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2011/04/28

■節子への挽歌1334:なにもない日常生活こそが幸せ

風邪のおかげで、今日はテレビを見ていました。
今回の大震災で被災した人たちの報道もみました。
みんなが異口同音に「幸せ」を語っていることに気づきました。
しばらく見ていなかった間に、状況は大きく変わっているような気がしました。
みんな足元を見だし、前を向きだしたようです。
そうした人や暮らしの表情は、ネットで飛び交う情報からは、なかなか見えてきません。
ネットでの被災関連の情報には、まだ怒りがあふれています。
おそらくその世界は、被災した当事者とは違った人たちの世界なのかもしれません。

前項で書いた「共に歳を重ねる幸せ」にもつながりますが、「少しずつ日常を取り戻してきた」ということを、幸せそうに語る人たちがとても印象的でした。
私たちに必要なのは、決してお金でも地位でも評判でもありません。
私たちを心から幸せにしてくれるのは、豪華な食事でも、華麗なパーティでも、刺激的な旅行でもありません。
おそらく退屈だけれど、毎日続く日常生活の喜びです。
節子は病気になってから、「今日も平穏に1日を過ごせたことを感謝します、明日もそうでありますように」と寝る前に祈っていました。
ちなみに、彼女はクリスチャンではなく、仏教徒でした。
私は、今日よりも明日がよくなりますように、と祈っていましたが、その欲の深さは人を幸せにしないのかもしれません。

「共に歳を重ねる幸せを多くの人は気づいていない」と前に書きましたが、平穏な日常にこそ幸せがあることにも多くの人は気づいていないような気がします。
みんなが「平穏な日常」を求めだすと、経済は成長せず、社会は活性化しないかもしれません。
しかし、「成長」や「活性化」よりも、大切なことがあることを、私は節子を見送ってようやく気づきました。

今日は、いろいろと考えることの多い1日になりました。

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