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2011年4月

2011/04/30

■節子への挽歌1336:「空気のような存在」

節子
これほど多くの人が、日常生活のなかで死と接したことは、そうあることではないでしょう。
昨日、今日と、3つのサロンを開催しました。
テーマはそれぞれに違いますが、いずれでも「死と直面した人」が語られました。

昨日は東北の被災地の応援に取り組んでいる人たちが中心の集まりでした。
ちょうど2日前に東北に行っていた人が、話しているうちに声をつまらせました。
今日は、自殺のない社会づくりネットワークの交流会をやったのですが、そこでも自殺防止の相談活動に取り組んでいる人が、やはり報告をしながら声をつまらせてしまったのです。
みんな明らかに正常ではありません。
気持ちが高ぶったり沈んだりしているのです。
死の体験があまりに多いので、社会全体がおかしくなっているような気がします。

現地の人たちも、みんな冷静に語っているようで、実は根本のところで変調をきたしているのでしょう。
悲しすぎて悲しめない、あまりに日常過ぎて理解できない、多すぎて受け止められない。
それにたくさんの人たちが、わけもなく(理由はもちろんあるのですが)応援してくれる。
テレビの取材までくるし、世界からも見られている。
最近はさすがに「がんばれ」とは言わないが、そんな思いは伝わってくる。

もし私だったらどうでしょうか。
少なくとも、思い切り泣きたいですし、弱音を吐きたいです。
なにもせずに呆けていたいし、誰にも会いたくないかもしれません。
もしかしたら、それさえもできない人がいるかもしれないと思うと、心が痛みます。

連休が始まってたくさんのボランティアが東北に向かったようです。
たしかに瓦礫を片付けるなど、たくさんの人手が必要でしょう。
ボランティアの中には、心のケアの活動をする人もいるでしょう。
間違いなく、たくさんの人が東北に行って、被災者の生活の応援をすることは、被災地の人たちにとっても喜ばしいことでしょう。
悲しさにいたたまれずにいる時に、だれかから声をかけられるほど、心やすまることはないのです。
しかし、同時に、悲しさにいたたまれずにいる時ほど、一人でいたいこともあるのです。
矛盾しているようですが、私の場合はそうでした。

多くの人が失ったのは、「空気のような存在」だった家族や隣人です。
そこにいるのに、それを意識しないですむ人。
その不在に気づきだす頃が、とても心配です。
被災者の方はもちろんですが、社会全体も、です。

あまりに多数の死の体験が、社会をどう変質させていくのか、不安です。

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■新しい社会への予感

■新しい社会への予感(2011年4月30日)
昨日、東北応援をテーマに、さまざまな活動に取り組んでいる人たちの集まりを開きました。
14人が集まりましたが、企業に働く人が少なかったのが残念です。
女性と高齢者、それにNPOや社会起業家的な人が中心でした。

最近感じているのは、社会の分解です。
私が会社を辞めたのは、1984年です。
当時感じていたのは、みんな小さなタコツボに入っていることでした。
もちろん私も企業の世界に埋まっていたと感じました。
その後、そうした状況は少しずつ変化し、企業、行政、NPOの世界はつながりだしましたし、NPO同士のつながりも生まれてきているように思います。
しかし、その一方で、現場で汗する人とそうでない人との世界が、どんどん乖離しているような気がしています。
言い方を変えると、現実の世界、サブシシテンスの世界とシステムの世界の乖離が進んでいるような気がします。
以前も少しだけ書きましたが、それがこれまでの社会の構造原理を壊しだしているようにも思えます。

さらに言い方を変えると、新しい人たちの出現です。
新しい人たちは、大企業にも行政にもNPOにも地方議員にもいます。
そういう人に会うと元気をもらえますが、しかしそうした人たちとシステムの世界でまだ生きている人との溝を思うと、気が重くなります。

できれば私は、そのいずれかで生きたいのですが、中途半端にそれぞれに友人知人がいるので、その狭間で、時に小賢しく要領よく、時に不器用におろおろしながら生きています。
しかし、昨日の集まりでみなさんのお話を聞きながら、新しい社会が生まれだしていることを実感しました。
システムの世界からそろそろ転居すべきなのかもしれません。
たとえ落ちこぼれ気味の劣等生だったとしても、長年そこで生きてきた者としては、なかなか踏み切れないのが実状です。
しかし、飛ぶべき時かもしれません。

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2011/04/29

■節子への挽歌1335:生き残ったという罪悪感

節子
「いのちと死に寄り添う支援」のテーマを追いかけている友人がいます。
私も取材を受けました。
間もなく出版する予定だったようですが、この大震災で状況が一変してしまいました。

彼女からメールが来ました。

死を視野に入れるという当初の出版意図は、震災以降大きく変化したと感じています。
今ほど、誰もが死とは、そしてまた生きることとは、という命題と、真剣に向き合ったことはないと感じます。
そこをどうこの書に反映させるべきか考えるとなかなか筆が進みません。
よくわかります。
そして、彼女はこうつづけて書いています。
私にできることは、
被災された方々が、自分があのなかで生き残ったという一種の罪悪感を超えて、
自分の果たすべき役割を見出していく過程をともにすることだと思っています。
彼女は福祉の専門家ですが、自らの問題と重ねながら、福祉の問題に実践的に向かい合った生き方をしている人です。
節子の闘病中も、節子を見送ってからも、なにかと心遣いしてくださいました。
この本に関する取材にしても、私の心身の奥にある「一種の罪悪感」を気遣っての、取材だったかもしれません。
事実、彼女たちの取材を受けて、私の気持ちに少し安堵感がでてきたからです。
最初はお断りしたのですが、それが「自分の果たすべき役割を見出していく過程をともにすること」だという思いが、彼女にあったのかもしれません。

愛する人を見送った人は、多かれ少なかれ、「生き残ったという一種の罪悪感」を持っているような気がします。
どこにも向けようのない悲しみや怒りが、自らに向くのです。
その「罪悪感」を超えるのは、そう簡単なことではありません。
なぜなら、本当に超えたいなどと思っていないからです。
その「罪悪感」があればこそ、生きる力が出てくるとさえいえるかもしれません。
危険なのは、それがちょっと反転してしまう時です。
そこから悲劇が起こりかねません。
今回の被災者に関しても、そうした悲劇が少なからず報道されています。

ところで、この本の編者である彼女は、いまご自身も親のケアなどで大変な状況にあるのですが、昨今の状況の中で、「動けない自分にじりじりしてしまいます」と書いてきました。
なにか自分に出来ることがあれば声をかけてほしいとも書いてきてくれました。

もしかしたら、彼女を突き動かしているのも、「一種の罪悪感」かもしれません。
こんな言い方をすると噴飯物でしょうが、もしかしたら今回の大震災は人々の中に鬱積していた「見えない罪悪感」を目覚めさせたのかもしれません。
良い方向で、動き出すことを祈らずにはいられません。

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■震災後失業者が7万人

労働局のまとめによると、岩手、宮城、福島の3県での震災後失業者が7万人もいるそうです。
大変だなと思う反面、どこかにおかしさを感じます。

被災地にはボランティアが集まっているように、「仕事」は山のようにあるはずです。
にもかかわらず、仕事のない「失業者」が増えている。
前にも何回か書いてきましたが、このことのおかしさに気づかねばいけません。

どこがおかしいかといえば、「仕事とは給料をもらうこと」と考えている点です。
そこに瓦礫があれば、それを片付けるのが仕事です。
住宅がなければ、住宅を作るのが仕事です。
問題は、そういう仕事をした場合に誰が給料を出すかです。
私はこの20年間、仕事の定義を給料をもらうこととは考えずに、問題を解決することと考えてきました。
「問題を解決する」という定義は、あまりにも価値観に左右され、客観性を持ちませんが、それが誰かの役に立つことであれば、誰かから報酬をもらえますし、自分だけに役立つものであれば、自分で費用を負担しなければいけません。
しかし、私にとってはいずれも同じ価値を持つ「仕事」です。
友人たちにさえ理解してもらえないので、なかなか伝わらないと思いますが、こういう生活を実際に20年やってきているので、そういう生き方でも暮らしていけるのです。

たとえば7万人の人に、被災地に山積みの仕事をしてもらい、給料を20万円支給するとしても、月額140億円しかかかりません。
そのお金を払う雇い主を探すのは大変で、時間もかかります。
しかしそのお金を1年間、国家が支払ったらどうでしょうか。
7万人の人は、誰からも雇われることなく、周りの問題解決に自由に取り組むわけです。
たかだか2000億円弱ですから、いかに財政が厳しかろうと出せるはずです。
7万人の人がそれによって生活基盤を保証されて、仕事に取り組んだら、おそらく1年で生み出す成果はその数倍になるでしょう。
それどころか、その2000億円は消費活動にも回りますから、乗数効果で数倍の市場を生み出します。

あまりに粗雑な議論なのですが、「仕事」とは一体何なのか、を考える、良い機会なのではないかと思います。
「雇用労働」だけが「仕事」ではありません。
そろそろ「仕事観」を考え直す時期にきているように思います。

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2011/04/28

■節子への挽歌1334:なにもない日常生活こそが幸せ

風邪のおかげで、今日はテレビを見ていました。
今回の大震災で被災した人たちの報道もみました。
みんなが異口同音に「幸せ」を語っていることに気づきました。
しばらく見ていなかった間に、状況は大きく変わっているような気がしました。
みんな足元を見だし、前を向きだしたようです。
そうした人や暮らしの表情は、ネットで飛び交う情報からは、なかなか見えてきません。
ネットでの被災関連の情報には、まだ怒りがあふれています。
おそらくその世界は、被災した当事者とは違った人たちの世界なのかもしれません。

前項で書いた「共に歳を重ねる幸せ」にもつながりますが、「少しずつ日常を取り戻してきた」ということを、幸せそうに語る人たちがとても印象的でした。
私たちに必要なのは、決してお金でも地位でも評判でもありません。
私たちを心から幸せにしてくれるのは、豪華な食事でも、華麗なパーティでも、刺激的な旅行でもありません。
おそらく退屈だけれど、毎日続く日常生活の喜びです。
節子は病気になってから、「今日も平穏に1日を過ごせたことを感謝します、明日もそうでありますように」と寝る前に祈っていました。
ちなみに、彼女はクリスチャンではなく、仏教徒でした。
私は、今日よりも明日がよくなりますように、と祈っていましたが、その欲の深さは人を幸せにしないのかもしれません。

「共に歳を重ねる幸せを多くの人は気づいていない」と前に書きましたが、平穏な日常にこそ幸せがあることにも多くの人は気づいていないような気がします。
みんなが「平穏な日常」を求めだすと、経済は成長せず、社会は活性化しないかもしれません。
しかし、「成長」や「活性化」よりも、大切なことがあることを、私は節子を見送ってようやく気づきました。

今日は、いろいろと考えることの多い1日になりました。

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■節子への挽歌1333:バランスの崩れ

節子
風邪をひいてしまいました。
最近、生活のリズムが乱れていたので、注意しないといけないと思っていた矢先でした。
風邪といってもたいしたことはないのですが、心身のバランスがどうもとれません。

人の心身は微妙なバランスの上に成り立っています。
同じように、人の生活はさまざまな要素のバランスの上に成り立っています。
それを痛感したのは、節子を見送ってしばらくしてからです。
1年ほどだったでしょうか。

心身のバランスは、老いとともに少しずつ乱れていきます。
同じように生活もそうです。
心身と生活は深くつながっていますから、老いとともに、それまでの生き方を変えていかねばいけません。
それが自然にゆっくりと進めば、それを素直に受け入れられもするでしょう。
伴侶がいれば、お互いに支えあいながら、老いを楽しむこともできるかもしれません。
しかし、私の場合は、残念ながらそういう状況にはなれませんでした。
節子と一緒の生き方に埋没しすぎてしまっていたからです。
それこそが私の幸せだったのですが。
津波で奥さんを亡くした人が、「もう少し一緒に歳を重ねたかった」としみじみ語っていましたが、共に歳を重ねる幸せを多くの人は気づいていないのかもしれません。

微妙なバランスの崩れは、地震の余震のように、時々フッと意識させられます。
そんな隙間に、風邪がやってきたのかもしれません。
軽い風邪なのに、心身のバランスの崩れを大きく感ずるのはなぜでしょうか。

社会のバランスの崩れとも連動し、増幅されているのかもしれません。
バランスは、とても大切です。

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2011/04/26

■節子への挽歌1332:昔の知り合い探し

節子
フェイスブックでエジプトの中野さんと出会いました。
フェイスブックで出会うとは思ってもいませんでしたが、なにしろ世界中で5億人の人が利用しているというのですから、考えてみると不思議でも何でもありません。
中野さんに出会えたので、ほかにも誰かと会えるかもしれないと、友だちの友だちを少し探してみました。
フェイスブックは友だちが見つかったら、その人の友だちも一覧で出てくるのです。
さらにその友だちと言うように、どんどん先に進めるのです。

スモールワールドという調査実験が有名ですが、6~7人を経由すると世界中の人はみんなつながっているのです。
たしかに有名人も時々出てきます。
もう亡くなった人もいるのです。
もっともフェイスブックをやっている人だけの世界ですから、だれとでも会えるわけではありません。
しかし、私は今回、忘れるほど付き合いが途絶えていた何人かに出会いました。

10年ほど音信のなかった人がいますが、何とその人はホームページを時々見ていてくれていたそうで、先方は私の生活を知ってくれていました。
節子との別れも知っていたわけですが、たぶん声をかけられずにいたのだろうと思います。
私が事務局をやっているメーリングリストのメンバーもいました。
その人は、メーリングリストで私の言動に日々触れていたので、さほどご無沙汰感がないと言います。
不思議な時代です。

そういえばカイロの中野さんもご夫妻でブログを読んでくれているそうです。
もしかしたらこのブログも読まれているかもしれません。
パルミラに行きたいなどと書いてしまいましたが、これもまた中野さんには読まれてしまったかもしれません。

中野さんは、わが家の最初の海外家族旅行の時のガイドをやってくれた方です。
遺跡などまったく興味を持たなかった節子が、その後も遺跡旅行に付き合ってくれたのは、最初の旅行のガイドが良かったからだろうと思います。
実に豊富な知識で、しかも自然体で案内してくれました。

節子がいたら、間違いなくもう一度エジプトには行ったはずですが、残念ながら2度目のエジプトは私にはなさそうです。
名ガイドの中野さんのお話を聞けないのはかなり残念です。

しかしフェイスブックはすごいです。
節子がいたらもっともっと楽しめたでしょう。
前にも書きましたが、友だちを探していると、もしかしたら節子との共通の知り合いに会えるかもしれません。
いや、お互いに会う前の、それぞれの恋人にも会えるかもしれません。
それはいささかスリルがあります。
節子がいないのが残念です。

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2011/04/25

■節子への挽歌1331:スーちゃんは幸せな人生だったと思います

節子
節子はもう知っていると思いますが、スーちゃんこと、元キャンディーズの田中好子さんが 55歳で急死しました。
今日がその告別式でした。

帰宅したら娘から、スーちゃんの生前のメッセージが流されたけど、お父さんは聞かないほうがいいよといわれました。
泣いてしまうだろう私を気遣ってのことです。
私も、聴く勇気はありませんでした。
ところが、10時過ぎにテレビをつけたら、なんとちょうどそのテープが画面で流れ出したところでした。
これは偶然ではないでしょう。
それで結局、聴いてしまいました。

涙はこらえきれませんでしたが、スーちゃんの人生は幸せだったんだなと心から思いました。
そして節子の人生も幸せだったんだと自分に言い聞かせました。
愛する人が幸せな人生だったのであれば、その伴侶も幸せなはずです。
人は悲しいから泣くのではなく、幸せだから泣くのかもしれません。
そして泣いてしまうから悲しくなるのかもしれません。

それにしても55歳とは早すぎますね。
節子の62歳でもさえ、私には納得できない早さでしたのに。

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■若者たちの目が輝きだした

大震災のために延期されていた人材育成研究会がありました。
メンバーの多くは大企業の人事部長なのですが、今日は提言をまとめる最終の集まりだったにもかかわらず、いつもになく欠席者が多かったです。
まだまだ大震災の影響が残っているようです。
委員からは今回の震災によって社会が大きく変化していくだろうというような主旨の話もでました。
リーマンショックの時とは違う受けとめがなされているようです。

今回の提言のテーマは、グローバル競争下においてどう人材を育てていくか、ということですが、最近の若者の仕事観が問題になりました。
もっとしっかりした仕事観、職業観を若者に植え付けたいというわけです。
「働くことは社会人の責務」という発想は、この種の議論ではよく出てきます。
私には、この発想がどうもなじめません。
私はむしろ「働くことは社会人の権利」と考えているのですが、これまでの経験で、こうした主張はなかなか賛同を得られませんので、それについては発言しませんでした。

しかしみんな最近の若者は「社会のために働く」という姿勢がないと思っているようです。
この数日、社会のために汗している若者たちと付き合っている私としては、委員の人たちの話が別世界のことのように感じました。
そこで気づいたのですが、要するに最近の日本の社会は、若者を魅了する「仕事の場」を大人たちがつくれないでいたのです。
だからデフレが続いたのかもしれません。
今回の大震災が、もしかしたらその状況を壊すかもしれません。
社会を意識した若者たちの目は間違いなく輝いています。
腐ったような目をしている、私たち大人とは大違いです。

新しい働き方やビジネスモデルが生まれだすかもしれません。
もしかしたら、原発事故もまた、新しい経済や産業の啓示なのかもしれません。
この1か月、発想が後ろ向きでしたが、ようやく前向きになれそうです。
発想を変えればいいのです。
ニーバーの祈りを忘れていました。

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2011/04/24

■節子への挽歌1330:サイババも死を免れませんでした

節子
インドのサティヤ・サイババが死去しました。
84歳とはいえ、不治の病を次々と治した超能力者のサイババでさえ死を免れなかったわけです・

節子は、私とは違って、超能力とか超常現象とかをあまり信じない人でした。
私と結婚してからは、少し変わりましたが、それでも自分で納得できないことには納得できない近代的意味での現実主義者でした。
しかし私は、存在する物はすべて信ずるところから出発する、前近代的な現実主義者でした。
ですからサイババが行なう行為は、そのまま受け入れました。

サロンにある時、インドのサイババのアシュラムに行ってきた人が参加しました。
その人が、サイババの出した灰を持ってきてくれました。
私は舐めてみましたが、節子はどうだったでしょうか。

そのサイババが亡くなったのです。
不治の病を治してきたサイババ、アガスティアの葉を通してアカシックレコードも読んでいただろうサイババにとって、死とは何だったのでしょうか。
おそらくサイババにとっては、死は再生と同じなのでしょう。
サイババは、死を免れなかったのではなく、死を選んだのでしょう。
死は涅槃であり、死は解放かもしれません。
しかし残された者にとっては、死は死でしかないのが不思議です。

それにしても、節子と一緒にやっていたサロンには、実にさまざまな人たちがやって来ました。
サイババの訃報を聞きながら、いろんな人の顔を思い出しました。
人の死は、さまざまなことを思い出させます。

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■311で何かが変わったような気がします

311から世界が変わってしまったと、若い友人が書いてきました。
私の世界も、変わってきています。
大震災発生後、すべての予定がほぼキャンセルになりました。
おかげで時間がたっぷり発生しました。
テレビに釘付けの何日かの後、その反動でテレビ離れが進みました。
時間はできましたが、何かをやる気にはなりませんでした。

そのうちに、みんな被災者支援で動き出しました。
私の友人知人も、それぞれに動き出しました。
相談も増えてきました。
引潮の後に、大きな波が寄せてくるのに似ています。

今日も日曜日なのに、みんな動き回っています。
私は在宅ですが、メールや電話が届きます。
ネットの発達で、いまでは自宅でもできることがたくさんあります。
最近、フェイスブックをはじめましたが、その威力を今日は実感しました。
プロジェクトの準備で仙台に行った友人に、仙台の知人を紹介したのですが、電話したが連絡が取れないというのです。
もしかしたらと思い、フェイスブックを開きました。
その人が現在いる場所と状況がわかりました。
千葉にいる私が仙台にいる3人の人をつなげられたわけです。
まるでテレビを見ているようです。

話がそれましたが、311以来、周辺の人の動きが変わったような気がします。
気のせいかもしれませんが、どうもおかしいのです。
ダウンした人もいますし、元気になった人もいる。
いずれにしろ、これまでの延長ではないような気がします。
なにやら「日常」のままではいけないと思い出しているのかもしれません。

被災者は全国にいるという人が増えました。
それを実感する毎日です。

29日に、東北応援をテーマにした集まりを開くことにしました
若者や女性たちの行動力には驚くばかりです。
よかったらお越し下さい。
私は、私にできることに取り組もうと思います。

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■IQからEQ、そしてNQへ

IQ、EQという言葉はご存知の方は多いでしょう。
IQは知能指数で、20年ほど前まではこれが人間を評価する重要な基準のひとつでした。
私が会社に入る頃には、全員IQテストを受けさせられた記憶があります。
そういえば、ロールシャッハテストさえも受けさせられた記憶もあります。
心理テスト万能の時代でした。

EQは感性指数です。
20年前頃に一世を風靡しましたが、話題になった割には実践的には使われなかったような気もします。

ところで、NQというのを聞いたことはあるでしょうか。
これは Network Quotient の略です。
「共存指数」とか「思いやり指数」と訳されていますが、「周囲の人とどれだけ和やかな人間関係を作れるか」「人とのつながり豊かさ」というような意味です。
ここでいうネットワークは、単なる人のつながりではなく、お互いに支え合うつながりを意味しています。

韓国のキム・ムゴンという人が言い出したようで、その本(『NQ/人間を幸福にする「思いやり」指数』)は2003年に韓国で出版され、翌年日本でも翻訳出版されました。
残念ながら日本ではあまり話題にはなりませんでしたが、ちょうどソーシャルキャピタル論が広がりだした頃です。
私も読みましたが、ノウハウ的な内容だったので、私好みではなく、忘れていました。
ふと思い出して、読み直してもました。

IQやEQがどんなに高くても、NQが低ければ、他人とうまくつきあってくことができない。人は1人では生きていけないから、NQの高さこそが幸福を決定づける、というのが本書の主張です。
いささかの異論はありますが(そもそも指数化が私には馴染みません)、それはともかく、その主張には共感できることが少なくありません。

なぜNQなどということを思い出したかというと、今回の大震災後、いろんな人がいろんな取り組みを始めていますが、そうした動きにささやかに関わりながら、人のつながりって一体なんなのだろうかということがちょっと気になりだしたのです。
最近、人という存在が好きになったり、嫌いになったり、私自身の気持ちは大きく揺れています。
この歳になって、いまさらとは思うのですが。

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2011/04/23

■シリアで何が起こっているのか

最近、リビアはどうなっているのでしょうか。
シリアもいろいろと大きな動きがあるようですが、世界を変えるといわれていた中東で燃え上がった動きへの関心を最近忘れていました。
数年前の東欧革命が世界を変えたように、中東革命も世界を変えていくはずです。
しかし、最近の原発事故問題で、それをすっかり忘れてしまっていたのです。

福島原発事故は世界の流れを変えるでしょうか。
原発への見方は大きく変わってきているようですが、それが本当かどうかは確信が持てません。
そればかりか、緊急避難的に、むしろ無駄遣いの勧めも主張されていますし、この大事件を利用しようという「従来発想」の動きもあるようです。
変化は、いつもすべての人にとってのチャンスでもあるようです。

リビアの帰趨はどうも決まったようですが、シリアはまだ見えていないようです。
いずれにしろ、中東革命の行方は気になります。
日本の大震災や原発事故の実態が海外からは見えないように、中東革命の実態も、日本からはなかなか見えないのでしょう。

イラク戦争を起こす理由になった「大量破壊兵器」情報をテーマにした「グリーンゾーン」という映画をテレビで観ました。
フィクションなのでしょうが、情報が実体を創りだすことはよくある話です。
今回の原発事故は、正確な情報が隠蔽され問題を複雑にしたとも言われています。
情報の捏造と情報の隠蔽は、いずれも事実情報に基づかずに実体を形成していくという意味では、結果的には同じことです。

いずれにしても、一度、情報によって創られた実体は、その根拠になった情報がたとえ事実でないことがわかっても消えることはありません。
中東で起こっていることと日本で起こっていることはもちろん異質のことですが、「グリーンゾーン」を観ていて、どこか似ているなと思いました。
どこが似ているのでしょうか。

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■節子への挽歌1329:届かない声、届けない祈り

東北の被災地をまわってきた宗教学者の山折哲雄さんが、「被災者には声が届かないこともある」と話していました。
被災者とはまったくちがいますが、その言葉がとても心に響きました。

節子を見送った後、たくさんの方が声をかけてくれました。
とてもうれしい反面、とてもわずらわしい気もしました。
こういう言い方をすると身も蓋もありませんが、少なくともある時期はそうでした。
そして、さらに見も蓋もないのですが、かけてくれる言葉の向こうが見えてしまうのです。
これは、自分にとってもとてもいやなことです。
相手が誠実に声をかけてくれるのに、素直に受け取れない自分に出会うからです。
耳を閉ざしたくなる時もあるものです。

山折さんは、被災者に対しては、時に沈黙も大切だとお話されました。
確かにそう思います。
しかし、この沈黙もまた難しい。
沈黙ほど大きな声はないからです。

節子を見送った後の私の体験を、普遍化して、大震災の被災者の気持ちまで推察しようとは思いませんが、今朝、テレビで見た山折さんの言葉がとても印象的でした。
山折さんは、現地に立たなければ現地の人の気持ちはわからないという思いで、被災地を回られたようです。
その衝撃は大きかったようです。

現地に行きもせず、被災者の思いを憶測することはできませんが、思いを馳せて祈ることはできます。
声にせずに、祈ることも、意味があるのかもしれません。
もちろん被災者に届けようなどとは思いません。
祈りはいつも自らのためにあるからです。

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2011/04/22

■節子への挽歌1328:久しぶりの花木園

今日は気分を変えようと、節子がよく行っていた岩田園にミモザの樹を買いに行きました。
庭のミモザが成長しすぎたので、植え替えることにしたのです。
わが家には何本かの樹がありますが、大きく伸びる樹はあまり優遇されていません。
庭が狭いからですが、どうもそればかりではありません。
節子は大きな樹が好きではなかったのです。
ですからなかなかわが家には定着しないのです。

河津桜も地植えではなく、鉢に植えられています。
私は地植えを希望しましたが、大きくなるからだめだと言われました。
転居した時に、植木屋さんのお勧めで庭の一番目立つところに植えた樹は節子のお好みに合わなかったために違う場所に植え替えましたが、そのせいで枯れてしまいました。
その後、その場所にはいろんな樹が植えられましたが、どれも定着せずに、結局、花畑になってしまいました。

ミモザは、散歩していた節子がどこかの庭のミモザが気に入って小さな樹を買ってきて植えたのですが、どんどん大きくなってしまいました。
毎年見事な花も見せてくれましたが、大きくなりすぎたので、枝を切ってしまったのです。
ミモザは枝を切ると枯れてしまうことは知っていたのですが、すべて切ってしまいました。
それで、新しいミモザを植えることにし、娘たちと花木を売っている岩田園に行ったのです。
残念ながらミモザはありませんでした。

久しぶりの岩田園でした。
節子と何回も通ったところです。
特に転居した頃は、何の樹を植えようかとよく議論したものです。
私も、花はともかく、樹木にはそれなりの好みがあったからです。
意見が合わないまま、いろんなところに行った記憶があります。

夫婦連れで花や樹を選んでいる人も少なくありませんでした。
その風景を見て、ちょっとうらやましさを感じました。
これまで夫婦連れを見ても、あまりうらやましさは感じなかったのですが、どうしたことでしょうか。

ミモザがなかったので、生け花のユリを買ってきました。
節子も私も、花は白いカサブランカが一番好きでした。

元気を出そうと岩田園に行ったのですが、判断を間違えてしまったようです。

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2011/04/21

■節子への挽歌1327:季節感

節子
とても寒い1日でした。
例年だと今頃、近くの手賀沼公園で植木市が開かれるのですが、そんな雰囲気ではありません。
ホームページの記録によれば、節子を見送ることになる2007年の今日、節子と一緒に手賀沼の植木市に行ったとあります。
花好きの節子は、植木市には毎年出かけていました。
病気になってからは、私も毎年、節子に付き合いました。
わが家の小さな庭には、その植木市で買ってきた庭木もあるのでしょう。
残念ながら私にはどれがそれなのか見分けられないばかりか、そのうちの何本かは手入れ不足で枯らしてしまったかもしれません。

植木市はその一例ですが、節子と一緒に暮らしていると、季節感を自然と感じさせられました。
春には桜、秋には紅葉。
しかし、節子がいなくなってしまってからは、どうも季節感が希薄になりました。
自然との付き合いも疎遠になってしまっています。
自然と共に生きている人間にとっては、季節感はとても大切です。
最近どうも元気が出てこないのは、そのせいかもしれません。

今日の寒さは、逆の意味で季節を感じさせてくれました。
4月なのになんでこんなに寒いのか。
季節に合わないことが、いかに生活をおかしくしてしまうのか。
そんなことを考えさせられたのです。

節子がいないので、自然が私に教えてくれたのかもしれません。
もう4月も下旬、春たけなわです。
能動的に動き出さなければいけません。
きっと今日の寒さは、私の心が冷えているからです。
明日から動き出そうと思います。
身体の話ではありません。
魂の話です。

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■2つの責任

やはり首相と東電社長は辞職すべきだと思います。

問題への対処を間違った責任者が事件発生後も居座る口実に使われるのが、「事件の解決までが責任」と「責任者を変えるよりも問題解決が先決」という論理です。
この論理は当事者以外の人にも受け入れられがちです。
しかし、私には根本的な欠陥があるように思えます。

責任には2つあります。
過去に起こったことに対して負うべき責任とこれからの取り組みに対して追うべき責任です。
それは全く別のものであす。
過去に起こった問題の責任者が、これからの活動の責任者になることは、どう考えてもおかしいです。
発想を変えない限り、問題は解決しないはずです。
同じ発想で取り組んでしまえば、問題は隠蔽されるだけの話です。
たとえば、原発事故への対応のまずさは、菅首相と清水社長だったから起こったことですから、本気で問題を解決しようと思うのであれば、まずはその2人を変えなければいけません。
2人がトップである限り、事態は何も変わりません。

2人が辞職すると言うことは、責任から解放することではありません。
そうではなく、過去に起こったことに対する責任を明確にすることに専念し、そこから発生する責任を果たしてもらうということです。
創造的な責任ではなく、処理型の責任です。

これは原発事故問題だけの話ではありません。
日本の企業の危機管理も含めて、すべての問題に当てはまることです。
2つの「責任」を峻別することが大切です。

1日も早く、お2人には辞職していただきたいと私は思っています。

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■東北復興財源と財政改革財源は次元を異にしています

東北復興のためには巨額のお金が必要になるという状況を背景に、増税議論が高まっています。
復興のための一時的な増税と財政改革のための増税とはまったく違うものです。
それが混同されないといいのですが。

このブログでは、国家の巨額な借金に関しては発想の転換をすればいいという論を何回か書いていますが、増税にせよ国債発行にせよ、これまでとは違ったスキームの中で考えることが必要だろうと思います。
これまでの枠組みと混同すべきではありません。

世界銀行で主席エコノミストをつとめたこともあるジョセフ・スティングリッシュは、その著書「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」で、こう書いています。

あらゆる融資には貸し手と借り手がいて、両者が自主的に取引に携わる。不良債権が発生したなら、そこには少なくとも、貸し手は借り手と同罪という一応の証拠がある。
続けて彼は、
「借りすぎ」ではなく「貸しすぎ」だと言えば、何が変わるのだろうか? どこに問題をみつけるかによって、どこに解決策を求めるかも変わってくる。
とも書いいます。

これまでの財政赤字で誰が利益を上げていたかをしっかり認識すれば、問題の解決の方向は見えてくると思いますが、東北復興の財源を同じ次元で考えてしまうと、問題の本質が見えなくなってきてしまいます。
それは避けなくてはいけません。

火事場の泥棒ではありませんが、多くの人が汗して復興に立ち向かっている一方で、さまざまな悪事が企てられているような気がして、心配でなりません。
混乱の中では、何が善で何が悪かは、なかなか見えてきませんが、だからこそしっかりと事態に立ち向かわなければいけないと心するようにしています。


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2011/04/20

■フェイスブックの広がりの予感

2週間ほど前からフェイスブックを少し活用するようになったのですが、4日ほど前から何かこれまでと違う動きを感じだしました。
いろんな人から友だちリクエストが届くようになったのです。
数はさほど多くはなく、せいぜい1日に2~3人ですが、異口同音に、フェイスブックにはまりだしたとか、積極的にやりだしたと言うのです。
私と同じで、使い勝手がわかっているわけでもないようです。
私の場合は、やり始めて数日して、とても面白くなり、友だち探しを始めました。
友だちの友だちを見ていくと、その人が最近どんな生き方をしているかが何となく見えてくるのです。
あるいは、そこに思いもしない知人を見つけることもあります。

昔の同窓生や会社時代の同僚、あるいは地方都市で知り合った知人なども探してみましたが、残念ながらあまり見つかりませんでした。
どうも私の世代はあまりフェイスブックには馴染んでいないようです。
60人ほどになったところで、友だち探しは一段落したのですが、この数日、先方から友だちリクエストが届くようになりました。
そこからまた新しい知人が見つかることもあります。

それにしても使い勝手がわかりません。
おそらく最近の若者たちは、使い勝手などということを考える前に、使いこなしていくのでしょう。
何に使えるかなどと考えること自体、彼らには縁のないことなのでしょう。
使い方は自分で創りだすのが彼らのやり方です。
私もそうしようと思ってはいるのですが、まだまだぎこちないのです。
他者の使い方にもあまり参加できずにいます。

一番の問題は、私がパソコンでしかやっていないことかもしれません。
そろそろタブレット端末かスマートフォンが必要のようです。

フェイスブックは思った以上に早く広がりそうです。
私の知人の中にはすでに1000人を越える友だちをもっている人もいます。
人数が多ければいいわけではないのですが、少ないと刺激も少ないことも事実です。
フェイスブックにも危険な落とし穴があるような気がするのですが、まあもう少しやってみようと思います。

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■節子への挽歌1326:偉大なる神様のプレゼント

節子
人にはそれぞれの物語があります。
それはなかなか外部からは見えません。

この挽歌にコメントを寄せてくれた木田さんとは、私の記憶では2回お会いしています。
たぶんその時のことは、私のホームページの週間記録に出ているはずです。
もっとも、私が木田さんを知ったのは、それ以前です。
私が事務局をやっていたNPO活動への資金助成プログラムに木田さんが応募してきたのが最初です。
残念ながら助成の対象にはなりませんでしたが、同じ我孫子の人だったので、節子には話した記憶があります。
その後、私が話をさせてもらったシンポジウムや集まりで木田さんとお会いしました。
ゆっくりお話したことはありませんでしたが、活動を始める前にパートナーを見送っていたことはまったく知りませんでした。
そんな様子も微塵も見せず、2回目にあった時には、私の辛らつな話をとても肯定的に受け止めてくれていました。
毅然としてご自身の意見を発表されたのが印象的でした。

その木田さんからのコメントを読んで、自分がいかに他者の事情に無頓着だったのかと反省をしました。
自分が悲しみや辛さを抱えていればこそ、他者の悲しみや辛さがわかると思っていますが、あまりに自分の思いに浸りすぎていると、他者の状況は見えてこないのかもしれません。
そうならないようにしないといけません。
そうなってしまっては、おそらく自分の悲しさや辛さも見えなくなってしまうでしょう。

木田さんは「震災は偉大なる神様のプレゼント」と書いています。
それは多義的な、そしてとても含意に富んだ言葉です。
しかし、「すべての事柄には意味がある」とすれば、震災も愛する人との別れも、なにかのプレゼントなのです。
そのプレゼントの意味が、私はまだ理解できずにいます。
時に、自分の状況を相対化することも必要なのかもしれません。

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■アーツ・フォー・ホープ(AFH)への応援のお願い

コムケアの仲間でもあり、長年、ホスピタルアート活動(病院の患者さんを対象にしたアートによる心のケア活動)に取り組んできている、WAP(ワンダーアートプロダクション)の高橋雅子さんが、東日本大震災の被災者を対象に、アートを通じた心のケアを目的とした活動を展開しはじめています。
アーツ・フォー・ホープ(AFH)というタイトルの活動です。
すでに被災地での活動も実施しています。

高橋さんたちは、この活動を中長期的な仕組みづくりにつなげていこうと考えています。
そのため、現地の人たちとの協力体制を重視し、高橋さんたちの活動の後、そこでケアを引き継いでくれる現地チームをつくることを目指しています。
みなさんも、被災地支援に関して、すでにいろいろな活動に取り組まれていると思いますが、心のケアに関する仕組みづくりを目指している、アーツ・フォー・ホープ(AFH)の活動を応援していただければうれしいです。

具体的には、次のような人や組織を探しています。
・被災地にお住まいの人で、こうした活動に協力してくれる人
・この活動に参加してくれる人(各被災地に入り、プログラムを実施する人)
・この活動を支援(資金的・人的問わず)してくれる人や企業、団体
またこの活動への寄付も受け付けています。
詳しくは企画書をお読みください
協力してくださる方は、直接、AFH事務局にご連絡下さい。
今月の29日に湯島で説明の場もつくりたいと思っています。
これに関しては、ホームページのお知らせに掲載しますが、関心のある人は連絡下さい。

現在、被災地応援のためのさまざまな活動が展開されていますが、そうしたものがゆるやかにつながっていくことが大切ではないかと思います。
こうした仕組みが育っていけば、他のさまざまな活動もそのネットワークを活用させてもらえます。
先に展開したスリーA方式のみんなを元気にする認知症予防ゲームも、そうしたネットワークのなかで被災地を元気にしていく活動として展開できるかもしれません。

みなさんの応援をよろしくお願いいたします。
詳しくは高橋さんが代表をされているワンダーアートプロダクションのホームページをご覧下さい。

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2011/04/19

■それでもまだ原発に期待するのですか

こういう状況になってもなお、これからも原発が必要だと考えている人が過半数をしめるというのが、最近の世論調査の結果だそうです。
これには驚きました。
私自身は、おそらく30年後には原発は日本からなくなっていると思っていましたが、むしろ若い世代に原発期待が多いと知ってぞっとしました。
人はひとたび洗脳されるとなかなか変わらないのでしょうか。

それにしてもいまもまだ原発は発電コストが安いという人がいます。
経済的に見ても、原発コストがいかに高いかは、今回の事件で明らかになったと思っていましたが、どうもそう思っていない人が少なくないようです。

電力不足もまだ危機感を持っている人が少なくありませんが、電力不足など起こるはずがないと私は思っています。
地震後の計画停電にしても、おそらく必要なかったように思います。
もちろん計画停電によって、節電意識や生活の見直し気運が高まったのはいいことです。
おそらく電力会社にとっては両刃の剣だったでしょう。

地震が起きた頃、時代の流れが変わるだろうと思っていたのですが、最近少し不安になっています。
むしろ時代は悪い方向に向かうのではないか、そんな気さえしてきました。

私が疲れてきているからでしょうか。

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■節子への挽歌1325:霊界を往復する鳥

節子は鳥や花になってまた戻ってくると言い残しました。
花はよくわかりますが、鳥は意外でした。
なぜ鳥なのか、ずっと気になっています。

西條勉さんの「「古事記」神話の謎を解く」(中公新書)を読みました。
これまで読んだことのない新鮮な切り口で、古事記の話を読み解いている本です。
読んでいたら、こんな文章が出て来ました。

鳥は空を飛ぶ。そこから古代的な信仰では、異空間の霊界を往復すると思われていた。世界中に共通する人類の信仰とみていい。

神話では鳥が死者を埋葬する儀礼によく出てきます。
しかし、節子がそんなことを意識していたはずはありません。
かなり病状は進行しており、思考力もないほどの苦しい状況で、書き残した言葉だったのです。
意識して出てきた言葉ではなく、自然に出てきたイメージだったと思います。
もしかしたら、その時、節子はすでに鳥を感じていたのかもしれないと、この文章を読んで気がつきました。
たしかにその頃の節子は、彼岸に魂を移しだしているような状況でした。
当時は気がつかなかったのですが、後で考えると、そう思えるのです。
節子の魂は、すでに鳥になって彼岸と此岸を飛び交っていたのかもしれません。
だから、自然と鳥という言葉が出てきたに違いありません。

私は蛇年生まれです。
蛇と鳥は相性がいいとは言えません。
しかし考えてみると、蛇もまた彼岸と此岸を行き交う存在だと思われているものです。
蛇には「邪悪」なイメージもありますが、それは「近代に組み込まれない」という意味でしょう。
鳥も蛇も、近代に奉(まつ)ろわぬ存在なのです。
そういえば、節子は酉年でした。
それをすっかり忘れていました。
鳥になって戻ってくるとは、何の謎でもなかったようです。

今日、家の近くでスズメが2羽、楽しそうにふざけあっているのをみました。
昨年、わが家の庭から巣立っていったヒヨドリはどうしているでしょうか。

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2011/04/18

■節子への挽歌1324:無人島暮らし願望

節子
東日本大震災後、被災された人たちのために何かしたいという人が増えています。
この大震災が時代の流れを変えるのではないかという気がしていましたが、実際にそうなりそうな気配を感じます。
いろんな人がやってきて、そういうプロジェクトを話してくれます。
今日も若い女性が友人と一緒に飛び込んで来ました。

肝心の話が終わった後に、こんなことも考えているという話をしてくれました。
その話を聞きながら、ついつい節子がいたらなあと思いました。

それは五島列島の話です。
そこにかなり広い土地があり、そこを活かして何かできないかという話です。
被災者のためにということで話が出てきたのですが、私が考えたのは、被災者ではなく自分のためです。
節子が元気だったら、節子を説得して、残りの人生をそこで暮らせたのに、と思ったのです。

私は、人が大好きですし、人のつながりを育てるような活動もしています。
しかし、どこかで、すべての人のつながりを捨てて、節子と一緒に無人島で暮らしたいという思いも、ずっとあります。
人が大好きな反面、自分を含めて、人という勝手な存在への嫌悪感もあるのです。
ですから、誰もいない無人島に、節子と一緒にめたらどんなにいいだろうかと節子には時々話しました。
あなたにはそんな生活ができるはずがないと、節子は真に受けませんでした。
それに、私の飽きっぽさを知っていましたから、3日目にはやはり戻ろうといいだすだろうというのです。
確かに私は飽きっぽいのですが、このことに関しては私には自信がありました。
それに私は節子に飽きることはないのです。
それに、目移りするものがなければ、飽きることもないのです。

五島列島の写真を見ながら、こんなに美しい世界を、なぜ私たちは、見にくい都市に変え、息苦しい生活をしているのかと思いました。
生き方を問い直す機会にしなければいけません。
どんな復興をしようとしているのでしょうか。
いろんな人の話を聞きながら、だんだん冷めてくる自分に、また嫌悪感を強めています。

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2011/04/17

■節子への挽歌1323:パルミラ

節子
世界遺産のテレビ番組で、パルミラを観ました。
私が一番訪ねたかったシリアの遺跡都市です。
観ていて、その素晴らしさに改めて心が躍りました。

パルミラを知ったのは30年ほど前でした。
やはりテレビの番組で知ったのですが、以来、私にとっていつか訪問したい場所になりました。
しかしシリアは遠い国でした。

会社を辞めて、海外旅行ができる時間的余裕ができて、最初に行ったのは、しかしパルミラではなく、エジプトでした。
節子は、さほど遺跡は好きではありませんでしたから、遺跡だけの広大なパルミラには魅力を感じなかったでしょう。
エジプトには、廃墟だけではない見所はたくさんあります。
最初に行ったのが、アブシンベル神殿でした。
遺跡などは土の塊でしかないといっていた節子も、次第に遺跡に興味を持ち出しました。
そして、ギリシア、トルコ、イランと、節子もそれなりに楽しみ出しました。
しかし、そろそろパルミラをと考え出した時に、私たちの海外旅行は終わってしまったのです。

節子がいなくなったからには、もう金輪際、海外旅行には行くまいと決めました。
しかし、どこかでパルミラにだけは行きたいという思いがありました。
そして、今日、パルミラの映像を観て、やはりパルミラには行こうと思いました。
パルミラは、節子の嫌いな土の塊しかないように見えたからです。
もちろん建物の列柱は見事な雰囲気を残していますし、復元も進んでいるようですが、砂漠の中にある広大な廃墟は、やはり土の塊です。

ギリシア・ローマの遺跡の柱はどうしてこうも魅力的なのでしょうか。
古代遺跡のシンボルの一つは塔です。
天にも届く塔は神に向けたものだと思いますが、バベルの塔の話でわかるように、神は人の造る塔を嫌いました。
にもかかわらず、なぜ人は塔をつくるのか。
そして、人はなぜ塔に魅了されるのでしょうか。

ちなみに、古代ギリシアには塔がないといわれます。
エジプトにもシュメールにも、そしてローマにも、塔はありました。
しかし古代ギリシアにあるのは、塔ではなくて柱です。
ギリシアが神に愛されたのは、そのせいかもしれません。
パルミラはローマ時代の遺跡だと思いますが、塔の写真を見たことがありません。
パルミラも、きっと神に愛された都市だったのでしょう。
だから、ぜひともそこに立ってみたいと思います。
節子もきっと許してくれるでしょう。

一段落したら、パルミラです。

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■個人ではなく仕組みの問題

大震災や原発事故の報道の中で、いろんな重大な問題がシッポ切り的な対応になっているような気がしてなりません。

たとえば八百長相撲ですが、下位の関取を中心とした個人的処罰で問題を終了させようとしています。
問題は仕組みだと思いますが、弱い個人が実質的な解雇措置にあっています。
裁判に訴えようといっていた多くの力士も、なぜか争わなくなり、わずかに争うとしている力士は極めて少数派のようです。
しかし、ぜひ裁判にして問題をきちんと解決すべきです。

たとえば前田元特捜検事の裁判も、個人レベルの解決で終わりそうです。
問題は個人の行為ではなく、そうした行為が起こってしまう組織のあり方のはずなのですが。

原発事故もそうならなければと思います。
改めてシステムの恐ろしさを感じます。

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■自己総括してから変節してほしいです

最近、急に反原発論者が増えてきました。
あの勝間和代さんまで変節したのには驚きました。
さすがに権威主義者は身代わりが早いです。
しかしもう少し自分がこれまでやってきたことをきちんと総括してからにして欲しいものです。
原発事故直後の集まりで、テレビで原発の安全性を盛んに主張していたタレントアナウンサーの草野さんはもうテレビに出られないのではないかとある人が話していましたが、草野さんは相変わらずメディアに登場しています。
こういう人たちには良心とか自分の考えというものがあるのでしょうか。
そんなものがあると、いまの社会では生きていけないのかもしれません。
まあ、何を以って「生きる」というかにが問題ですが。

原子力安全委員会に関わってきた科学者たちも、反省と陳謝を発表しだしました。
なんだか違和感があります。
反省と陳謝の発表をするまえに行動すべきです。
マスコミもようやく平井憲夫さんの遺稿を取り上げだしたそうですが、これも違和感があります。

違和感や異論があろうと、そうした動きは歓迎すべきかもしれません。
時代が変わろうとしている現われではないかとも思えるからです。
でもどこかに疑念が残ります。
もう彼らに惑わされずに、しっかりと生きたいものです。

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2011/04/16

■節子への挽歌1322:節子への賛辞

節子
庭の手入れをさぼっています。
少し早めの還暦祝いに家族から造ってもらった庭の池は無残な姿になっています。
計画ではここにサワガニが定住しているはずなのですが、落ち葉で埋もれてしまい、サワガニはおろか、棲んでいるはずの金魚もめだかも見えません。
反省して、少しだけきれいにしました。

節子は前の家の時もそうでしたが、庭に池を作るのに反対でした。
庭に池を作ると良くないことが起こると節子は思っていたのです。
前の家では、確かに良くないことが起こり、池を埋めてしまいました。
しかし、それに懲りずに、今の家に転居した後、私がまた池が欲しいと言い出しました。
家族はみんな反対でしたが、私の希望が強かったため、転居して少ししてからみんなで池を造ってくれたのです。
小さな池ですが、2つあって、上の池から下の池に水が流れる仕組みになっています。

その池には何回もサワガニを放しましたが、棲み付きません。
節子は無理だといつも言っていましたが、それでも私がサワガニを買いに行ったり、捕まえに行ったりする時には必ず付きあってくれました。
庭の池にサワガニを定住させることが、私にとってどんなに大事なことなのかを、節子は理解してくれていたのです。
節子以外の人には決してわかってはもれないでしょう。

人には、それぞれ大切にしていることがあります。
他の人にとってはどうでもいいことが、ある人にとっては、とても大切なこともあるのです。
それがわからずに、友だちを裏切ってしまったり、友だちに裏切られたりすることもあります。
第三者から見たら、どうでもいいようなことで喧嘩になることもあるのです。

私たちも夫婦喧嘩をよくしました。
喧嘩の原因は、いつも馬鹿げたことでした。
娘たちは、バカな親だと思っているでしょう。
しかし、夫婦は喧嘩を通して、世界を重ねていくのです。

節子は、おそらく私以上に私を知っていてくれました。
節子といると、どんな時でも安心で、心が和らぎました。
私の価値観は、かなり変わっているような気もしますが、節子は私以上にそれを知っていました。
だからやはり、節子は私にとって、「かけがえのない人」だったのです。

節子がいなくなってから、心が完全に和らぐことはなくなってしまいました。
それを嘆くつもりはまったくありませんが。

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■権威主義から抜け出せない日本人

友人の川本兼さんが最近出版した「日本生まれの「正義論」」にこんな文章が載っています。

権威主義にゆがめられた日本人の「正義」は、日本人が自分で行った行動の責任を自分自身で取ることができない「正義」でした。自分の行動のほとんどは、自分の判断で行ったわけではないのです。そのほとんどは、権威ある上官の命令に従って行ったものでしかないのです。つまり、日本人の信じた「正義」は、自分の行動のほとんどを権威のせいにするしかない「正義」でしかなかったのです。
これは戦前の皇国主義下の軍隊に言及して書かれている話ですが、この日本人の権威主義は戦後も、そして今もなお変わっていないと川本さんは言います。
私もそう思います。

私はいくつかの平和に関するメーリングリストに参加させてもらっていますが、そこでのやりとりを見ていると、権威主義コンプレックスを感ずることが少なくありません。
川本さんは、上記の本で、日本の革新勢力や護憲主義者が消滅しつつあるのは、彼らが権威主義から抜け出られなかったからだといっています。
そして、権威主義から脱却していない日本人は、近代的人間にはなれていないというのです。

近代的人間であるかどうかはともかく、最近の原発事故に関する動きを見ていると、多くの人が権威主義に呪縛されていることがよくわかります。
自分というものがないのです。

論理はいかようにも組み替えられます。
原発が安全だという論理もいくらでもつくれますし、二酸化炭素が地球環境を人間には住みにくいものにするという論理も簡単につくれるでしょう。
科学的データがそこで使われます。
しかし、科学的データのほとんどは、「ある見方」でしかありません。
しかし、神から科学に権威をゆだねた人たちは、科学を信仰します。
それが「近代」だと言われていたわけです。
自らの眼で科学的データを確認できれば、少しは意味があるでしょうが、それが難しいために「科学者」や「統計学者」に判断を任せます。
そうして、みんな、つまり近代的人間は、自らを失っていくわけです。

大震災や原発事故の被災者を支援する活動が広がっています。
私もいろんなことに少しずつ巻き込まれています。
昨日も2人の人から電話があり、来週会うことにしました。

そうした動きに棹さすつもりはないのですが、
最近ちょっと懸念を感じ出しています。
みんなあまりに一直線すぎないか。
たしかに被災者の方は大変ですが、他にも私たちはさまざまな問題を抱えているのではないか。
それが忘れられてはいまいか。
そんな気がするのです。

こうやって第二次世界大戦は始まったのかもしれないと、とんでもない妄想さえ感じ出しています。
どこか、何かが、おかしいのではないか。

でもこんなことを言っていたら、多くの人からひんしゅくを買うでしょうね。
さてまた被災者支援のためにできることをやりましょう。
でも、なにかが違うような気がしてなりません。

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2011/04/15

■原発の安全性

先日、大学の時の同級生と久しぶりに会いました。
途端に原発事故の話になったのですが、原発の安全性に関して意見が食い違い、久しぶりにホットな論争をしてしまいました。
定年まで大企業にいた人と途中で脱落してしまった人との考えの違いの大きさを改めて実感しました。

友人たちは、今回は安全対策が不十分だったが、今回の教訓を活かせば原発は安全にできるというのです。
つまり安全を管理の程度の問題だと考えるのです。
私は、安全は本体の属性の問題であり、管理の程度ではなく制御の可能性の有無の問題だと考えます。

安全を管理の程度と考える発想は、「安全である場合は安全である」という無意味な発想でしかありません。
そこで、いざ安全神話が壊れてしまうと、想定外などと、これまたさらに無意味な言い訳をしなければいけなくなります。

しかし、問題は簡単です。
原発の基本は、「人為的に安全でないものを作り出すこと」なのです。
原発の運転を停止しても、あるいは廃炉にしても、ひとたび作ってしまったものは、存在するだけで安全でない属性を持っているのです。
安全でないものをわざわざ作り出しておいて、安全性を語ることは全く意味がありません。

人間の技術が生み出す物は、多かれ少なかれみんなそうではないかと反論されてしまいましたが、そこで制御可能性が次の要件になります。
ここでいう制御可能性は程度の問題や確率の問題ではありません。
できるかどうかの二者選択の問題です。

しかし考えても見てください。
原発は、たとえ事故を起こさなくても、存在そのものが安全ではないのです。
だから東京には原発はできないのです。

多くの人が原発を安全だと思う根底には、原発がないと困ると思っているからです。
なぜそう思うのかといえば、原発は経済の基盤となる大量の電気を低コストで生み出すと思っているからです。
いまでも原発が低コストなものと思っている人もいるようですが、少なくとも東電の関係者はそうは思っていないでしょう。
コストの計算方法が間違っていただけの話なのです。

原発を持っていないと核武装できないから困るという人もいるでしょう。
そういう人は、原発が安全だなどとは思ってもいないでしょう。
でも必要だと思っているのです。

原発は安全ではなく、またなくても普通の生活者は困らないのです。
電気がたくさんないと経済成長は難しいかもしれませんが、生活の不便さは、さほどないはずです。

そういえば、こんなブログがありました。
フェイスブックには書きましたが、哀しい話です。
http://d.hatena.ne.jp/ayua/20110411/1302526954大企業の人も、まもなく気づくでしょう。

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■節子への挽歌1321:かけがえのない存在

節子
津波で妻を見失い、その後もまだ出会えていない高齢の男性が、絞り出すような声で、
「ふつうの女だったが、かけがえのない存在だった」
と話していました。
昨夜、テレビをつけたら突然出てきた映像です。
その人は、いまなお、奥さんを探し続けているのでしょうか。
最近は、被災地の映像は見ないようにしているのですが、突然だったのでついつい見てしまいました。
表現が不正確かもしれませんが、私にはそう聞こえました。

「ふつうの人」が、ある人には「かけがえのない人」になる。
考えてみると不思議です。
しかし、人が生きるということは、周りの人や自然と関係を深めていくことです。
ですから、人も自然も、時間と共に、「かけがえのない存在」になっていきます。
そして、人も自然も、実は絡み合っているのです。
それを象徴しているのが、伴侶かもしれません。
伴侶の向こうに、実はすべての生活や自然もあるのかもしれません。
節子を見送って、そのことがよくわかりました。

「かけがえがない」のは節子が特別の存在だったからではないのです。
節子と一緒に築き上げてきた世界にとって、節子が不可欠な要素だったからなのです。
その世界は、節子とともに瓦解してしまった。
そんな気がします。
テレビに出てきた人も同じなのだろうと思います。
「かけがえのない存在」は、失って初めてわかるのです。
それまでは、あまりに「ふつうの存在」だからです。

東日本大震災で被災された方は、そうしたさまざまな「かけがえのない存在」を一挙に失ってしまったのです。
昨日までの風景が、昨日までの人のつながりが、一挙に無くなってしまった。
私は、伴侶を失っただけで、これだけおろおろとしているのですから、伴侶だけでなく、その伴侶と一緒に築き上げてきた世界、育ってきた世界までをも一度に失った人の戸惑いはどんなに大きいことか。

夏が過ぎた頃が、とても心配です。

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2011/04/14

■フェイスブックの面白さが少しわかってきました

最近、パソコンの時間の合間にフェイスブックをチェックしています。
少しずつですが、その面白さがわかってきました。
友だちも少しずつ増えています。
友だちの友だちをチェックしていると私の知り合いにも出くわします。
また友だちからも友だち紹介があります。
20年近く音信不通の人から友だちリクエストが届いたりします。

共通の友だちも明示されるのも面白いです。
私は語学が不得手ですが、たとえば韓国の友人の書いたハングルも、翻訳してくれます。

ブログの機能もあります。
ですからこのブログもフェイスブックに移管することもできそうです。
いま一部の記事を試験的に転載したりしています。

おそらくメーリングリストの機能もあるでしょう。

もっともまだフェイスブックを活用するまでにはいたっていません。
それに友だちもまだようやく60人を越えた段階ですから、情報の伝播力は少ないです。
それに私が友だちになった人たちのほとんどは、私と同じように、さほど効果的にフェイスブックを活用しているようにも思えません。
そもそも「効果的に活用する」という、手段的なものではなく、日常の一部として位置づけておいたほうがいいのかもしれません。
そういう視点に立てば、逆に使い方はかなり出てきます。

参加するのは簡単ですので、みなさんもやってみませんか。
もしフェイスブックを始めたら、私にも友だちリクエストを送ってください。
このブログがどのくらい読まれているかもわかりますので、それもまた楽しみですので。

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■節子への挽歌1320:すべての始まり

節子
この頃、なかなか挽歌が書けません。
以前はパソコンに向かい、「節子」と打ち込むと、自然に何かが頭に浮かび、書きだせたのですが、この頃は書けないのです。
書けないというよりも、節子と会ったころのことが思いだされてしまい、その思いの中に迷ってしまうことが多くなってきました。

節子に会った頃が、私は一番幸せだったのかもしれません。
節子はまだ私のものではなく、私もまだ節子のものでもありませんでした。
私にも、節子にも、たくさんの可能性があり、選択肢がありました。
それに、それぞれに恋人もいたのです。

しかも、節子も感じていたと思いますが、私たちはあまりにも違い過ぎました。
節子は「現実の人」でしたが、私は「物語の人」でした。
誠実に生きようとしている節子に対して、当時私は生きることは物語を創ることと考えていました。
節子には、私がとても不真面目な人に見えたでしょうし、私には節子が真面目すぎる退屈な人に見えました。
それがどうして結婚することになったのか。

当時の私は、結婚したら相手と一緒になって、自分が理想と考える夫婦、さらには家庭を創りあげようという思いが強くありました。
具体的な理想像があったわけではありませんが、何となくの物語のイメージはありました。
そのためには、固定観念の強い人はだめでした。
柔軟な発想のできる人でなければいけませんでした。
節子が柔軟だったかどうかは極めて疑問でした。

繰り返しますが、それがどうして結婚することになったのか。
今もってわかりません。
ただわかっているのは、最初に節子と歩いた奈良の日のことです。
具体的なシーンはまったく思い出せないのですが、それを思い出だそうとすると、ただただ全身があったかな気持ちで覆われる
どう考えても、あれは異常な日だったのです。
しかし、それがすべての始まりだったのです。

ちなみに、節子と奈良を歩いたことは間違いありません。
猿沢の池の横の坂で撮った節子の写真を見た記憶があるからです。
でもそれも含めて、あれは誰かが創作した物語だったのでしょうか。
もしかしたら、私たちの人生は、誰かが創った物語をただ演じているだけなのかもしれません。
そんなことを考えていると、挽歌が書けないのです。

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■水道水を飲んでいるのかと驚かれました

犬の散歩で会った近所の人から、娘が水はどうしているのかと訊かれたそうです。
それで水道水を普通に使っていると答えたら、驚かれたそうです。
それを聞いて、私も驚きました。
みんな水道水を飲んでいないのでしょうか。
みなさんのところはどうでしょうか。

私の住んでいるところは千葉県北西部で、福島原発から200キロくらいです。
放射能汚染は間違いなく届いているところです。
それを心配した人から水も送られてきましたが、子どももいないわが家では基本的に水道水を使用しています。

なぜみんなそんなに浮き足立っているのでしょうか。
それは情報がきちんと共有化されていないからです。
情報がない場合、人は過剰に反応します。
過剰に反応すると、そもそもの問題とは違う問題が生まれ、情報はさらに見えなくなって、混乱が増幅します。

ところで、水道水が飲用に使われなくなったのは、今に始まったことではありません。
そもそも町のコンビニなどで水が売られるということが、私は最初、どうしても理解できませんでした。
それも海外からのものまであるのですから、大きな違和感があります。
以前書いたことがありますが、海外の水は基本的には飲みません。
地域の水を飲むことが、生きるということだと思っているからです。

節電の動きがありますが、ペットの水を飲まないことは、間接的な節電にもなります。
もちろん私は自動販売機も使いません。
みんなが使わなければ自動販売機は無くなります。
石原さんも自動販売機反対のようですが、都の施設から撤去すればいいだけの話です。
都の会議でペットボトルを出さなければいいだけの話です。

節電と言うと電気を消すことだと思いがちですが、それ以上に大きな効果がある節電手段はたくさんあります。
せめて大人たちは水道水を飲みましょう。
自動販売機は使わないようにしましょう。

電気は決して足りないのではありません。
使い過ぎているだけの話です。
水の話が電気の話になってしまいましたが。

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2011/04/13

■節子への挽歌1319:節子ならどうするか

節子
節子ならどうするでしょうか。

原発事故を知った東電社長が奥さんを米国に避難させたという話を今日、聞きました。
真偽のほどはわかりませんが、それを聞いて私がまず思ったのは、私だったらどうしたか、そして節子だったらどうしたか、です。

まず私はどうするか。
たぶん節子に状況を説明した上で、打診はするでしょうが、おそらく薦めはしないでしょう。
できれば、一緒にいてほしいと頼むか、私も一緒に避難するでしょう。
節子は、仮に私が勧めても、独りでは避難せずに、行動を共にするでしょう。
節子が私を独り置いていくわけがありません・
とまあ、これが私の勝手な想像です。

娘に、節子ならどうすると思うかと訊いてみました。
お母さんは行かないよ、と即座に娘は答えました。
やはり私たちは苦楽を共にする理想の夫婦だったのです。
と思いきや、娘が続けて言いました。
お母さんは英語が話せなかったからね。

娘と私の節子像は、かくも違うのです。
困ったものです。

さて、私もそろそろ彼岸に避難することを考えたい気分です。
節子に話したいことが溜まりに溜まって、あふれだしそうです。

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■「原発がこんなに恐ろしいものだとは思わなかった」

テレビを見ていたら、たぶん漁業関係者だったと思いますが、「原発がこんなに恐ろしいものだとは思わなかった」と言っていました。
驚きました。
広島と長崎に原爆が落とされたことは日本人であれば知っているでしょう。
にもかかわらず、原発が安全だなどと思う人がいるのです。
いや、これまではそういう人のほうが多かったのかもしれません。

そう思うのは、原爆と原発は別物であり、原発は安全だというお上の言葉を信頼したからでしょうか。
しかし、お上(国家)が嘘をつくものであることは、戦争体験の中で思い知らされたはずです。
あるいは、大学教授が原発は安全だと保証してくれたのを信じたのかもしれません。
しかし、国家の雇用人である大学教授の言動は、水俣病などで明らかにされています。
彼らの多くは、雇用してくれている国家や財界には背きません。
マスコミの報道を信じていたのでしょうか。
マスコミがいかに間違った世論を作り出すかも、きちんと生きている人ならわかっているはずですが。

要は、自分では何も考えていないことの表れでしかありません。
「原発がこんなに恐ろしいものだとは思わなかった」などと今さら言う人を見ると、蹴飛ばしたくなります。
ましてや、福島県の現知事が東電に怒りをぶちまけるのを見ると、蹴飛ばすどころか頭をかち割りたくなります。
せっかく前知事が抗議していたのを、あなたはどうしたのですか、と言いたいです。

政府はいまなお、安全だと言っています。
誰かが「安全だ」と言うのは、安全でないからです。
そろそろそれくらいは、私たちは学んでもいい頃です。

司馬遼太郎がいたら、何と言うでしょうか。
日本はまた「つまらない国」に戻ってしまったのだろうと言うでしょうか。

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2011/04/12

■節子への挽歌1318:「30年後に笑うんだったらいまから笑ったほうがいい」

欽ちゃんの番組で人気者だった気仙沼ちゃんは、節子も好きでした。
挽歌を書きながら見ていたテレビで放映されていた菅さんの記者会見があまりに内容がないので、チャンネルを変えたら、そこに気仙沼ちゃんが出ていました。
もう56歳、気仙沼大島で旅館をやっていたのですが、今回の津波で旅館は被災し、いまは避難所生活だそうです。
しかし、その周りには、いまも笑いが絶えないようです。
実際に気仙沼ちゃんは、以前と同じように自然に笑っていました。
そしてこう言ったのです(不正確かもしれません)。

「30年後に笑うんだったらいまから笑ったほうがいい」
たしか「30年」と言ったように思いますが、間違いかもしれません。
でも、気仙沼ちゃんらしい言葉です。
いつか笑うのであれば、早いほうがいいかもしれません。
それに、いま笑い出せば、きっといつか笑えるようになるはずです。

30年後に笑うんだったらいまから笑ったほうがいい。
私もそう思います。
そして、30年後にも笑えないのと思うのであれば、ますますいま笑ったほうがいい。
人は悲しくても笑えます。
むしろ悲しいから笑える時もあるのです。

しかし、笑っても悲しさは消えません。
気仙沼ちゃんも、もしかしたら悲しいから笑うのかもしれません。
涙と笑いはつながっているのです。
この頃、それを痛感しています。

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■節子への挽歌1317:今日は無駄口

節子
東日本大地震のかなり大きな余震が続いています。
最近は、震度3くらいでは動じなくなってしまいました。
それに最近の関心は原発事故です、
原発事故は実体が少しずつ露呈しだしましたが、まだまだ原子力関係の学者たちは嘘で固められた話ばかりしています。
マスコミでの報道はあまりにひどく、最近はだれも信頼はしていないでしょうが、節子がいたらどういう評価をするでしょうか。
専門的な知識がない分、生活者の素直な反応が聞けたと思うのですが、残念です。

私は、中途半端に知識があり、また物事にいささか過剰に反応する性向がありますので、時に現実への対応を間違ってしまうのですが、節子と話すことで、自分を相対化することができました。
いまはそれができないのが、ちょっと残念です。

いまちょうど、菅首相の記者会見がテレビで報道されています。
節子が見ていたら、きっと呆れるでしょう。
私でも呆れてチャンネルを変えてしまいました。
民法は報道を止めてしまっていましたが、昨今の政治状況は節子が一番嫌っていた、嘘づくめです。
こんな嫌な日本を体験しなくて良かったね、節子。

今日は愚痴ではなくて、無駄口になってしまいました。
どうも最近、また挽歌がかけません。

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2011/04/11

■こういう時だからこそトップを変えるべきでしょう

統一地方選では民主党は敗北してしまいました。
そのため、与野党から菅首相辞任の声が出ているようです。
そんなことよりも復興への取り組みが大切な時期だという人もいます。
「だれがではなくて、何をどうやるのかということで判断」すべきだと、枝野さんも今日の記者会見で言いました。
問題の立て方が、ここでも大きくずれています。

地方選で民主党が敗れたのは、いまの対応が悪いことが大きな影響を与えているはずです。
民意が、民主党から離れたのは、今に始まったことではありませんが、今回の地方選には明らかに震災や原発事故への対応の悪さへの批判の民意が働いています。

いまの菅内閣には、問題解決能力が期待できないと多くの人は考えています。
だとしたら、いまこそ日本のトップを変えるべきです。
「だれが」と「何をどう」は、決して別の問題ではないのです、
「何をどう」を決めるのがトップであり、結局は「誰か」なのです。
それが危機管理の基本です。
私利私欲を捨てて、問題解決できるリーダーがいま必要だろうと思います。
しかし、多くの人は、こんな時期にはトップは変えるべきではないといいます。
日本のトップがころころ変わるのはみっともないなどとおかしな論理を言う人も以前かなり多かったですが、ころころ変わるのが問題ではなく、そうした状況を変えられないのが問題なのです。

原発事故対応では初動での対応を間違えたといわれますが、同じ間違いをするべきではないでしょう。
しかし残念ながら日本の多くの人はそうは考えない。
どんな人でもトップの座についた人に従う躾ができているからです。

では誰がトップにつけばいいのか。
こう言う時期にこそ、ふさわしい人がいるはずです。
東京都民は、その選択を間違わなかったように思います。
ここは「好き嫌い」のこだわるべき時期ではないような気がします。

このままでは、何も動かないような気がしてなりません。
まあ、こんなことをいくら書いても意味はないのですが、今日は暇なものですから。

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■節子への挽歌1316:疲れていますね

節子
久しぶりに家庭農園の雑草取りをしてきました。
わずか1時間足らずでしたが、へとへとです。
被災地でのボランティアなど、とてもできそうもありません。
しかし、時に身体的疲れを作り出さないと精神的疲れは解消できません。
身体の疲れと精神の疲れは相互に打ち消してくれるような気がします。

このブログを読んでくださっているSさんがメールをくれました。

ずいぶんとお疲れのご様子。
それだけの関係作りをされておられ、お疲れは当然とは思いますが。
ブログにも、疲れは現れるのでしょうね。
もちろん精神的疲れですが。
節子がいたら、精神的な安定をいろいろと調節でき、疲れの解消もできるのでしょうが、一人だとなかなかそれが難しいことは間違いありません、
夫婦はお互いに相手に対して問題警告機能と問題解消機能を持っているように思います。
相互に問題を発生させる機能ももちろんありますが、長年きちんと連れ添っていると、問題発生よりも問題解消の機能のほうが高まるのではないかと思います。

Sさんは、私がいろんなことに関わっていることが疲れの原因だとご指摘ですが、まさにそうかもしれません。
せっかく畑仕事で元気になって戻ってきて、パソコンを開いて、あるメーリングリストを見たら、またいささか不快なメールが目に付きました。
あるメーリングリストで、ある人がある人を(いずれも私には全く面識のない人です)「心が病んでいる」と糾弾したので、その(糾弾された)人の投稿から私は学んでいますと投稿したら、私まで怒られてしまいました。
そう言う人に限って、自分は実名を名乗りません(ちなみに、糾弾された人は実名を名乗っています)。
なんだか嫌な気分になってしまいました。
まあ、メールやブログをやっているとこんなことはよく起きます。

節子がいなくなってから、ネットでメールしたり投稿したりすることが増えました。
増えるとどうなるか。
こうした不快なことも増えるのです。
それも多くはバーチャルな世界での不快事です。
節子がいたら、何と言うでしょうか。

パソコンの世界でばかり時間を過ごさずに、ちゃんと生きなさいよ。
そういうかもしれません。
節子は、パソコンに向かっている私が嫌いだったのです。
節子がいたら、今ほどにはネットの世界での人とのつながりは多くはならなかったでしょう。
パソコンに向かわずに、花見にでも行って、そこで誰かに出会っていたことでしょう。
節子がいないので、パソコンに向かうしかないのです。
そしてますます気分的に疲れてしまう。
さてどうやって抜け出すか。
今日は実は病院に予約していたのですが、あまり行く気になれずキャンセルしてしまったので暇なのです。
今日はもう畑には行きたくありませんし、さてどうするか。
困ったものです。

節子に愚痴をこぼせないので、今日は挽歌で愚痴をこぼしてしまいました。
すみません。

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■被害者から加害者へ

地震・津波被災への世界各国からの日本へのエールは、今月に入り、原発事故への対処の不手際から汚染を拡散するテロ国家とさえ言われるほどの非難へと変わりだしているようです。
いつの間にか、私たちは被害者から加害者へと立場を変えつつあるわけです。
被害者意識はだれもがすぐ持ちますが、加害者意識はなかなか自覚できないものです。

これはしかし、今回の大震災に限った話ではありません。
日常生活の上でも、よく起こることです。
加害者なのに被害者だと思い違いしてしまうことは、よく起こることです。
私も注意しなければいけません。

しかし、よく考えると、被害と加害は関係性の問題ですから連続しているのです。
加害者は被害者であり、被害者は加害者であるということが成り立つわけです。
言い方を替えると、加害者にも被害者の要素があり、被害者にも加害者の要素があるということです。
そしてそれが、お互いの関係における寛容さを生み出すのではないかと思います。

被災地支援は別にして、原発事故に対しては、いまそうした寛容さが求められているように思います。
政府や東電の姿勢には怒りを感じますが、いまはそうした小さな怒りにとらわれている時期ではありません。
最近は、自分にそう言い聞かせながら、誰かの加害者にならないように、ゆっくりと生きるようにしています。

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2011/04/10

■節子への挽歌1315:癒す生気

節子
近くの手賀沼沿いの道路の両側の桜が満開です。
きっと近くのあけぼの山公園の桜も見事なことでしょう。
節子がいたら、お弁当を持ってお花見でしょうが、残念ながらわが家は誰も行こうとは言いません。
今年もお花見のない春で終わるでしょう。

ところが今日、ユカと一緒にお墓参りに行ったのですが、そこに赤とピンクの見事な花を咲かせている樹がありました。
今までもあったのでしょうが、気づきませんでした。
どうも桜のようなのですが、普通の桜とはちょっと違います。
何という桜でしょうか、今度、住職に会ったらお訊きしようと思います。

新聞によれば、津波に襲われた被災地の人たちも桜を楽しみに待っているそうです。
花が人の心を癒す効果は大きいです。
私もお花見には行きませんが、桜の花には癒されます。

癒される。
自分でもよくわからないのですが、実は癒されることへの抵抗がどこかにあるのです。
癒されたいはずなのに、素直に癒されることを受け入れられない自分がいるのです。
節子がいなくなってから、私の心身がひねくれてしまったからかもしれませんが、自分にもどうにもできない素直でない自分がいるのです。

しかし、癒されるのではなく、自らを癒すことには抵抗はありません。
と、ここまで書いてきて、昔、「癒し」は自動詞だと書いたことを思い出しました。
それをホームページやブログで探しましたが、見つかりません。
困ったものです。

癒されるためには、自らを癒す生気がなければだめなのです。
自らの中に「癒す生気」が戻ってくるのを待たなければなりません。
最近またそのことを忘れていました。

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2011/04/09

■原発を選んだ時に終わった

歴史の変わり目というのは、こういうものかなと、最近思うようになりました。
私が、社会の地殻変動を感じていたのは、1980年代でした。
当時はよく「地殻変動」という言葉を使っていました。
大企業の解体とか、地方分権ではなく地域主権、あるいは住民参加ではなく行政参加という発想で、拙文を書いたり、活動したりしていました。
しかし、いずれも見事に空振りでした。
2000年代に入り、ほかの人がよく使うようになる頃には、私自身にはその感覚はなくなり、地殻崩壊というイメージが強まりました。
NPOが動き出しましたが、市民社会論者への不信感のほうが強くなってきました。

そしていま、明らかに、日本社会は崩壊しつつあります。
文字通りの地殻崩壊まで起こってしまいました。
しかし、どうも社会の受け止め方は私の感覚とは違います。

ややこしいのは、今、2つの全く異質な問題が同時発生していることです。
地震・津波災害と原発事故災害です。
前者は、大勢の死者を出しましたが、まだ救いはあります。
未来があるからです。
改めようもあります。
しかし、後者には救いがありません。未来までを破壊したからです。
これまで語られてきた環境破壊とはまったく違います。
その違いの、あまりの大きさには言葉がありませんが、私自身、こんなことは起こるまいとどこかで思っていたように思います。

原発を選んだ時に始まった、と前に書きました。
正確には、原発を選んだ時に終わった、と言うべきだったかもしれません。
終わったのは、日本だけかもしれません。
スリーマイル島もチェルノブイリも、世界を壊したわけではないからです。
しかし、私にはこれが終わりの始まりのような気がしてなりません。

世界は、ほころびだすと急速にほころんでいきます。
滅びの渦中にいては、それはわかりません。
最近、私の心身がうまく現実に反応しません。
どこかに違和感が生じるのです。
報道されていることに、現実感を持てません。
自分がなにやら「虚ろな世界」にいるような気がしてなりません。

にもかかわらず、私自身これまでと同じ生き方の延長にいます。
今日は仲間と一緒に、認知症予防関係のフォーラムを開催してきました。
みんなと打ち上げをしていて、何でこれまでと同じ生き方をしているのだろうと、自分ながらにおかしな気がしてきました。
これは終わった世界の残像ではないのか、という気さえするのです。
しかし、人は、もし仮にそうであっても、生き方を変えることなく、生きつづけるのかもしれません。
社会(組織)がなぜ滅びるのか、最近わかってきたような気がします。

暗い記事ですみません。
最近いささか疲れきっています。

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2011/04/08

■情報のシャワー

相変わらずテレビは原発と震災被災地の話で埋まっています。
新聞も同じです。
東京都知事選も統一地方選も、リビアも北朝鮮も、子ども手当ても特捜部の犯罪も、みんな見えなくなってしまっています。

私は最近、テレビをあまり見なくなりましたし、新聞はほとんど読まなくなりました。
同じような話が繰り返し、感動的に、あるいは告発的に、語られるのには辟易しています。
どうせ、感動的な報道をしたいという人がやっているのでしょう。

記者会見もそうですが、情報は流せば流すほど、意味を希薄化させます。
相手をごまかす最高の方法は情報の過剰提供ですが、まさにそれによって私たちの情報感度は擦り切れてきているようです。

原発や放射能の危険性や安全性に関して、いろんな人がいろんな話をしていますが、果たして見ている人がいるのでしょうか。
テレビのキャスター自身が「わからない」と言っていますが、わからないといいながら報道している姿勢が私には理解できません。
そんな報道なら、サルでもできるでしょう。
私にはなぜテレビが毎日、自分でもわからない技術的な話を繰り返し説明しているのか理解に苦しみます。
小学校の夏休みの宿題のように、きれいに図解するのは、最近の学校教育の成果でしょうか。
勉強はできても生活できない人が増えていることがよくわかります。

それにしても、毎日毎日、シャワーのように浴びせられる情報で、現実の世界は掻き消されそうです。
そしてある日、突然に現実の危険がやってくるのでしょうか。

いまやるべきは、原発からいかに抜けるかを考えることだと、私は思うのですが、まだ原発が発電コストが一番安いなどと思っている人がいるのが驚きです。

テレビの報道番組を元に戻して欲しいものです。
ただでさえ視野狭窄になってきている私たちの目が、ますます視力を落としているのが恐ろしいです。

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■節子への挽歌1314:人はそれぞれの世界に生きています

節子
地震や原発事故の先行きはまだ見えてきません。
その支援に駆け回っている人がいる一方で、まるで地震や津波がなかったようにいつもと同じように過ごしている人もいます。
いろんな人からメールが来ますが、まさに人の生きている世界はそれぞれだと改めて実感します。

今回のような大きな異変の発生後でもそうなのですから、節子がいなくなっても、私以外の人にとっては、世界はなんら変わらなかったはずです。
変わったのは、私だけだったのかもしれません。
また「死にがい」という玄侑宗久さんの言葉を思い出してしまいました。
宗久さんは、人がどのくらい変わるかが「死にがい」だと言いました。

人の生は絡み合っています。
何回も書いているように、夫婦や家族の生はとりわけ絡み合っています。
それぞれの生の境界さえ、時にわからなくなっています。
ですから、その死は、自らの生のある部分を道ずれにしていくわけです。
変わらないはずがありません。
しかし、その絡み合い方で、変わり方はいろいろなのでしょう。

今回の地震で夫を亡くしたフィリンピン女性の話が前にテレビで報道されていました。
故国の両親からは帰ってこいと電話がかかってくるそうですが、日本に残っているそうです。
亡夫の父親がうれしそうでした。
息子が幸せな生を生きていたことがうれしかったのでしょう。
彼女の気持ちもよくわかるような気がしました。

ところで、人がどんな世界に生きているかは普段外からはわかりませんが、何か事件(たとえば今回の地震や、私の場合には妻の死)が起こると、その見えなかったそれぞれの世界が見えてくることがあります。
それは予想とは全く違うものであることも少なくありません。
そして、友人を失うこともあれば、友人を得ることもあるのです。

普段は見えない、それぞれの生きている世界が見えてくる。
それは同時に、自らの生きている世界が見えてくることでもあります。
そして、自らの生き方を問う正す機会かもしれません。
私自身は、いま少し自己嫌悪に陥っています。
なぜもっと信念に生きなかったのか、と。

節子がいる時には、気づかなかったこともたくさんあります。
いまさら気づいても遅いのですが。

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2011/04/07

■自然からのメッセージ

東日本大震災の先行きはまだ見えてきません。
新しい始まりになるという「期待」を地震直後に書きましたが、それが現実性を持ち出しています。
そうした論調がマスメディアでも語られるようになってきました。

昨年、韓国にいる佐々木さんからのメールで、問題は「電気」なのだと気づいたことは、「コモンズを荒らした犯人」で書きました。
まさか、そのことがこれほど早く明白になろうとは思ってもいませんでした。
一昔前には、石油の消費量が文明の度合いに擬せられたことがありますが、昨今は電気が文明度のものさしだったわけです。
しかし、それがいま問い直されようとしている。

「電気が足りない」状況であれば、2つの選択肢があります。
発電量を増やすか、電力消費量を減らすかです。
しかし、後者の選択肢は実際にはありえませんでした。
経済の基本は成長だったからです。
その「ありえなかった」選択肢が、いまや語られるようになってきたのです。
にわかには信じにくいですが、これほど明確に言われ出していますから、もう「スローガン」で止まることはないはずです。
経済成長路線の見直しが現実の選択肢になってきたといっていいでしょう。
ちなみに、経済は成長しなくても雇用を増やすことはできます。

今日の挽歌編に書いたのですが、
地震のあった後、「絆」とか「つながり」という言葉がテレビから毎日流れてきます。
そうしたことを志向した生き方をしてきた一人としては、逆に大きな違和感があります。
素直でないのかもしれませんが、いかにも白々しく感ずるのです。
挽歌には、「功利主義的な、あるいは人間中心的な、絆やつながりへの呼びかけ」と書いてしまいました。
被災地に行って、すでに汗を流している友人もいますし、そうした人たちの純粋さも知っています。
しかし、お金稼ぎを奨励してきた人たちが、急に「絆」とか「つながり」とか言っても、ピンときません。
どこかに功利主義の匂いを感じてしまいます。
また「つながり」という言葉も、人のつながりだけが伝わってきて、そこにも違和感があります。

今回の地震や津波、そしてそこから発生した原発事故の基本にあるのは、自然とのつながり、自然との絆の軽視だったのではないかと思います。
要するに自然としっかりと付き合わずに、人間中心的で、自然を見下してきたことの結果だったのです。
挽歌にも書いたように、それこそが、今回、自然からもらった大きなメッセージだったのだろうと私は思っています。
だとしたら、人のつながりを越えた大きなつながりを考えなければいけません。
もちろん「人のつながり」も大事ですが、そのために自然や文化や歴史とのつながりを軽んじていいわけではありません。
最近のテレビの報道を見ていると、あいかわらず自然とのつながりや絆には無関心です。
そんな絆やつながりなら、またきっと今回と同じ繰り返しに見舞われるでしょう。

地震や津波は自然現象ですが、それによって起こされる災害の多くは「人災」です。
自然との付き合い方を忘れて、過剰な電力を求めすぎてきた、これまでの生き方を見直せるのは、私たち一人ひとりでしかありません。

そろそろ「経済成長期待」発想を捨てたいものです
成長を追い続ける政府への期待は捨てなければいけません。

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■節子への挽歌1313:花木への声かけをさぼっていました

節子
昨日、久しぶりに本郷のオフィスに行きました。
最近はあまり行っていないのですが、ここは以前コムケアセンターの事務所にしていました。
節子が病気にならなければ、コムケア活動も少し展開が変わったでしょうが、残念ながらこれからという時に節子の病気が発見されました。
活動を支援してくれていた住友生命にお願いして、活動を終わらせる予定だったのですが、やれる範囲でやってもらえればいいという好意ある対応をしてもらいました。
そのおかげで、止めることもなく、かといってやらなければいけないこともなく、その時々の私の状況に合わせて、ゆるやかな活動として続けさせてもらってきました。
節子が一時期、元気になった時には、節子も活動に参加しました。
節子がいなくなった後の私を元気づけてくれたのも、コムケアの仲間でした。
考えようによっては、コムケア活動のおかげで、私の世界は閉じられずにいたといえます。

本郷のオフィスには節子も何回か来たことがありますが、節子が持ってきたポトスが今もとても元気です。
昨日、なぜかそのポトスがとても気になりました。
いつもは見過ごしていたのですが。

湯島のポトスも元気です。
季節の変わり目に節子は植え替えなどをしていましたが、そんな手入れもしないまま、5年近くが経っています。
地震騒ぎで、最近かなり放置してしまっていたので、その残されたわずかの鉢物の元気がなくなっているのに気づきました。
生きている生命は、やはり心をかけていないと気が弱まるのでしょうか。
水をやるだけではだめなのです。
そう言えば、最近、あまり声をかけていませんでした。

地震のあった後、絆とかつながりとかといった言葉がテレビから毎日流れます。
そうした言葉は「連呼する言葉」だとは思えませんが、そうしたことへの関心が高まることは悪いことではありません。
しかし、身の回りの植物を枯らせてしまうようでは、絆もつながりもあったものではありません。
功利主義的な、あるいは人間中心的な、絆やつながりへの呼びかけに、最近少し違和感を持っています。
最近のテレビの報道を見ていると、あいかわらず自然とのつながりや絆には世間は無関心です。
それが今回の、自然からのメッセージだろうと私は思っています。
節子がいたら、どういうでしょうか。
きっとそう思うはずです。
節子も原子力は嫌いでしたし。
もう少し花木に心を向けなければいけません。

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2011/04/06

■私たちの知的怠惰さが、生を阻む原発を認めてきた

■私たちの知的怠惰さが、生を阻む原発を認めてきた(2011年4月6日)
ソンミ村虐殺事件の真相解明に関わったM・スコット・ペックは、アメリカが国をあげてベトナム戦争を推進したのは何故かということに関して、こう書いています。

一国の国民全体が理由も知らずに戦争に向かうなどということが、どうして起こるのであろうか。その答えは単純なものである。国民としてのわれわれは、あまりにも怠惰なために学ぶことをせず、また、あまりにも傲慢なために学ぶ必要すら意識していなかったのである。自分のものの考え方がいかなるものであれ、それが正しい考え方だと信じこみ、それ以上調べてみようともしなかったのである。(「平気でうそをつく人たち」草思社)。
最近の福島原発事故に関する動きを見ていて、この本を思い出しました。
ペックは、知的怠惰と病的ナルシシズムが、邪悪を生み出すといいます。
本書で「邪悪さ」と訳されているのは、英語では evil です。
evil のつづりをひっくり返すと live。
つまり、邪悪さとは生を阻むものです。

この本の中で、「邪悪さ」は病気であると主張しています。
しかもその「邪悪さ」はすべての人の心身の中にあると言うのです。
私は、この本を読んだ時、自分が邪悪な存在ではないかと反省しました。
今でも完全には、その思いを否定できてはいません。

私たちの知的怠惰さが、生を阻む原発を認めてきたと言ってもいいでしょう。
政府や東電を責めるなとは言いませんが、その自覚のない言動には共感を持てません。

福島はますます深刻になってきました。

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■節子への挽歌1312:アーモンドの花

節子
アテネにいる写真家の橋本さんが、ギリシアのアーモンドの花の写真を送ってきてくれました。
アーモンドは、桜に似た花です。
節子とギリシアに行ったのは3月でした。
アーモンドの花も見た記憶があります。

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(撮影:橋本武彦)

ギリシアと桜と言えば、思い出すのはスニオン岬です。
前にも書きましたが、節子はスニオン岬に桜を植えたいと言ってギリシア観光局にまで手紙を書いたことがありました。
あの手紙は出状されたのかどうか、あまり記憶が定かではありません。
最近急速に記憶が曖昧になってきています。
生命現象として、これは健全なことなのでしょう。
記憶がいつまでも鮮明なのは、決していいことではありません。

アーモンドの花言葉は「希望」。
春はみんなに希望をふりまく季節です。
私でさえも、時にその気なります。
東北の被災地の人たちを思って、今年は花見を自粛する動きがあります。
わが家の近くのあけぼの山公園でも花見のイベントは中止のようですが、こういう時こそ桜から元気をもらわなければいけません。
というように、他人事だとそう思えるのですが、いざ自分のことになると桜を楽しむ気にならないのはなぜでしょうか。

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2011/04/05

■嘘をつくとどうなるか

そろそろ福島原発事故の嘘が限界を超え出しました。
放射性物質の海への放出が始まりました。
いかにも唐突ですが、たぶん事態を知っている人にとっては予想されたことでしょう。
さらにその先のこともたぶん見えているのでしょう。
それをどう公表していくか、おそらくパニック回避の従来発想で検討されているはずです。

最近、私の住んでいる千葉県北西部では余震が頻繁に起こります。
それもかなり長く体感できるものです。
しかし、最近はまたかという感じで、あまり気にしなくなりました。
人の「慣れ」はすごいものです。
危険情報にも同じように慣れていくのでしょうか。

原発事故による放射線汚染は、しかし地震とは違います。
地震は秩序を回復しようという、いわゆるホメオスタティックなエネルギーです。
しかし、原発事故は秩序を破壊しようというエネルギーですから、ベクトルが正反対です。
この違いは極めて大きい意味を持っています。
つまり、収斂に向かうか、拡散に向かいかということです。
前者においては、嘘は次第に解消されますが、後者の場合、嘘は深化されがちです。
そして限界が来て、破綻するわけです。

私の数少ない生活信条のひとつは、嘘をつかないことです。
正直でありたいからではありません。
それが一番生きやすいからです。
なぜみんな生きにくい生き方を選ぶのか、私にはよくわかりません。
しかし、嘘をついていいことは何もないはずなのですが。

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■現場との距離

昨日、東京電力の福島支社の担当の方が記者会見で、声を詰まらせていました。
今回の事故に関わる記者会見で初めて見た、人の表情です。
その後、東京本社の担当の方の記者会見が放映されましたが、両者には大きな違いがあります。
表情を出せばいいということをいいたいわけではありません。
その違いに、大きな意味を感じるのです。

現場からの距離によって、現場の見え方は変わってきます。
しかも、現場からの距離は仕事の細分度(分業度)と比例しています。
いいかえれば、責任感が希薄になるということです。
あるいは物事を客観的に把握できるようになるという言い方もできるかもしれません。

実はそこにこそ「近代の本質」が象徴されているように思います。
客観性は、真実性とつながるわけではありません。
私は、人の表情の中にこそ、真実が見えると思っている人間です。
昨日の福島支社の記者会見のメッセージは、とても大きなメッセージだったと思います。

そろそろ近代は終わらせなければいけません。

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■節子への挽歌1311:ヨモツヒラサカの巨石

彼岸と此岸の間を行き来できなくなったのは、日本の場合、7世紀ころだと思われます。
それまでは彼岸につながる通路は、おそらくいたるところにあったのでしょう。
その通路が断ち切られたのは、イザナギの愚行です。
彼岸に旅立ったイザナミを追いかけて黄泉の国に行ったのはいいのですが、黄泉の国での妻の姿に恐れをなして、逃げ帰ってきたのです。
イザナギの裏切りによって、彼岸と此岸をつなぐ通路だったヨモツヒラサカは、千人で押しても動かないほどの巨石でふさがれてしまったのです。
これは「古事記」に語られていることです。

巨石でふさいだのは誰か。
西條勉さんは、近著「古事記神話の謎を解く」(中公新書)で、それが行われたのは日本書記や古事記が編纂された時代だと言います。
だとしたら、天武か持統か、あるいは藤原不二等かもしれません。
なんとまあ、罪つくりのことをしでかしたものです。

しかし、ふさがれたものであれば、また通ずることもあるでしょう。
もしかしたら、今回の原発事故が奇跡を起こすかもしれません。
巨大なエネルギーは、時に時間軸を、そして空間軸を組み換えてしまいます。
先月起きた大地震は、それほどのエネルギーはもっていなかったでしょうが、その発端だった可能性はあります。
それに、これまた不謹慎な話ではありますが、福島原発の先行きは、そう楽観できるものではありません。
残念ながらチェルノブイリ以上の惨事になるおそれさえあります。
それがいつ起こり、どこまでいくのかは、わかりませんが、一つの世界が終わったことは間違いないでしょう。
その渦中にいる私たちには、おそらく最後まで気づかないほどの大きな変化を起こしていくはずです。

その変化の一つとして、ヨモツヒラサカの巨石が粉々に壊されてしまうことは、十分にあり得ることです。
愚かな妄想と思われるかもしれません。
しかし、世の中に、絶対の公理などないのです。
可能性がゼロの予想は、ありえません。
予想できることは、すべて可能性があることなのです。

もし彼岸に行けたとしたら、どんな節子に会えるのか。
いささかの不安といささかの楽しみがあります。
いささかの覚悟も必要でしょうが。

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2011/04/04

■相撲界はこれでいいのか

大震災騒ぎの陰で、八百長相撲問題がかなり強権的なやり方で決着しようとしています。
相撲協会は自らの責任を認めることなく、相変わらず弱い立場の力士の犠牲の上に生き残ろうとしているように思います。
相撲界以外から問題解決に参加した人たちの見識を疑います。

この問題は、私には非常に大きな意味を持っているようにもいます。
責任を問うべき対象が間違っていると、私は最初から思っていますが、実はそうした構造は相撲界だけに限りません。
これまでの数十年の日本社会の責任の取り方が、そこに象徴されているように、私には思えるのです。

何回か書いていますが、近代の組織原理は、ピラミッド構造を維持しながら、責任を曖昧にすることを一つの基本にしています。
であればこそ、組織に関わる人の責任感が重要になってきます。
あるいは問題が発生した時に、責任の所在を問う仕組みが重要です。
責任を考える人は、所在する問題の世界を超えた世界に生きている人でなければいけません。
問題が把握できないからです。

そうしたことは、最近の原発事故対応を見ているとはっきりとわかります。
相撲界においても、全く同じです。
解決に当たっている人たちの世界は、あまりに狭いように思います。
それは当初の記者会見を見ていて、わかりました。
詰まり当初から問題を解決使用などとは誰も思っていなかったのでしょう。
そして、結局は弱いものが切られてしまったわけです。
小さな正義感は大きな正義感を壊すばかりでなく、仕組みそのものを壊しかねません。
ここにも、今の原発事故問題と同じ関係が成り立っています。

原発事故対応と八百長相撲問題対応が、あまりにも似ているのには驚きます。
つまり、それが今の社会の基本構造なのでしょう。
世界はフラクタルなミクロの積み重ねなのだと、つくづく思います。

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■情報は家畜への餌ではない

記録の意味でも書いておこうと思います。
昨日のテレビ朝日の「サンデーフロントライン」の「どうなる福島第一原発」特集で、東京電力の協力企業社長のインタビューが放映されていました。
顔にモザイクをかけた映像でしたが、モザイクはかなり粗く、誰であるかは容易に特定できる映像でした。
そこに、その社長の覚悟を感じました。
社長はいま、福島原発の現場で回復作業を行っており、いわゆる「フクシマ50」と言われだしている「ヒーロー」の仲間です。

社長は涙声で話していました。

「俺はずっとみんなに、『原子力発電所はルールに従って運転すれば安全だ』と言ってきた。お年寄りが俺に原発のことを聞くんだ。で、俺は『原発は安全だよ。そうでなきゃ原発から3キロ以内に住むわけないよ』と答えると、『そりゃそうだな』と納得してくれたんだよ。それがこんなことになってしまった。俺は地元を裏切り、ご先祖を裏切り、社員を裏切り、日本国中を裏切ってしまった。
でも、愚痴を言っている場合じゃない。ただ、俺たちは原発のヒーローにはなりたくない。当たり前のことをやっているだけなんだ」
この文章は、ある人が送ってきてくれたメールを転用させてもらいましたが、私の記憶と同じです。

その時の雰囲気から、社長は安全を信じていたわけではなかったように思いました。
かといって、疑っていたわけでもない。
要は考えていなかったのです。
私たちの多くと同じように、です。
それがこの数十年の日本の社会でした。
お金が最優先されたのです。

この社長が告白しているように、みんながお互いに原発の安全神話を創りだしてきたのです。
もちろん、そうした状況を仕組んだ人たちはいるわけですが、電気利用者はすべて例外なく、原発の恩恵を受けてきたのですから、よほどの行動をしてきた人以外は、自業自得なのだろうと思います。
前に書いたように、原発を許したときに、すべては始まっていたのです。
まずは自らの責任を自覚してから、他者の責任を追及すべきです。
東京電力の前でデモをする人たちには、その覚悟がありません。

原発事故に関する政府の発表とは違う情報が流れています。
その中には扇動的なものも少なくないですが、そうではないものもたくさんあります。
大切なのは、現場の情報です。
ネットを活用すればかなり見ることができます。
さまざまなメーリングリストでも流れています。

いま私たちができることの一つは、自分でしっかりと情報を見つけ出すことではないかと思います。
これを機会に、情報環境を見直し、広げることをお勧めします。
情報は与えられるものではなく、発見するものであることはいうまでもないからです。
情報は家畜への餌ではないのです。

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■節子への挽歌1310:三春の実生の桜

節子
昨夜、NHK教育テレビで、玄侑宗久さんと吉岡忍さんが対談をしていました。
玄侑宗久さんは、芥川賞作家で、そのエッセイも話題になっている人ですが、一昨日、思い出した桜で有名な三春のお寺のご住職でもあります。
私自身は、玄侑さんの本はあまりピンと来なかったため1冊しか読んでいなかったのですが、昨日の対談の玄侑さんには、どこか心通ずるものを感じました。
その言葉ではなく、行動にですが。

私がテレビを見る気になったのは、前日に三春の桜を思い出したからです。
テレビも、最後の場面は三春の桜の話でした。
ただし、あの老木ではなく、地元の人が実生の桜の手入れをしているシーンでした。
大地にしっかりと根づき、何年も地域を守る桜は、実生でなければならないと、古老が話していました。
節子が蒔いた実生の樹がわが家の庭にもいくつかあるはずですが、私の手入れ不足で枯らしてしまったかもしれません。
これからはそういうことのないようにしようと思います。

玄侑さんのお寺は三春にありますから、今回の事故の福島原発からは45キロのところです。
原発事故が起こった当初から住民がたまたま測定していた放射能測定器は反応し、かなり高い数値だったそうです。
政府の発表のいい加減さは、実はいたるところに出ています。
まじめに自然と付き合っている人たちには、政府の話の虚実がよく見えるものです。

玄侑さんが、「死に甲斐」という言葉を発しました。
私の嫌いな、受け入れがたい言葉です。
しかし、玄侑さんは、「誰かがそれによって変わることが死に甲斐だ」というような主旨のことを話しました。
今回の震災でたくさんの人が亡くなりましたが、それで人々の生き方は変わるはずだ、そうでなければたくさんの人の死に甲斐がないと玄侑さんは言うのです。
反射的に、心で反芻しました。
節子には死に甲斐はあっただろうか。
節子の死は、私の人生だけでなく、世界観を変えました。
節子が、その死をもって私に教えてくれたことは、私の人生をも変えました。
節子には死に甲斐があったといえるでしょう。
昨夜は、少し安堵して眠りました。

しかし、朝起きてこの挽歌を書きだして気づいたのは、要するに「死を無駄にするな」ということなのです。
やはり私の感覚には合わないことに気づきました。
生にも死にも、無駄という概念はつながりようがないからです。
「死に甲斐」という言葉は受け入れがたいと,改めて思い直しました。

ただ、昨夜の玄侑さんには心通するところがありました。
著書を読み直してみようと思います。

古老が育てる三春の実生の桜は、来世、節子と一緒に見に行こうと思います。

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2011/04/03

■節子への挽歌1309:復興への不謹慎な思い

節子
被災地の復興の早さに驚いています。
同時に、「復興」という言葉に羨望も感じます。
これこそ不謹慎と非難されそうですが。

壊されたものには復興できるものとできないものがあります。
市街地がいまや泥沼のようになってしまい、近隣の地域に一時疎開していく住民たちが報道されていました。
その住民たちの地域の区長が、「自分たちの地域は自分たちで復興しなければ」と話していました。
しっかりと生活している人たちの覚悟と姿勢には、感動します。
その一方で、やはり復興という希望に対して、うらやましさを感じます。
こんなことを言ったら、私の人間性を疑われかねませんが。

被災者のなかには、伴侶や家族を失った人たちもたくさんいます。
すべての家族、さらには友人までも失った人もいるでしょう。
私よりも、もっと過酷な試練を与えられている人も、たくさんいるはずです。
なかには、なぜ自分だけが残されたのかと嘆いている人もいるでしょう。
その人に比べれば、私にはたくさんのものが残されています。
希望がない、という点でも、私などは恵まれていると言うべきです。

しかし、そうしたことはすべてわかってのことなのですが、
テレビに出てくる被災者が時にうらやましくなります。
彼らには進んでいく道がある。目指すべきものがある。
そんな気がするのです。

人は、一人で生き、一人で死ぬものだという人がいます。
私は、その言葉にはとても反発しますが、節子は一人で彼岸へと旅立ちました。
しかも、直る人もある病気が、その原因です。
人為では抗しがたい地震や津波のせいではないのです。
その不憫さから、なかなか抜け出られません。
その責めは、すべて私が負わなければいけません。

今回の地震や津波で命を失った人は3万人を越えるかもしれません。
気の遠くなる数です。
あまりに不謹慎で、文字にすることさえ躊躇すべきですが、なぜか私にはそれがうらやましいのです。
それに対して、一人で旅立った節子の不憫さ、その旅立ちを止められなかった自らの不甲斐なさ。
テレビを見ていると、突然、そんな思いが浮かんでくるのです。

壊されたものを復興できない者にとっては、被災者のみなさんを応援しつつも、時々どこかで、ふっと羨望の念に襲われるのです。
そんな思いは捨てて、自分のなかの希望を探し出すべきなのでしょうが。

希望もなく、生きつづけることは、実に辛いことです。
被災者のみなさんの希望が消えることのありませんように。

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■「国家的犯罪に加担したくない」というジャーナリスト

ジャーナリスト上杉隆さんがご自身のサイトで、一昨日、「無期限活動休止のお知らせ」を掲載しました。
http://uesugitakashi.com/
お知らせによれば、休止時期は今年の年末ですし、4月1日の掲載なのでエイプリルフールかもしれませんので、私にはあまり意味のある発言とは思えませんが、そこに書かれていることに興味を持ちました。

彼は活動休止の理由として、こう書いています。

これ以上、国際的にフェアな仕事のできない日本のメディアに関わることは、畢竟、自分自身も犯罪に加担していると疑われる可能性もあります。私はジャーナリストとして、国家的犯罪に加担したくないのです。
「国家的犯罪」。
この文章の前に、上杉さんはこう書いています。
今回の東京電力福島第一原発事故の例が示すように、自らの既得権益にのみ汲々とした日本の大手メディア(記者クラブ)は、結果として、政府と東電の「合成の誤謬」に加担し、憐れにも、先人たちの築いてきた日本という国の信頼を地に堕とす「共犯者」の役割を演じています。
かつて在籍したニューヨークタイムズ紙などの世界の論調を眺めていると、私はひとりの日本人ジャーナリストとして、いま強烈な無力感に襲われています。それは、あたかも日本政府は原子力エネルギーをコントロールできない無謀な「核犯罪国家」であり、また日本全体が先進国の地位から脱落して、今後数十年間にわたって「情報最貧国」に留まることが決定付けられているような書きぶりだからです。
小賢しい書き方だと思いますが、それはともかく、上杉さんが言う「国家的犯罪」とは、原発にまつわる情報の隠蔽という意味のように受け止められます。
上杉さんが、そうした犯罪加担的な記者クラブを改革していこうとしていたことはよく知られていることですが、彼の立場を考えると、かなり先での活動休止ではなく、現在時点での活動拡大こそが必要なのではないかと思います。

しかし、私が関心を持ったのは、「核犯罪国家」、そして政府と企業とメディアによる「国家的犯罪」という指摘です。
そこで使われている「国家」とは何なのか。
国民主権国家時代における国家とは、私たち自身のことでもあるのです。
つまり、私たち自らが犯罪に加担しているということです。
国家的犯罪と言ってしまうと問題は見えなくなってしまうのです。

そもそも国家とは、ある意味での犯罪集団、あるいは犯罪手段です。
国家が行うことは、それがいかに暴力的かつ不条理なことでも国内法的には犯罪にはなりません。
国際法的には犯罪になりますが、それは国際政治の材料になるということでしかありません。

国家的犯罪と言う必要はないのです。
マスコミの犯罪なのです。
その認識がなければ、いま起こっている全体像は見えてこないでしょう。
生情報が引き出されず、情報があまりに編集されすぎているところに、最大の問題があるように思います。
封じ込めるべきものは、放射能であって、生情報ではありません。
私たちも生情報への感度を高めなければいけません。

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2011/04/02

■節子への挽歌1308:春の便り

節子
春の初めに毎年届くのが蔵田さんのアサリと筍です。
その春の便りが今日、届きました。
節子の代わりにユカが調理してくれました。

また春がきました。
何回目の春でしょうか。
今年は大変な地震騒ぎで、花見も自粛気味ですが、私にとっては花見のない春はもう今年で4回目です。
といっても、庭の鉢植えの河津桜は毎年見ています。
その河津桜は、もう花はとうに散ってしまっています。

春が来たら、今年はちょっと出かけようかという気分に少しなっていたのですが、地震と津波のおかげで、その気分ももうどこかに飛んでしまいました。
今年もまた、きっといつの間にか梅雨に入り、夏になっているのでしょう。
季節と気持ちが、節子がいなくなってからは、いつもずれてしまっています。
節子は季節の人でしたから、私はいつも節子を通して、季節を感じていたのです。

今年の東北には、春はないのかもしれません。
しかし、人の社会はどうあろうと、花はいつものように咲くでしょう。
三春の桜はかなりの老木なので心配ですが、いまもきっと大地にしっかりと根を下ろして、いつもよりもがんばっていることでしょう。
福島の花見山も例年より華やかかもしれません。
自然は、必ず呼応しあっていますから、今年の東北の花はいつもよりも力強く咲くはずです。
そして、人の過ちを癒すように、人の心に元気を与えてくれるに違いありません。

節子のおかげで、東北の花はたくさん見に行きました。
しかし、まだまだ見ていないところがたくさんあります。
いずれも、もう見ることはないでしょう。

私への春の便りは、桜ではなくアサリと筍なのです。

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■危機を乗り越えるためには効力感が大切

危機を乗り越えるためには、効力感(エフィカシー)が大切だと言われます。

効力感とは、「あることを達成するために自分が首尾よく行動できるという予期に関する正の心理的感覚」です。
「ある状況下において必要な行動を効果的に遂行できると個人が前向きに認知した状況」にあるとき、効力感がある、と言えます。
効力感の有無は、動機に影響を与えるだけでなく、その成否を左右するとも言われています。
また、問題解決に当たる人が、効力感を持っているかどうかを、周りの人がどう受け止めているかも、その結果に大きな影響を与えるだろうと思います。
効力感は、主観的なものであると同時に、周辺との関係性と深く関わっているからです。
いわゆる相互主観的なものだといえるでしょう。

効力感は個人だけではなく、集団にも存在します。
そして、その集団的効力感はメンバーの効力感の総和ではなく、それぞれの効力感の相互作用の結果として生まれてくるといわれます。
集団的効力感が強い組織のほうが、目的の達成率が高いことは言うまでもありません。
集団的効力感への周辺の期待が、大きな意味をもつことも、個人の場合と同じです。

こうした危機管理の研究として、オウムサリン事件の時の聖路加国際病院や、阪神淡路大震災震の時の住友電工のケーススタディを踏まえた高田朝子さんの「危機対応のエフィカシー・マネジメント」(慶應義塾大学出版会)はとても示唆的です。
福島原発事故への政府の対応は、高田さんが示唆していることの正反対の動きにさえ感じます。

私が一番残念なのは、記者会見の際の人たちに効力感を感じないことです。
さらに悪いことに、当事者感さえ持てません。
菅首相に関しては、もはや論外ですが、こうした時にトップを変える勇気も必要なのだろうということにも気づかせてもらいました。

しかし、その一方で、さまざまな各地では効力感を持った人たちが活動をしているのでしょう。
そこでの効力感が、次の世代を変えていくかもしれません。
そうした新しい動きを、テレビがもっと伝えてくれれば、社会そのものが元気になって行くかもしれません。

改めて、「危機対応のエフィカシー・マネジメント」を読み直しました。
世間に出回っている退屈なリスクマネジメントとは違って、わくわくします。

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2011/04/01

■節子への挽歌1307:フェイスブックの魅惑

フェイスブックの話です。
この記事は時評編と螺旋的に絡み合って書いています。
今日の時評編に、フェイスブックに誰かの名前をいれると、その人にまで届く人の連鎖を明らかにしてくれるシステムができればいいと書きました。
たとえば、私がリビアのカダフィ大佐に会いたいとすると、カダフィと名前を入れると、まずは国連の職員だった友人の名前が出てきて、次にその友人のリビアの友人の名前、そこからリビアの人を介して、カダフィにつながるルートが見えてくるという仕組みです。
いまは、そうした探索を自らでやらないといけないのですが、システム的にはそう難しいことではないように思いますので、まもなく実現するでしょう。
もちろん、フェイスブックだけではだめです。
さまざまなネットワークがやわらかにつながってこそ、できることです。
これは華厳経のインドラの網につながります。
それができると、世界は大きく変わるように思います。

さてここまでは時評編の話ですが、ここからが挽歌編です。
そこに佐藤節子の名前を入れたらどうなるか。
もちろんその答えは明確で、退屈なのですが、一瞬、もしかしたら彼岸の節子にまでつながるかもしれないと思わせるような不思議さが、フェイスブックにはあるのです。
節子がもしフェイスブックの世界に入り込んでいたら、どうなっていただろうかと、ふと思います。
そして、秦の始皇帝でさえ手に入れられなかった、不死の生命が得られたかもしれません。
映画「マトリックス」の世界、あるいは、ヴァレルのオートポエティックな世界です。
彼岸と此岸がつながっていることがわかれば、時間は変質します。

フェイスブックは魅惑的な世界です。
彷徨いたら、いつか節子に出会えるかもしれません。
そんな気にさせる世界です。

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■フェイスブックとスモールワールド

昨日の挽歌編にフェイスブックのことを書きましたが、そこでは内言語と外言語に言及しました。
時評編では、スモールワールドの話につなげたいと思います。

スモールワールドは、このブログや私のホームページで何回か書いていますが、世界中の人は6~8人くらいの人を介してみんなつながっているという話です。
それを検証したミルグラムの社会実験は有名です。

フェイスブックは、そのネットワークの中で思いもしなかった旧友に出会うことがあります。
このネットワークのおかげで、さらに世界は小さくなったかもしれません。

そこでこんなことを考えてみました。
だれかつながりたい人がいるとします。
その人の名前を入れると、その人にまで届く人のつながりがわかるという仕組みはできないものでしょうか。
技術的には簡単なような気がします。

どなたかその仕組みをつくってくれないでしょうか。
あるいはすでにあるのであれば、どなたかそのやり方を教えてくれませんか。

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