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2011/04/04

■相撲界はこれでいいのか

大震災騒ぎの陰で、八百長相撲問題がかなり強権的なやり方で決着しようとしています。
相撲協会は自らの責任を認めることなく、相変わらず弱い立場の力士の犠牲の上に生き残ろうとしているように思います。
相撲界以外から問題解決に参加した人たちの見識を疑います。

この問題は、私には非常に大きな意味を持っているようにもいます。
責任を問うべき対象が間違っていると、私は最初から思っていますが、実はそうした構造は相撲界だけに限りません。
これまでの数十年の日本社会の責任の取り方が、そこに象徴されているように、私には思えるのです。

何回か書いていますが、近代の組織原理は、ピラミッド構造を維持しながら、責任を曖昧にすることを一つの基本にしています。
であればこそ、組織に関わる人の責任感が重要になってきます。
あるいは問題が発生した時に、責任の所在を問う仕組みが重要です。
責任を考える人は、所在する問題の世界を超えた世界に生きている人でなければいけません。
問題が把握できないからです。

そうしたことは、最近の原発事故対応を見ているとはっきりとわかります。
相撲界においても、全く同じです。
解決に当たっている人たちの世界は、あまりに狭いように思います。
それは当初の記者会見を見ていて、わかりました。
詰まり当初から問題を解決使用などとは誰も思っていなかったのでしょう。
そして、結局は弱いものが切られてしまったわけです。
小さな正義感は大きな正義感を壊すばかりでなく、仕組みそのものを壊しかねません。
ここにも、今の原発事故問題と同じ関係が成り立っています。

原発事故対応と八百長相撲問題対応が、あまりにも似ているのには驚きます。
つまり、それが今の社会の基本構造なのでしょう。
世界はフラクタルなミクロの積み重ねなのだと、つくづく思います。

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