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2011/04/20

■節子への挽歌1326:偉大なる神様のプレゼント

節子
人にはそれぞれの物語があります。
それはなかなか外部からは見えません。

この挽歌にコメントを寄せてくれた木田さんとは、私の記憶では2回お会いしています。
たぶんその時のことは、私のホームページの週間記録に出ているはずです。
もっとも、私が木田さんを知ったのは、それ以前です。
私が事務局をやっていたNPO活動への資金助成プログラムに木田さんが応募してきたのが最初です。
残念ながら助成の対象にはなりませんでしたが、同じ我孫子の人だったので、節子には話した記憶があります。
その後、私が話をさせてもらったシンポジウムや集まりで木田さんとお会いしました。
ゆっくりお話したことはありませんでしたが、活動を始める前にパートナーを見送っていたことはまったく知りませんでした。
そんな様子も微塵も見せず、2回目にあった時には、私の辛らつな話をとても肯定的に受け止めてくれていました。
毅然としてご自身の意見を発表されたのが印象的でした。

その木田さんからのコメントを読んで、自分がいかに他者の事情に無頓着だったのかと反省をしました。
自分が悲しみや辛さを抱えていればこそ、他者の悲しみや辛さがわかると思っていますが、あまりに自分の思いに浸りすぎていると、他者の状況は見えてこないのかもしれません。
そうならないようにしないといけません。
そうなってしまっては、おそらく自分の悲しさや辛さも見えなくなってしまうでしょう。

木田さんは「震災は偉大なる神様のプレゼント」と書いています。
それは多義的な、そしてとても含意に富んだ言葉です。
しかし、「すべての事柄には意味がある」とすれば、震災も愛する人との別れも、なにかのプレゼントなのです。
そのプレゼントの意味が、私はまだ理解できずにいます。
時に、自分の状況を相対化することも必要なのかもしれません。

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