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2011/04/11

■被害者から加害者へ

地震・津波被災への世界各国からの日本へのエールは、今月に入り、原発事故への対処の不手際から汚染を拡散するテロ国家とさえ言われるほどの非難へと変わりだしているようです。
いつの間にか、私たちは被害者から加害者へと立場を変えつつあるわけです。
被害者意識はだれもがすぐ持ちますが、加害者意識はなかなか自覚できないものです。

これはしかし、今回の大震災に限った話ではありません。
日常生活の上でも、よく起こることです。
加害者なのに被害者だと思い違いしてしまうことは、よく起こることです。
私も注意しなければいけません。

しかし、よく考えると、被害と加害は関係性の問題ですから連続しているのです。
加害者は被害者であり、被害者は加害者であるということが成り立つわけです。
言い方を替えると、加害者にも被害者の要素があり、被害者にも加害者の要素があるということです。
そしてそれが、お互いの関係における寛容さを生み出すのではないかと思います。

被災地支援は別にして、原発事故に対しては、いまそうした寛容さが求められているように思います。
政府や東電の姿勢には怒りを感じますが、いまはそうした小さな怒りにとらわれている時期ではありません。
最近は、自分にそう言い聞かせながら、誰かの加害者にならないように、ゆっくりと生きるようにしています。

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» 全ての原子力発電所が脆弱なのだろうか?-大惨事は、いつも想定外 [マスコミに載らない海外記事]
Washinton's Blog 2011年4月8日 大惨事が起きる度に、責任を追うべき連中は、責任逃れをするため、それは想定外だったと主張する。 例えば: 9/11の時がそうだった。 金融危機の時がそうだった。 BPの石油流出時がそうだった(これ、これ、これ、これ、および、これをご覧頂きたい) 日本の原発事故の時がそ... [続きを読む]

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