■基準とは何なのか
枝野官房長官の記者会見を見ていて、枝野さんでないとしたら、もっと国民の不安は高まるだろうなという思いがします。
枝野さんの誠実さは、尊敬に値すると思います。
が、それはそれとして、気になることがあります。
こういう時期に、そんな細かなことをとひんしゅくを買いそうですが、やはり気になります。
今日、一部の牛乳とほうれん草から食品衛生法上の暫定規制値を超える放射性ヨウ素などが検出されたと発表されました。
枝野さんは、「ただちに健康に影響を及ぼす数値ではないということを十分ご理解いただき、冷静な対応をお願いしたい」と呼びかけました。
その趣旨はよくわかりますし、風評被害が起こることは避けねばいけません。
しかし、「今回の検出と同量の放射線量のほうれん草と牛乳を1年間とった場合の被ばく量に関し、牛乳がCTスキャン1回分、ほうれん草が5分の1程度」と説明し、健康に影響を及ぼすレベルではないという話を聞くと、もしそうであるならば、なぜそんな低い基準値にしているのかという疑問が起きます。
自分で、異常値だと言い、でも大丈夫だと言う「おかしさ」に気づかない所に、不信かなんが生まれ、風評が生まれるのです。
放水作業などのために被爆上限値を高めたという報道もあります。
「基準値」とは一体何なのか。
私たちは何を「基準」にしたらいいのか。
こうしたことを何回も体験させられると、わが国の行政で使われている基準への不信感が高まります。
そういえば、先年の建築物の耐震基準の時にも不明朗感が残りました。
「基準」とは何かの本質が見えてきます。
こんな噂も流れています。
今回の地震のマグニチュード9.0というのは、気象庁がそもそも「マグニチュードのものさし」を勝手に変えてしまったからだ、という噂です。
基準を変えるのであれば、問題が起こっていない時に変えるべきです。
基準に振り回されることなく、私たちは本質を見なければいけません。
今回の事件で、そろそろそうしたことに気づいてもいいように思います。
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