■過剰と不足
民放テレビでACジャパンの公共広告が繰り返し放送されることが問題になりました。
とてもいいメッセージなのですが、この時期にはどうもそぐわない気がします。
これまでのACジャパンの公共広告活動に共感を持っていた一人として、とても残念です。
あの時間に流すべきは、よけいな説教ではなく、自然の風景と心和む音楽だったと思います。
ACジャパンにはコミュニケーションのことをしっかり考えている人がいなかったのでしょうか。
とても残念です。
過剰と不足は、いずれも「適正量」ではないという点で同じだということを忘れていたような気がします。
もう一つ過剰であり不足だと思うのは、原発事故の情報です。
人が知りたい情報は、さほど多くはありません。
たとえば、被爆への不安に関して言えば、数値などどうでもいいのであって、危険かどうかです。
マイクロかミニか、あるいはシーベルトかベクレルかなど、どうでもいいのです。
そんな説明は聞きたくモありません。
そういう専門的な数値があまりにも過剰に飛び交っていますが、それは同時に肝心な情報の不足を意味しています。
枝野官房長官や保安院や東電の記者会見も過剰にして不足です。
現場からの情報をどこかで流しておけばいいでしょう。
会見しても、話すほうも聞くほうの記者も、あまりに知識も情報も誠意もないので、あまり意味があるとは思えません。
記者のレベルもあまりにも低すぎます。
この数日で、過剰と不足とは同じことなのだと改めて実感しています。
さて、自分の暮らしの中から過剰と不足をなくしていこうと思います。
まずは何をなくすべきか。
このブログかもしれません。
しかしまあ、このブログは私の精神安定機能を果たしてくれているので、残します。
過剰と不足の拙文を読んでくださる方もおりますし。
いつもありがとうございます。
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コメント
湯島、お疲れさまでした。
このブログUPされたのは、サロンの前又は後ですか。
昨夜帰りの電車の中でも、お話した議会の傍聴、議員の活動評価
(例えば発言の回数等)のまとめ方、切り口、視点について迷っていました。
今朝、このブログを拝読したことで、考えていた方向性に間違いがないと確信することが
出来ました。
早速、傍聴者横手の切り口、視点“過剰と不足、その適正量は”にて、まとめ、
発信をしたいと思いますので、ご協力とご指導をお願いいたします。 以上
投稿: 横手紀昭 | 2011/03/26 09:14
横手さん
この記事は25日の朝のものです。
サロンの前です。
投稿: 佐藤修 | 2011/03/26 09:23