■節子への挽歌1330:サイババも死を免れませんでした
節子
インドのサティヤ・サイババが死去しました。
84歳とはいえ、不治の病を次々と治した超能力者のサイババでさえ死を免れなかったわけです・
節子は、私とは違って、超能力とか超常現象とかをあまり信じない人でした。
私と結婚してからは、少し変わりましたが、それでも自分で納得できないことには納得できない近代的意味での現実主義者でした。
しかし私は、存在する物はすべて信ずるところから出発する、前近代的な現実主義者でした。
ですからサイババが行なう行為は、そのまま受け入れました。
サロンにある時、インドのサイババのアシュラムに行ってきた人が参加しました。
その人が、サイババの出した灰を持ってきてくれました。
私は舐めてみましたが、節子はどうだったでしょうか。
そのサイババが亡くなったのです。
不治の病を治してきたサイババ、アガスティアの葉を通してアカシックレコードも読んでいただろうサイババにとって、死とは何だったのでしょうか。
おそらくサイババにとっては、死は再生と同じなのでしょう。
サイババは、死を免れなかったのではなく、死を選んだのでしょう。
死は涅槃であり、死は解放かもしれません。
しかし残された者にとっては、死は死でしかないのが不思議です。
それにしても、節子と一緒にやっていたサロンには、実にさまざまな人たちがやって来ました。
サイババの訃報を聞きながら、いろんな人の顔を思い出しました。
人の死は、さまざまなことを思い出させます。
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