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2011/04/04

■節子への挽歌1310:三春の実生の桜

節子
昨夜、NHK教育テレビで、玄侑宗久さんと吉岡忍さんが対談をしていました。
玄侑宗久さんは、芥川賞作家で、そのエッセイも話題になっている人ですが、一昨日、思い出した桜で有名な三春のお寺のご住職でもあります。
私自身は、玄侑さんの本はあまりピンと来なかったため1冊しか読んでいなかったのですが、昨日の対談の玄侑さんには、どこか心通ずるものを感じました。
その言葉ではなく、行動にですが。

私がテレビを見る気になったのは、前日に三春の桜を思い出したからです。
テレビも、最後の場面は三春の桜の話でした。
ただし、あの老木ではなく、地元の人が実生の桜の手入れをしているシーンでした。
大地にしっかりと根づき、何年も地域を守る桜は、実生でなければならないと、古老が話していました。
節子が蒔いた実生の樹がわが家の庭にもいくつかあるはずですが、私の手入れ不足で枯らしてしまったかもしれません。
これからはそういうことのないようにしようと思います。

玄侑さんのお寺は三春にありますから、今回の事故の福島原発からは45キロのところです。
原発事故が起こった当初から住民がたまたま測定していた放射能測定器は反応し、かなり高い数値だったそうです。
政府の発表のいい加減さは、実はいたるところに出ています。
まじめに自然と付き合っている人たちには、政府の話の虚実がよく見えるものです。

玄侑さんが、「死に甲斐」という言葉を発しました。
私の嫌いな、受け入れがたい言葉です。
しかし、玄侑さんは、「誰かがそれによって変わることが死に甲斐だ」というような主旨のことを話しました。
今回の震災でたくさんの人が亡くなりましたが、それで人々の生き方は変わるはずだ、そうでなければたくさんの人の死に甲斐がないと玄侑さんは言うのです。
反射的に、心で反芻しました。
節子には死に甲斐はあっただろうか。
節子の死は、私の人生だけでなく、世界観を変えました。
節子が、その死をもって私に教えてくれたことは、私の人生をも変えました。
節子には死に甲斐があったといえるでしょう。
昨夜は、少し安堵して眠りました。

しかし、朝起きてこの挽歌を書きだして気づいたのは、要するに「死を無駄にするな」ということなのです。
やはり私の感覚には合わないことに気づきました。
生にも死にも、無駄という概念はつながりようがないからです。
「死に甲斐」という言葉は受け入れがたいと,改めて思い直しました。

ただ、昨夜の玄侑さんには心通するところがありました。
著書を読み直してみようと思います。

古老が育てる三春の実生の桜は、来世、節子と一緒に見に行こうと思います。

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