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2011/04/08

■節子への挽歌1314:人はそれぞれの世界に生きています

節子
地震や原発事故の先行きはまだ見えてきません。
その支援に駆け回っている人がいる一方で、まるで地震や津波がなかったようにいつもと同じように過ごしている人もいます。
いろんな人からメールが来ますが、まさに人の生きている世界はそれぞれだと改めて実感します。

今回のような大きな異変の発生後でもそうなのですから、節子がいなくなっても、私以外の人にとっては、世界はなんら変わらなかったはずです。
変わったのは、私だけだったのかもしれません。
また「死にがい」という玄侑宗久さんの言葉を思い出してしまいました。
宗久さんは、人がどのくらい変わるかが「死にがい」だと言いました。

人の生は絡み合っています。
何回も書いているように、夫婦や家族の生はとりわけ絡み合っています。
それぞれの生の境界さえ、時にわからなくなっています。
ですから、その死は、自らの生のある部分を道ずれにしていくわけです。
変わらないはずがありません。
しかし、その絡み合い方で、変わり方はいろいろなのでしょう。

今回の地震で夫を亡くしたフィリンピン女性の話が前にテレビで報道されていました。
故国の両親からは帰ってこいと電話がかかってくるそうですが、日本に残っているそうです。
亡夫の父親がうれしそうでした。
息子が幸せな生を生きていたことがうれしかったのでしょう。
彼女の気持ちもよくわかるような気がしました。

ところで、人がどんな世界に生きているかは普段外からはわかりませんが、何か事件(たとえば今回の地震や、私の場合には妻の死)が起こると、その見えなかったそれぞれの世界が見えてくることがあります。
それは予想とは全く違うものであることも少なくありません。
そして、友人を失うこともあれば、友人を得ることもあるのです。

普段は見えない、それぞれの生きている世界が見えてくる。
それは同時に、自らの生きている世界が見えてくることでもあります。
そして、自らの生き方を問う正す機会かもしれません。
私自身は、いま少し自己嫌悪に陥っています。
なぜもっと信念に生きなかったのか、と。

節子がいる時には、気づかなかったこともたくさんあります。
いまさら気づいても遅いのですが。

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