■節子への挽歌1324:無人島暮らし願望
節子
東日本大震災後、被災された人たちのために何かしたいという人が増えています。
この大震災が時代の流れを変えるのではないかという気がしていましたが、実際にそうなりそうな気配を感じます。
いろんな人がやってきて、そういうプロジェクトを話してくれます。
今日も若い女性が友人と一緒に飛び込んで来ました。
肝心の話が終わった後に、こんなことも考えているという話をしてくれました。
その話を聞きながら、ついつい節子がいたらなあと思いました。
それは五島列島の話です。
そこにかなり広い土地があり、そこを活かして何かできないかという話です。
被災者のためにということで話が出てきたのですが、私が考えたのは、被災者ではなく自分のためです。
節子が元気だったら、節子を説得して、残りの人生をそこで暮らせたのに、と思ったのです。
私は、人が大好きですし、人のつながりを育てるような活動もしています。
しかし、どこかで、すべての人のつながりを捨てて、節子と一緒に無人島で暮らしたいという思いも、ずっとあります。
人が大好きな反面、自分を含めて、人という勝手な存在への嫌悪感もあるのです。
ですから、誰もいない無人島に、節子と一緒にめたらどんなにいいだろうかと節子には時々話しました。
あなたにはそんな生活ができるはずがないと、節子は真に受けませんでした。
それに、私の飽きっぽさを知っていましたから、3日目にはやはり戻ろうといいだすだろうというのです。
確かに私は飽きっぽいのですが、このことに関しては私には自信がありました。
それに私は節子に飽きることはないのです。
それに、目移りするものがなければ、飽きることもないのです。
五島列島の写真を見ながら、こんなに美しい世界を、なぜ私たちは、見にくい都市に変え、息苦しい生活をしているのかと思いました。
生き方を問い直す機会にしなければいけません。
どんな復興をしようとしているのでしょうか。
いろんな人の話を聞きながら、だんだん冷めてくる自分に、また嫌悪感を強めています。
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