■権威主義から抜け出せない日本人
友人の川本兼さんが最近出版した「日本生まれの「正義論」」にこんな文章が載っています。
権威主義にゆがめられた日本人の「正義」は、日本人が自分で行った行動の責任を自分自身で取ることができない「正義」でした。自分の行動のほとんどは、自分の判断で行ったわけではないのです。そのほとんどは、権威ある上官の命令に従って行ったものでしかないのです。つまり、日本人の信じた「正義」は、自分の行動のほとんどを権威のせいにするしかない「正義」でしかなかったのです。これは戦前の皇国主義下の軍隊に言及して書かれている話ですが、この日本人の権威主義は戦後も、そして今もなお変わっていないと川本さんは言います。
私もそう思います。
私はいくつかの平和に関するメーリングリストに参加させてもらっていますが、そこでのやりとりを見ていると、権威主義コンプレックスを感ずることが少なくありません。
川本さんは、上記の本で、日本の革新勢力や護憲主義者が消滅しつつあるのは、彼らが権威主義から抜け出られなかったからだといっています。
そして、権威主義から脱却していない日本人は、近代的人間にはなれていないというのです。
近代的人間であるかどうかはともかく、最近の原発事故に関する動きを見ていると、多くの人が権威主義に呪縛されていることがよくわかります。
自分というものがないのです。
論理はいかようにも組み替えられます。
原発が安全だという論理もいくらでもつくれますし、二酸化炭素が地球環境を人間には住みにくいものにするという論理も簡単につくれるでしょう。
科学的データがそこで使われます。
しかし、科学的データのほとんどは、「ある見方」でしかありません。
しかし、神から科学に権威をゆだねた人たちは、科学を信仰します。
それが「近代」だと言われていたわけです。
自らの眼で科学的データを確認できれば、少しは意味があるでしょうが、それが難しいために「科学者」や「統計学者」に判断を任せます。
そうして、みんな、つまり近代的人間は、自らを失っていくわけです。
大震災や原発事故の被災者を支援する活動が広がっています。
私もいろんなことに少しずつ巻き込まれています。
昨日も2人の人から電話があり、来週会うことにしました。
そうした動きに棹さすつもりはないのですが、
最近ちょっと懸念を感じ出しています。
みんなあまりに一直線すぎないか。
たしかに被災者の方は大変ですが、他にも私たちはさまざまな問題を抱えているのではないか。
それが忘れられてはいまいか。
そんな気がするのです。
こうやって第二次世界大戦は始まったのかもしれないと、とんでもない妄想さえ感じ出しています。
どこか、何かが、おかしいのではないか。
でもこんなことを言っていたら、多くの人からひんしゅくを買うでしょうね。
さてまた被災者支援のためにできることをやりましょう。
でも、なにかが違うような気がしてなりません。
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