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2011/04/21

■東北復興財源と財政改革財源は次元を異にしています

東北復興のためには巨額のお金が必要になるという状況を背景に、増税議論が高まっています。
復興のための一時的な増税と財政改革のための増税とはまったく違うものです。
それが混同されないといいのですが。

このブログでは、国家の巨額な借金に関しては発想の転換をすればいいという論を何回か書いていますが、増税にせよ国債発行にせよ、これまでとは違ったスキームの中で考えることが必要だろうと思います。
これまでの枠組みと混同すべきではありません。

世界銀行で主席エコノミストをつとめたこともあるジョセフ・スティングリッシュは、その著書「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」で、こう書いています。

あらゆる融資には貸し手と借り手がいて、両者が自主的に取引に携わる。不良債権が発生したなら、そこには少なくとも、貸し手は借り手と同罪という一応の証拠がある。
続けて彼は、
「借りすぎ」ではなく「貸しすぎ」だと言えば、何が変わるのだろうか? どこに問題をみつけるかによって、どこに解決策を求めるかも変わってくる。
とも書いいます。

これまでの財政赤字で誰が利益を上げていたかをしっかり認識すれば、問題の解決の方向は見えてくると思いますが、東北復興の財源を同じ次元で考えてしまうと、問題の本質が見えなくなってきてしまいます。
それは避けなくてはいけません。

火事場の泥棒ではありませんが、多くの人が汗して復興に立ち向かっている一方で、さまざまな悪事が企てられているような気がして、心配でなりません。
混乱の中では、何が善で何が悪かは、なかなか見えてきませんが、だからこそしっかりと事態に立ち向かわなければいけないと心するようにしています。


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