■自然からのメッセージ
東日本大震災の先行きはまだ見えてきません。
新しい始まりになるという「期待」を地震直後に書きましたが、それが現実性を持ち出しています。
そうした論調がマスメディアでも語られるようになってきました。
昨年、韓国にいる佐々木さんからのメールで、問題は「電気」なのだと気づいたことは、「コモンズを荒らした犯人」で書きました。
まさか、そのことがこれほど早く明白になろうとは思ってもいませんでした。
一昔前には、石油の消費量が文明の度合いに擬せられたことがありますが、昨今は電気が文明度のものさしだったわけです。
しかし、それがいま問い直されようとしている。
「電気が足りない」状況であれば、2つの選択肢があります。
発電量を増やすか、電力消費量を減らすかです。
しかし、後者の選択肢は実際にはありえませんでした。
経済の基本は成長だったからです。
その「ありえなかった」選択肢が、いまや語られるようになってきたのです。
にわかには信じにくいですが、これほど明確に言われ出していますから、もう「スローガン」で止まることはないはずです。
経済成長路線の見直しが現実の選択肢になってきたといっていいでしょう。
ちなみに、経済は成長しなくても雇用を増やすことはできます。
今日の挽歌編に書いたのですが、
地震のあった後、「絆」とか「つながり」という言葉がテレビから毎日流れてきます。
そうしたことを志向した生き方をしてきた一人としては、逆に大きな違和感があります。
素直でないのかもしれませんが、いかにも白々しく感ずるのです。
挽歌には、「功利主義的な、あるいは人間中心的な、絆やつながりへの呼びかけ」と書いてしまいました。
被災地に行って、すでに汗を流している友人もいますし、そうした人たちの純粋さも知っています。
しかし、お金稼ぎを奨励してきた人たちが、急に「絆」とか「つながり」とか言っても、ピンときません。
どこかに功利主義の匂いを感じてしまいます。
また「つながり」という言葉も、人のつながりだけが伝わってきて、そこにも違和感があります。
今回の地震や津波、そしてそこから発生した原発事故の基本にあるのは、自然とのつながり、自然との絆の軽視だったのではないかと思います。
要するに自然としっかりと付き合わずに、人間中心的で、自然を見下してきたことの結果だったのです。
挽歌にも書いたように、それこそが、今回、自然からもらった大きなメッセージだったのだろうと私は思っています。
だとしたら、人のつながりを越えた大きなつながりを考えなければいけません。
もちろん「人のつながり」も大事ですが、そのために自然や文化や歴史とのつながりを軽んじていいわけではありません。
最近のテレビの報道を見ていると、あいかわらず自然とのつながりや絆には無関心です。
そんな絆やつながりなら、またきっと今回と同じ繰り返しに見舞われるでしょう。
地震や津波は自然現象ですが、それによって起こされる災害の多くは「人災」です。
自然との付き合い方を忘れて、過剰な電力を求めすぎてきた、これまでの生き方を見直せるのは、私たち一人ひとりでしかありません。
そろそろ「経済成長期待」発想を捨てたいものです。
成長を追い続ける政府への期待は捨てなければいけません。
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