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2011/04/07

■節子への挽歌1313:花木への声かけをさぼっていました

節子
昨日、久しぶりに本郷のオフィスに行きました。
最近はあまり行っていないのですが、ここは以前コムケアセンターの事務所にしていました。
節子が病気にならなければ、コムケア活動も少し展開が変わったでしょうが、残念ながらこれからという時に節子の病気が発見されました。
活動を支援してくれていた住友生命にお願いして、活動を終わらせる予定だったのですが、やれる範囲でやってもらえればいいという好意ある対応をしてもらいました。
そのおかげで、止めることもなく、かといってやらなければいけないこともなく、その時々の私の状況に合わせて、ゆるやかな活動として続けさせてもらってきました。
節子が一時期、元気になった時には、節子も活動に参加しました。
節子がいなくなった後の私を元気づけてくれたのも、コムケアの仲間でした。
考えようによっては、コムケア活動のおかげで、私の世界は閉じられずにいたといえます。

本郷のオフィスには節子も何回か来たことがありますが、節子が持ってきたポトスが今もとても元気です。
昨日、なぜかそのポトスがとても気になりました。
いつもは見過ごしていたのですが。

湯島のポトスも元気です。
季節の変わり目に節子は植え替えなどをしていましたが、そんな手入れもしないまま、5年近くが経っています。
地震騒ぎで、最近かなり放置してしまっていたので、その残されたわずかの鉢物の元気がなくなっているのに気づきました。
生きている生命は、やはり心をかけていないと気が弱まるのでしょうか。
水をやるだけではだめなのです。
そう言えば、最近、あまり声をかけていませんでした。

地震のあった後、絆とかつながりとかといった言葉がテレビから毎日流れます。
そうした言葉は「連呼する言葉」だとは思えませんが、そうしたことへの関心が高まることは悪いことではありません。
しかし、身の回りの植物を枯らせてしまうようでは、絆もつながりもあったものではありません。
功利主義的な、あるいは人間中心的な、絆やつながりへの呼びかけに、最近少し違和感を持っています。
最近のテレビの報道を見ていると、あいかわらず自然とのつながりや絆には世間は無関心です。
それが今回の、自然からのメッセージだろうと私は思っています。
節子がいたら、どういうでしょうか。
きっとそう思うはずです。
節子も原子力は嫌いでしたし。
もう少し花木に心を向けなければいけません。

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