■節子への挽歌1322:節子への賛辞
節子
庭の手入れをさぼっています。
少し早めの還暦祝いに家族から造ってもらった庭の池は無残な姿になっています。
計画ではここにサワガニが定住しているはずなのですが、落ち葉で埋もれてしまい、サワガニはおろか、棲んでいるはずの金魚もめだかも見えません。
反省して、少しだけきれいにしました。
節子は前の家の時もそうでしたが、庭に池を作るのに反対でした。
庭に池を作ると良くないことが起こると節子は思っていたのです。
前の家では、確かに良くないことが起こり、池を埋めてしまいました。
しかし、それに懲りずに、今の家に転居した後、私がまた池が欲しいと言い出しました。
家族はみんな反対でしたが、私の希望が強かったため、転居して少ししてからみんなで池を造ってくれたのです。
小さな池ですが、2つあって、上の池から下の池に水が流れる仕組みになっています。
その池には何回もサワガニを放しましたが、棲み付きません。
節子は無理だといつも言っていましたが、それでも私がサワガニを買いに行ったり、捕まえに行ったりする時には必ず付きあってくれました。
庭の池にサワガニを定住させることが、私にとってどんなに大事なことなのかを、節子は理解してくれていたのです。
節子以外の人には決してわかってはもれないでしょう。
人には、それぞれ大切にしていることがあります。
他の人にとってはどうでもいいことが、ある人にとっては、とても大切なこともあるのです。
それがわからずに、友だちを裏切ってしまったり、友だちに裏切られたりすることもあります。
第三者から見たら、どうでもいいようなことで喧嘩になることもあるのです。
私たちも夫婦喧嘩をよくしました。
喧嘩の原因は、いつも馬鹿げたことでした。
娘たちは、バカな親だと思っているでしょう。
しかし、夫婦は喧嘩を通して、世界を重ねていくのです。
節子は、おそらく私以上に私を知っていてくれました。
節子といると、どんな時でも安心で、心が和らぎました。
私の価値観は、かなり変わっているような気もしますが、節子は私以上にそれを知っていました。
だからやはり、節子は私にとって、「かけがえのない人」だったのです。
節子がいなくなってから、心が完全に和らぐことはなくなってしまいました。
それを嘆くつもりはまったくありませんが。
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