではなく、あるいはすべてを引き受ける責任感ではなく、多くの人の生活を守ることです。
南相馬市の市長の怒りがよくわかります。

しかし、それはそれとして、私に何ができるのか。
この事件を、新しい出発にしなければいけないと痛感していますが、お恥ずかしいことに、まだ何をしていいかわかりません。
いまはただ祈るだけですが、「幸いにして生き延びられたら」、私ももう一歩生き方を進めようと思っています。

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