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2011年5月

2011/05/31

■ビジョンのない人の善意よりも、ビジョンのある人の悪意を

君が代訴訟に関するはじめての最高裁判決が出ました。
起立を命じる職務命令は「合憲」とされました。 

公立学校の卒業式で「君が代」を斉唱するときに教諭を起立させる校長の職務命令をめぐる訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、命令は「思想・良心の自由」を保障した憲法19条には違反しないとの判断を初めて示した。そのうえで、自由を侵されたとして損害賠償などを求めていた元教諭側の上告を棄却した。(朝日新聞)
大阪では国歌斉唱義務化の条例案が議論されていますが、この最高裁の判決は私には驚き以外のなにものでもありません。
日本はますます70年前に戻りだしている気がしてなりません。
大震災や原発事故の報道の陰で、じわじわと何かが進んでいるような気がします。
あえて顰蹙と批判をおそれずにいえば、大震災はそれに利用されているような気もします。
国民の意識も、「日本はひとつ」の雰囲気の中で、一つの方向に向けられています。
スポーツ選手やタレントは、その動きに、自らの利害を乗せて動いているようにさえ見えます。
ビジョンのない善意は、地獄に向かいかねません。
また手ひどい批判が届くでしょうが、あえて書いてしまいました。

強制しなければいけないほどに、日本の国歌や国旗は魅力がないのでしょうか。
魅力がなければ、その魅力を高めるようにするのが、為政者の役割です。
自らを正さずして、何を正すのか。
発想の方向が反対のような気がします。

また政府主導で、いわゆるコンピュータ監視法なるものも審議に入っています。
表面的には最近問題になっているコンピュータウィルス対策ですが、以前問題になっていた共謀罪につながるものだろうと思います。
名前の付け方一つで、人は簡単に騙されます。
これも「はじまり」のひとつかもしれません。

先日、ネットに詳しい人と話していたら、佐藤さんのネット行動はその気になれば完全に把握できるようになっているはずですと話してくれました。
幸いに私の場合は、「その気になる」対象ではないのですが、まさにそうした時代なのです。
情報社会とは「情報管理社会」であり、クラウド化とは私たち一人ひとりが制度に依存して、そのなかでの情報活動だけができる状況なのかもしれません。
少し遅れましたが、まさにジョージ・オーウェルの「1984年」の世界です。

ショック・ドクトリンのことは以前も書きましたが、毎日テレビでわけのわからない原発情報に触れさせて、みんなが怯えている間に、何かが着々と進行している。
そんな気がしてなりません。

それを可視化するためにも、小沢一郎に再登場して欲しいと思っています。
ビジョンのない人の善意よりも、ビジョンのある人の悪意を、私は歓迎します。

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2011/05/30

■節子への挽歌1366:古希だそうです

今日は私の古希の誕生日です。
実は私には、誕生日を祝う文化はありません。
子どもの頃は誕生会があり、結婚してからも家族が祝ってくれました。
しかし、私にはほとんど興味がないのです。
なぜ誕生日を祝うのか、理由があまりぴんとこないからです。
1年間、無事過ごせてきたことを祝うという意味なのでしょうが、とりわけ問題がある状況ではないので、祝う意味がないのです。
粗雑に生きてはいますが、私には毎日毎日が同じように大切なのです。

闘病していた節子の場合、状況は全く違いました。
60歳の誕生日を迎えられるだろうか、それが節子の、そして家族の気持ちでした。
60歳を迎えて、次は61歳。そして62歳。
63歳の誕生日は迎えられませんでした。
当時、節子にとっても私にとっても、誕生日は格別の意味があったのです。
しかし、いまの私には全くありません。
いささか天邪鬼の私は、誕生日を祝う気はありませんでした。

ところがです。
最近はじめたフェイスブックを開いたら、たくさんの誕生日おめでとうのメッセージが届いていたのです。
そしてそこにさまざまなエールが書き込まれていました。
それを読むと、私もけっこう人の役にたってきたような気になります。
自慢ぽく、節子に読ませたいものもあります。
「お祝いではほめるのが当たり前よ」と節子はきっと笑うでしょうが。

お祝いされるとなにやらうれしくなってしまうのは、歳のせいでしょうか。
ほめられると奇妙に反発してしまうのが、私だったはずなのですが。
節子がいなくなってから気弱になったようです。
ふだんほめてくれる人がいなくなったからかもしれません。
節子は、私がどんなことをしても、認めてくれましたから。

韓国の佐々木さんが、韓国では「生日」の尊敬語が「生辰」で、同じ発音で「生新」生き生きして新しいことという言葉がある、と教えてくれました。
そして、古希の記念に入院するそうだが、疲れた心身を療養によって癒され、生新の気分で戻ってくるように、とエールを送ってきてくれました。
古希の記念に入院するのだと気づきました。
天は、すべての人の生き方をしっかりと見ていてくれるのです。

誕生日は素直に喜ばないといけません。

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■節子への挽歌1365:亡くなって初めて見えてくるもの

節子
最近知り合った人からメールが来ました。

昨年、両親を共に亡くしましたが、亡くなって初めて見えてくるものが沢山あります。 
人が亡くなる、それまで有ったものやコト、周囲の環境の突然の変化などなど変わって、また無くなって判ることがある・・・ということを学びました。
想像力は人並みにあると自負していましたが、気づいてみると、「ああ、自分もこの程度か」と思ってしまいました。
月並みですが、一日は一生という言葉を日記に連日、書いています。
「亡くなって初めて見えてくるもの」
よくわかります。
私にもたくさんあります。
節子の悪いところ、良いところ、日時を経るにつれていろいろ気づくのです。
なぜもっと早く気づかなかったのか、悔やんだことも少なくありませんでした。
節子のことはすべてわかっていたというのは、大いなる誤解でした。
しかし、悪いことも良いことも、今となってはすべて節子の「良さ」であることは言うまでもありません。
ニーバーも言っています。
直せないものはすべて良いものだ、と。
いえ、これは私の勝手な解釈なのですが。

「一日は一生」
これは病気になってからの節子の生き方でした。
粗雑な生き方をしていた私には、教えられることが多かったです。
しかし、これはたぶん教えられて身につく生き方ではないのかもしれません。
できる事はできる時にやっておくという節子だったからこそできたことかもしれません。
私も一時期、努力しましたが、節子がいなくなってからはまた以前の粗雑な生き方に戻ってしまいました。
むしろ粗雑さは高まりました。
生きることへの未練は、ほとんどなくなりましたから。

昨夜、節子の夢を見ました。
とてもあったかな気持ちになる夢でした。
久しぶりに涙が出ました。
しかし、心が安らいだ気がします。
最近、かなり疲れていましたが、節子はそれを知ってやってきたのかもしれません。
もしかたら、節子も(自分が)亡くなって見えてきたことがあるかもしれません。
私のどういうところに気づいてくれたでしょうか。

たぶんますます私を好きになってくれているはずです。
私と同じように。

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2011/05/28

■節子への挽歌1364:連名での手紙

埋田さんから昨日、コメントが寄せられました。
質問でした。
読んだ人もいるかも知れませんが、こういう内容でした。

先日、亡くなった母が、生前元気だった頃、私に言い残していた言葉があります。それは母の親友には、病気のことも亡くなったことも、すぐには知らせないで欲しいということです。「悲しませたくない。生きていると思えば、今まで通り、これからもずっと大事な友達として存在し続けることができるんだから・・・。お母さんが死んで、落ち着いた頃に、あなたからお母さんの意思を伝えて欲しい」
そうお母さんから頼まれたのだそうです。
そして、「佐藤さん。私はどうしたらいいでしょう、とても悩んでいます」という内容でした。
私なら、母と自分と連名で手紙を出します。
明るく楽しい手紙ですが。
と答えました。
今朝、またコメントに投稿がありました。
連名で手紙を書くとこにします。
母が心から愛した大切な親友を、悲しませたくありません。
明るい手紙を書こうと思います。
節子を見送った最初の新年、私も節子と連名で年始の挨拶の手紙を書きました
読み直してみました。
連名で書いたと記憶していたのですが、正式な表記は、
「佐藤修(佐藤節子)」
となっていました。
代筆といった感じでしょうか。
いまなら「佐藤節子・佐藤修」と並べて書くでしょう。
こういうところにも、その時々の気持ちが現れるものです。

埋田さんの文章の一つが心に残りました。
「生きていると思えば、今まで通り」
そう、生きていると思えばいいのです。

人はたくさんの家族や友人、知人との死別を体験します。
それに耐えていけるのは、もしかしたら、どこかで「生きている」という無意識の意識が作動しているからかもしれません。
今も時々、そういえば彼はどうしているかなと思って、そうだ、彼はもう亡くなったのだ、と思うようなことがあります。
生きていようが生きていまいが、友は友です。

しかし、伴侶の場合はそれがなかなか難しい。
あまりに深く生を交わしすぎてしまったからでしょうか。

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2011/05/27

■節子への挽歌1363:節子のいないサロンの準備

節子
久しぶりに新潟の金田さんが湯島に立ち寄ってくれました。
大震災以後、初めてでしょうか。
地震の後、自宅に電話をかけてきて、米がないようだが、水は大丈夫か、と心配してくれた人です。
私よりも、我孫子の被災状況をよく知っていました。

金田さんの奥様も数年前に体調を崩されました。
その時に、金田さんから「佐藤さんの思いがよくわかった」と電話をいただきました。
それ以前から、金田さんは私たちのことをいつも気遣ってくれていましたが、それ以来、その気遣いぶりはますます高まった気がします。

以前も書いたような気がしますが、「気遣うように生まれた人」と「気遣われるように生まれた人」とが、いるように思います。
私は後者です。
周りの人への気遣いがあるようでないのです。
自分でもそれがよくわかっていますので、あまり無理はしません。
それでも時々、気になる人がいます。
昨日もちょっと連絡が途絶えていた人に連絡を取ったら、今日から入院ということでした。
入院の直前まで、私は気付かないのです。
そして逆にその人から気遣われてしまいました。

節子はどちらだったでしょうか。
どちらかといえば、節子もまた気遣うよりも気遣われる人だったかもしれません。
今にして思えば、私たちはわがままに身勝手に生きていたような気がします。
そうした私たちを、たくさんの人が支えてくれていました。

毎月、最後に金曜日に開いていた、誰でも歓迎のオープンサロンに集まる人たちが、私たちを支えてくれていたのです。
今日は、そのオープンサロンです。
いまちょうどサロンが始まる1時間前。
御徒町の吉池や松坂屋で軽食素材を買い込んだ節子がやってくる時間です。
サロンが始まるまでの1時間、準備をしながら、今日は誰がきてくれるだろうと節子と話していたことを思い出します。

節子がいなくなってから、サロンもさびしくなりました。
買い物嫌いな私はお菓子を買うのが精一杯です。
食べ物もさびしくなりましたが、最近は参加者も少なくなりました。
サロンの常連だった黒岩さんもいなくなりました。
節子がいなくなったので、私の口の悪さを止める人もいなくなり、常連だった武田さんももう行かないと来なくなりました。

さて今日は誰が来るでしょうか。
節子はこの部屋のどこかにいるのでしょうか。
夕方のこの時間が、私は一番嫌いです。

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2011/05/26

■ちょっと気になる太陽光パネル設置構想

菅首相は、OECDで「日本中の設置可能な約1000万戸の家の屋根すべてに太陽光パネルを設置することを目指す」と述べたそうです。
自然エネルギーにシフトしていくことはとてもうれしいのですが、以前からちょっと気になっていることがあります。

太陽光をパネルで吸収して電力に転換することはいいのですが、それがあまりにも広がった場合、何らかの不都合が起きないかと言うことです。
太陽光は間違いなく気象に大きな影響を与えているはずです。
まったく無駄に降り注いでいるのではないはずです。
だとしたら、それを大規模に発電のために取り込んでいいのだろうかという、素朴な疑問を以前から持っています。
そういう視点から、メガソーラー計画もちょっと不安があります。
1000万戸の家の屋根すべてに太陽光パネル設置も違和感があります。

原子力か自然エネルギーか、という捉え方を多くの人はしますが、私の関心は、人間的なサイズかメガサイズか、です。
サイズをどう定義するかは難しいですが、まあざっくりと受け止めてください。
私の感覚では、原子力はその本質においてメガサイズなのですが。

太陽光パネル設置の拡大を否定しているのではなく、みんなが屋根で太陽光を取り込んでしまったら、地球はどうなってしまうのだろうかという、素朴な不安なのです。
どなたか教えてくれませんか。

しかしみんなどうして、エネルギー消費のほうに関心を向けないのでしょうか。
それも不思議です。

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■節子への挽歌1362:入院の準備

節子
6月1日には入院するので、その準備を始めました。
準備といってもたいしたことではありません。
病院で、麻酔担当、看護師、歯科医と3人の人から説明を受けたのですが、節子がいたら全部やってくれるでしょうが、私にはあんまり興味はありません。
説明した後、なにか質問はありますかと訊かれたので、入院中は何をしていたらいいでしょうかと質問しました。
そうしたら、「退屈ですよね」と軽く流されてしまいました。
しかし、それが私の最大の関心事です。
長ければ10日も入院なのだそうです。
親知らず歯を抜くだけで、大変です。

全身麻酔なのですが、麻酔担当の若い医師は、リスクもありますので、もしリスクが大きすぎると思ったら手術を止めてもらってもいいですと、親切に話してくれました。
これは「親切」というべきかどうか迷いますが、その若者はとても親切なのです。
15000分の1で、何かリスクが起こるそうです。
どういうリスクか訊き忘れましたが。
ただ、当院で手に負えなければ、別の病院に転院するから安心してくださいと説明してくれました。
安心すべきかどうかちょっと迷いますが、最近の原子力安全・保安院の説明よりは、間違いなく親切です。
とても良い病院なのです。

娘に入院時に持っていくもののリストを渡して用意してもらうようにしました。
私は退屈対策として、いま流行のipadを買うことにしました。
最近働いていないので、節約して我慢していたのですが、10日の入院の退屈を考えたら、ここは我慢すべきではないと判断したのです。
ところが、お店に行ったら、なんと無料なのです。
お金がなくても買えてしまう。
まさに今様の恐ろしい仕掛けですが、まんまとそれにはまってしまいました。
ところが在庫がなくて、1週間待ち。入院に間に合いません。
そのためいま使っているイーモバイルの速度を高めることにしました。
そんなわけで、何かと大変だったのですが、これで入院中もブログは書けそうです。
節子には批判されそうですが、入院中もやることができました。

娘の伴侶に、もし15000分の1の確率で帰れなかったら後はよろしくと頼みました。
彼は、大丈夫ですよ、などとは言わずに、任せてくださいと言いました。
これで思い残すことはない、とついつい言ってしまう雰囲気ですね。

入院前にやることが山積みで、遺書を書く暇がないので、今回はとりあえず戻ってこようと思います。
ちなみに病院でこんなことをやったらいいというアドバイスをみんながくれたので、退屈どころか忙しい入院生活になりそうです。
いやはや困ったものです。

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2011/05/25

■節子への挽歌1361:黒岩さんが西日本新聞に出稿しました

節子
黒岩比佐子さんが生前に書いていた文章が、今月の西日本新聞に10回連載されました。
藤原さんがその記事を送ってきてくれました。
読み出しましたが、やはりなかなか読めるものではありません。
黒岩さんが、この原稿を書いていたころのことがよくわかるからです。
当時、彼女から送られてくるメールに対して、無理はしないほうがいいよ、とは決していえませんでした。
彼女は、寝食も忘れて書くことで希望が見えていたのです。
それが痛いほど伝わってくるので、むしろ過酷なほどの無理を応援していました。
ですから、そこに何が書かれているかも、読まなくてもだいたいわかるような気もします。

現世にいなくなった親しい人が、こうしてライブに登場してくるのを体験すると頭がちょっと混乱することもあります。
節子の場合は、毎朝、いたはずのところにいないので、毎日、その不在を確認できますが、そうでない場合は、ついついその不在を失念することも少なくありません。
黒岩さんも、なんだか今も、突然に訪ねてくるような気がしてなりません。

親しい友人が亡くなっても、その時はとても寂しく悲しいのですが、少し時間がたつとあまり感じなくなることがほとんどです。
とても親しかったのに、まったくと言っていいほど悲しくなかった友人もいます。
若い頃、北欧でヒッピー生活をしていた彼は、生前から生とか死には頓着していなかったのです。
私が心から好きだった友人の一人でもありますが、直接会うことはだんだんなくなっていました。
合わなくてもいいほどに親しい関係というのもあるような気がします。
そのせいか、彼の訃報を聞いた時は、衝撃的なショックは受けましたが、不思議なほど悲しくはありませんでした。
しかし、どうしても葬儀には行けずに、今もなお、彼の死を自らの眼では確認していません。
ですから、私の中では彼はまだ生きていて、私たちの関係はあまり変わってはいないのです。

どれだけ一緒にいる時間があったかで、悲しみは決まるのかもしれません。
節子と一緒にいる時間はたくさんありました。
特に闘病生活に入ってからは、ほぼすべての時間が節子とともにありました。
だから、節子がいなくなった後の喪失感は大きかったのです。
闘病を共に続けた夫婦は、とてもつらいものです。

毎月開催している自殺問題をテーマにした交流会で、先週、医師の人がご自分の患者の自殺を止められなかった経験を話してくれました。
流れの中で話し出してしまったのだと思いますが、途中、声が詰まって話せなくなりました。
聴いている私も、頭が真っ白になり、その人が何を話したのか、今はもう全く思い出せないのですが、「大きな喪失感」という言葉だけが今も頭に残っています。
この挽歌でも書いたことがありますが、「喪失感」の大きさは、言葉では表現できません。
以前はたぶん「対象喪失」と書いたかと思いますが、実際には自らが喪失する感じなのです。

また書いているうちに、思いが飛び回って、支離滅裂な文章になってしまいました。
書き出した時に思っていたのは、その人が生きていると思えば、みんな生き出してくるではないかということでした。
黒岩さんが生きているとしたら、節子もどこかに生きていると思えばいいのだ、という、これまたおかしなことを書こうとしていたのです。

死者と現世で会うこともある。
私はそう信じているのです。
しかし、今となって思えば、節子の葬儀に出たのは失敗でした。

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2011/05/24

■節子への挽歌1360:常懐悲感 心遂醒悟

仏教話ついでにもう一つ思いだした言葉を書くことにします。
「常懐悲感 心遂醒悟」
法華経寿量品にある言葉です。
東日本大震災以来、時々、心に浮かぶ言葉です。

30代の頃、仏教関係の入門書をかなり読んだ時期があります。
特に悩みがあったからではなく、単に知識としての興味からです。
しかし、それでも記憶に残るものはあります。
節子の病いと共にあった4年、さらに節子を見送ってからの3年、この言葉がようやく理解できてきた気がします。

「常懐悲感 心遂醒悟」
「じょうえひかん しんすいしょうご」と読みます。
常に悲感を懐けば心は遂に醒悟せり。
つまり、人は悲しみを持つことによって、心は澄んでくる、というような意味でしょうか。
悲しみが、人を目覚めさせてくれるのです。

私はあまり苦労のない人生を送ってきました。
悲観したことがないわけではありません。
節子に会う前にかなり派手な失恋も体験しました。
数日間、独身寮の一室にこもっていたこともあります。
まあよくある話ですが、ある日、窓を開けたら、きれいな花が咲いていました。
花の美しさを本当に知ったのは、その時かもしれません。
その少し後に、節子に出会いました。

しかし、概して私の人生は退屈でした。
思うように進むことが多かったのです。
そして節子との別れ。
全く信じられないことでした。
悲しみが一挙に心身を包みこみ、半年ほどは、たぶんかなり異常を来たしていたはずです。
娘たちとさえ、うまく付き合えなかったほどです。

しかし次第に、まさに「心が目覚める」ように、自らのではない悲しみが見えるようになってきた気がします。
節子の悲しみさえ十分見えなかったのに、いまは多くの悲しみが感じられるようになったのです。
心が澄んできたかどうかはわかりません。
でも昨日、数年前から私のところによく来る人が、佐藤さんの周りにはいい人ばかりだと言ってくれました。
いい人ばかりに取り囲まれていたら、私もきっと心が澄んでくるでしょう。
悲しみに感謝しなければいけません。

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■事件の連鎖

陸山会土地取引事件の公判で、水谷建設の元運転手が「社長をホテルに送った記憶ない」 と証言しました。
元運転手は検察がむりやり証言を改竄したと主張しています。
この事件は小沢事件につながります。
小沢事件がもしなかったら、今の政府は管政権ではなかったかもしれません。
あるいは菅首相の対抗馬として、小沢議員が考えられたかもしれません。
国民の小沢嫌いは、これほどまでになっていなかったかもしれません。
検察の不当行為が、私は今の日本の国難の出発点だと思っています。
昨今の原発事故対応の不手際もまた、この事件と無縁でないでしょう。

私は小沢さんの政策や政治手法は好きではありませんが、今の時期には首相になって欲しい人です。
小沢さんだったら沖縄も原発事故対応も全く違ったものになったように思います。
いずれも今はアメリカのいいなりのように感ずるのです。
孫さんのような儲け主義の人は歓迎するでしょうが、私にはやりきれません。
たとえ反原発であっても、孫さんの金銭経済至上発想は変わらないような気がします。
それを象徴するのは、孫さんのメガソーラー(大規模太陽光発電所)構想です。
いま見直すべきは、そうした「メガ発想」だと、私は考えています。
思想や技術の本質をどこに見るかは、人によって違うでしょうが、規模や速度は重要な視点ではないかと思います。

話を戻します。
同時代におけるさまざまな事件はつながっています。
これまで安全だと言っていた浜岡原発が突然停止されたりすることをみればすぐわかりますが、個々の問題は個々の世界で解決するのではありません。
浜岡原発反対のデモが原発の運転を停止させたわけではないでしょう。
もっと大きな構造の中で、事は動いています。
浜岡停止の背後にはアメリカ政府がいると言う人もいますが、それも含めて、大きな時代の物語や風潮が個々の事件の動きを左右します。
別個の事件だと思われる事件のつながりを考えると、世界はまた違った様相を見せてきます。
新聞の片隅に小さく載せられた事件から、大きな構造が見えてくることもあるように思います。

陸山会土地取引事件の裁判がどう進展していくかに注目したいと思います。

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2011/05/23

■ペイフォワード

東日本の大震災が起きた日、東京では帰宅の足を奪われた人がたくさんでました。
都内に残った人もいましたが、歩いて帰宅した人たちも多かったようです。
その人たちの通り道に出店していた八百屋さんが、お店の食材を使って、小さなおなべを2つ使ってお味噌汁を作りつづけ、疲れて歩いていた人たちに振舞ったという話を昨夜テレビでやっていました、
寒い日でしたので、みんな寒さに震えながら歩いていたそうですが、その八百屋さん(たぶん)は1000杯のお味噌汁を振舞ったそうです。
たぶん寝ずに作り続けたのでしょう。
なめこ汁を振舞ってもらった人がそのお店にお礼に行った話でした。
その人は、たしかこう話していました。
見ず知らずの人にお世話になるありがたさがほんとうにわかったので、自分も誰かの役に立つ行動をしたい。
こうやって、親切は広がっていくのですね。
不正確かと思いますが、そんな主旨の話でした。

これは「互酬行為」ではありません。
ペイフォワードなのです。
互酬にはともすると打算が無意識に作動します。
しかし、ペイフォワードは打算が入りこむ余地は少ないです。

お店の商品を使って、その人は疲れた被害者たちにお味噌汁を無料で振舞いました。
その時に、1杯100円で販売しても売れたかもしれません。
10万円の収入を得たかもしれません。
しかしその人は、おそらくそんなことなど思いつく暇もなく、お味噌汁を作り続けたのでしょう。
そしてたくさんの人の心と身体をあっためたわけですが、一番心身があったまったのはご本人だったと思います。
それに比べれば、10万円などどうでもいい話だろうと思います。

人にとっての最高の喜びの一つは、誰かの役に立つことだろうと思います。
喜ぶ顔が、最高の報酬です。
しかし、そういうことをやるのが、難しい時代になったのかもしれません。
それが今回の大震災のおかげで、やれる状況がいろんなところで生まれてきているように思います。

誰かに感謝できることもまた、最高の幸せの一つです。
感謝されることも感謝されることも、もっと増えてもいいでしょう。
その気になれば、いずれも自分でやれることです。
それは誰かのためではなく、間違いなく自分のためなのです。

感謝という言葉を、改めて大事にしようと思いました。

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■節子への挽歌1359:命といのち

昨日に続けて、仏教の話を少し書きます。

仏教では、「いのち」は尽きることのない永遠の生命、「命」は限りある人間の生命、を意味すると、むかし誰かの本で読んだことがあります。
たとえば、「仏のいのち」、「佐藤修の命」というわけです。
昨日の話につなげれば、命はいのちの一時的な現象ということになるかもしれません。
あるいは、命はいのちを通じてつながっているという言い方もできるでしょう。

つながっている命は、人間だけではありません。
私は、生物を超えて、万物にまで広がっていると捉えたいですが、少なくとも自然とのつながりは感覚的に理解可能ではないかと思います。
命をつなぐものは、水と土です。
というよりも、水も土も命を持って生きています。
むかし土壌菌の先駆者である内水護さんから、土に関してお話をお聞きしたことがありますが、最初に教えてもらったのは、土が生きていることでした。
その頃読んだ本に(私の蔵書にありますが、いま手元にないので書名がわかりませんが)、生きている土から人間を創造したという聖書の話は科学的なのだと書いてあったことも覚えています。
土と水もまた、命といのちをつなぐものではないかと思います。
土は命を支え、水は命をつなぎます。
そうしてつながった命が、いのちへとつながっていく。

私は毎朝、節子に水を供えます。
水を供えるのは供養の出発点です。
仏前に供養される水を閼伽(あか)といいますが、この閼伽がアクア(水)の語源だという俗説もあります。
毎朝、私は閼伽水を通じて、彼岸の節子と命を交わしているつもりです。

自らの命が、大きないのちの一部であると思うと、生きるのがとても楽になるはずです。
梵我一如の心境で悩むことがなくなるからです。
しかし、頭ではわかっているのですが、なかなか梵我一如にはなりません。
そもそも「本来無一物」にさえなれず、今もなお、私は物財に囲まれて生きています。
実はそうした物財が、彼岸の節子との間を邪魔しているのだろうとは思ってはいます。
しかしそうした物財を通してしか、まだ私は節子とのつながりを確認できずにいるのです。
まだまだ梵我一如には程遠いのです。

節子は命の先が実感できた時に、いのちを実感しただろうか。
時折そう考えることがあります。
もしかしたら、あの年の8月のある日、節子の命は命へと変わったのではないか、と思うことがあります。
そういう考えが浮かんでくると、不思議なことにどこかでパタっと思考停止してしまいます。
なぜでしょうか。
まだまだ私には見ることのできない、密教の世界かもしれません。

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2011/05/22

■節子への挽歌1358:梵我一如

仏陀が生まれる以前のインドで活動していたヤージナヴァルキヤは、ウパニシャッド最大の哲人と言われています。
梵我一如を言い出した人とされています。

梵我一如とは、宇宙を支配する原理である梵(ブラフマン)と個人を支配する原理である我(アートマン)とが同一であることを意味します。
多くの「我」は、自分が独立した存在であると思っており、梵によって自らは律せられていると考えがちです。
そこで迷いや悩みが生じます。
しかし、梵我が同一であることを知れば、すべては同じように見えてきます。
それは同時に、真の自己(真我」)を知ることであり、梵(天)と合一することにより、永遠の平安が得られることでもあります。
そこには、他律も自律もなく、ただ平安があるのみです。
そうして輪廻から解脱できるのです。
その世界では、自己は他者であり、私は節子でもあるわけです。

まあ難解なインドのウパニシャッド哲学をこうも粗雑に表現してはいけませんが、ヤージナヴァルキヤはプラトンやソクラテスよりも早く現れた、史上最初の本格的哲学者だと東邦大学の渡辺恒夫教授は言います。
機会があれば、もう少し学んでみようと思っています。

梵我一如となって解脱するのは難しいですが、節子がいなくなってから、時折そういう感覚を持てることがあります。
仏教では後世に至って、アーラヤ識という梵我一如のわかりやすい説明構図が考案されますが、自己をゆるやかに捉えていくと、世界は次第に広くなり、他者と自己との境界が消えていきます。
しかし注意しないと自己の世界の拡大という広がり方もあるのです。
残念ながら多くの人は、その方向に進むような気がします。
そこが悩ましい問題です。

唐突に梵我一如を書いたのは、最近、誰かの話の中に自分を感ずることが多いからです。
挽歌にコメントしてくださった方もそうですが、それだけではありません。
偶然なのでしょうが、先週は毎日のように、そうした体験をしたのです。
節子がいたら、その体験を共有できるのですが、いないので内に貯めていたら、心身をあふれて、意識が梵に向かいだしたような気がふとしたのです。

もちろん解脱とは無縁の話です。
ただ解脱ということは実際にあるのだという、そんな気が最近してきました。
ちなみに、前に書いたかもしれませんが、私は解脱よりも転生を望んでいます。

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2011/05/21

■節子への挽歌1357:ホッとする空間

私のオフィスは湯島にあります。
ワンルームマンションの一室です。
部屋の真ん中にテーブルがあり、15人ほどであれば話し合いの場がもてます。
平成元年の8月から続いています。
実にいろいろな人がやってきました。
大学教授から予備校生、上場企業の社長からリストラにあった現場作業者、社会起業家やNPO関係者、国会議員から地方議員、大都市の市長から職員、公安警察の人から麻薬常習者、殺人課の警察官も来ました。右翼も来ましたし、革命家も来ました。
自殺未遂者も僧侶も、写真家も作家も、キャリア官僚も、著名な財界人も来ました。
デザイナーも芸術家も、百姓も靴職人も霊能者も行者も、渋沢栄一のひ孫も来ましたし、だれかの生まれ変わりだという人も来ました。
書いていくときりがないですね。
そうそう、今もお付き合いのある「元やくざ」の人もいます。
さらには、私の前世の友人も来ました。

いろんな人と一緒に、いろんな話も来ます。
M資金の話もあれば、生活保護の話も夫婦関係や親子関係の相談、25億円の遺産の寄付の話し、生きるための3万円の工面から6億円の仕事の相談までさまざまな相談も来ます。

オフィスは小さな1室ですが、実にさまざまなものがつまっています。
これだけさまざまな人が座ったことのある部屋は、そう多くはないでしょう。

会社を辞めた時、私が実現したかったのは、誰もがそこにいくとホッとできる空間です。
みんなに開かれていて、だれもがそこにある珈琲を飲める空間です。
そこではだれもが一人の人間として、楽しく話し合える空間です。
疲れたらそこに来るとちょっとだけ元気になれる空間です。
困ったらそこに行くと何とか先が見えてくる空間です。
死にたくなってもそこに行くと生きたくなってしまう空間です。
病気になってもそこにいくとみんなと同じだと思える空間です。

そんな空間をつくりたかったのですが、23年もたったのに実現できませんでした。
数年前に、一緒にその夢に取り組んでいた妻を病気で見送りました。
妻は、常識人でしたから、あまりにもいろんな人が来るので、最初は混乱しました。
オフィスに行くのを嫌がったこともあります。
しかし節子がいたおかげで、もしかしたらビジネス空間とは違った雰囲気が生まれ、そのおかげでいろんな人が素直に自分を開いてくれたのかもしれません。
ある会社の社長は、節子にとてもほれ込んでくれて、いつもお土産まで持ってきてくれました。
会うたびに、いつも節子をほめてくれました。

節子がいなくなって、オフィスを閉めようと思いました。
あまりにも思い出がつまっているからです。
しかし、結局、閉められませんでした。
閉めようと思った理由と閉めなかった理由は同じです。
閉めませんでしたが、夢は忘れました。

最近、またそのオフィスに通いだしました。
私だけではなく、またいろんな人が来てくれるようになりました。
今日は2つのサロンを開催したのですが、20人を越える人たちが来てくれました。
サロンで話を聞きながら、このオフィスをどういう空間にしようと思っていたかを、久しぶりに思いだしました。
もしかしたら、ちょっとだけ夢に描いていた空間になっているかもしれないと思いました。
サロンが終わったら、参加してくれた人たちがみんなで片づけをし、食器を洗い、きれいにしてくれました。
急に、このオフィスでホッとしてくれる人がいるかもしれないという気がしました。
とても幸せになりました。
どこかに節子がいるような気がしました。

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2011/05/20

■ボランティアはなぜみんな良い人なのか

東北に何回かボランティア活動にいっている友人から聞いた話です。

連休にボランティア活動に行った時、一緒になった人の中に会社勤めの人がいたそうです。
その人が、「どうしてボランティアは良い人ばかりなんだろう」と言うのだそうです。
友人からみると、その人もとても良い人なのでそう伝えたら、
「会社には、自分も含めて良い人なんかいない」と言われたそうです。
こんなに人間関係が気持ちよく、仕事も楽しくやれることはないというわけです。

友人も、たしかにボランティアはみんな良い人ばかりだといいます。
だから彼はボランティアに行くのが好きなのです。
それに、わずか数日だけの付き合いなのに、被災地から戻ってきてからも付き合うようになっているようです。
それも単なる付き合いではなく、お互いに支え合うような関係が生まれています。

私はこう考えています。
世の中に「悪い人」などいるはずもない。
素直に生きれば、幼い子どもたちがそうであるように、人はそもそもが良い人なのです。
悪い人などいないのです。
ところが、組織に入った途端に、素直に動けなくなるのです。
だから良い人のままではいられなくなるわけです。
そして、権威や権力、立場を振り回すようになる。
それに組織に入って仕事をするとお金をもらえますから、組織のルールを優先させなければいけません。
困った人がやってきても、商品を無料で上げてしまうわけにはいかないのです。
ところがボランティア活動は、誰からもお金をもらいませんから、素直な自分の判断で行動できます。
だからみんな本来の「良い人」になれるわけです。
そう考えるとボランティアがみんな良い人なのは当然なのです。

良い人がボランティアに行くのではありません。
ボランティアだから良い人になれるのです。
もしかしたら組織に戻ったら人が変わってしまっているかもしれません。
そして疲労してしまい、メンタルダウンしていくわけです。

つまらないことを書いているように思われるかもしれませんが、これからの私たちの生き方を考える上での大きなヒントがここにあります。

みんな「組織の呪縛」から抜け出れば、良い人に戻れるのです。
東電の人も本当はみんな良い人なのです。
もちろん「あなた」も良い人です。
万一疑いがあれば、被災地にボランティアに行ってみてください。
すぐに確信できます。
大震災は多くの人の心を救ってくれているのかもしれません。

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■節子への挽歌1356:カクテルバラ

節子
バラの季節です。
節子が育てていたさまざまなバラが咲き出しています。
節子が好きだった、バラらしくないバラのカクテルも毎日、花を増やしています。

Bara11_2

今朝もテレビでどこかのバラ園を紹介していましたが、バラ園にはいろんな思い出があります。
もっとも私たちが一緒に行ったバラ園は、いつも早すぎたり遅すぎたりで、私自身はあまり感激したことはありません。
ところが、節子が友人たちと行くといつもバラ園は見事だったようなのですが。
あるバラ園では取材を受けて、新聞にまで登場していました。
やはり花もまた人を選ぶのかもしれません、

一番悲惨だったのは、私たちの最後の海外旅行になったイランのシラーズのバラ園でした。
時期が少し遅れてしまっていたために中途半端な見事さでした。
中途半端なバラは、興醒めです。
バラは勢いがなければいけません。
その点、カクテルバラは勢いがなくてもそれなりに雰囲気を保ってくれています。
節子はカクテルバラが好きでしたが、私の好みではありません。

節子は正統的な真紅のバラが好きでした。
私ではなく、私の友人が真紅のバラをお土産に持ってきてくれてからかもしれません。
ちなみに、私は節子に花を贈ったことはありません。
もし人生を繰り返すとしても、たぶん花の贈り物はしないでしょう。
買物嫌いな私にとって、特に花を買うことは想像もできないことですから。

カクテルバラの向側には、ジュンが植えたプレイボーイが満開です。
私はこちらのバラのほうが好みです。

そういえば、湯島のオフィスにあったミニバラが先週、小さな一輪を咲かせていました。
季節がくれば咲きだす花が、とてもうらやましいです。

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2011/05/19

■節子への挽歌1355:バーチャルな世界

節子に会いました。

3年前に、この挽歌で、Wii Fit のことを書いたことがあります
Wii Fitは、任天堂のゲームソフトです。
前にも書きましたが、画面で自分のキャラクターを創りだし、その自分がスポーツやゲームをするのです。
健康管理プログラムもあり、体重測定や測定機能もあって、バランス年齢が出てきたりします。
3年前には毎日やっていたのですが、1年で飽きてしまい、誰もやらなくなっていました。
久しぶりに、娘がやっていたので、私もからだ測定をしてみました。
そうしたら恐るべき測定値が出たのです。

以前やっていた時には、バランス年齢は50代だったのですが、なんと75歳に劣化していたのです。
バランス感覚が落ちてきていますね、と画面で注意されてしまいました。

そもそも最初の画面で、こんなメッセージが出てきました。
「おさむさん 588日ぶりですね」
そうです、588日間、やっていなかったことがしっかりと記録されているのです。

一番簡単なトレーニングをやることにしました。
ジョギングです。
3分ほど走るわけですが、その画面の世界にはわが家の家族など、知り合いが何人かいるのです。
もちろん実在の人が自分でつくりだしたキャラクターです。
節子のキャラクターは、節子がいなかったので、苦労してみんなでつくりだしました。
苦労というのは、節子の体重に見合う家族がいなかったので、その操作がそれなりに難しいのです。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、そのおかげで、わが家のWii Fitの世界には、節子が元気にしているのです。

ジョギングは、実際にWii Fitの前で走ると、画面の私がコースを走っていくようになっています。
途中、誰かに追い抜かれたり、反対側から走ってくる人と会ったりします。
沿道で応援してくれる人もいます。
まあそういう単純なゲームなのですが、ゴールに近づいた時に、節子が反対側から走ってきたのです。
あっ! 節子だと声に出してしまいました。
しかし、節子は私には目もくれず、走り去っていきました。

まあ、それだけの話なのです。
すみません。

バーチャルな世界で節子に会う。
バカにされそうなので、あまりみんなには言えませんが、それもまあそれなりに楽しいものです。

実はもう一つ秘かに計画していることがあります。
これは内緒にしたい、ここだけの話なのですが(いささかの「違法行為」なので)、最近はまっているフェイスブックに節子を蘇らそうかと思っているのです。
節子のメールアドレスはまだ解約していないので、節子にメールすれば届きます。
返事がないので、読んでいないようですが、そのアドレスを使えば、フェイスブックが作成できます。
いや実際にもう作成してあるのです。
データはまだ未公開のままになっていますし、私との関係もいまは隠したままです。
でもフェイスブックの世界にも、節子がいるのです。
これもまあ、それだけの話なのですが。はい。

つまらない話につき合わせてしまいましたが、やっている本人(つまり私のことですが)にとっては、それなりに意味もあるのです。
この数日の挽歌とあまりにもトーンが違うので、戸惑われたかもしれません。
しかし、今日は久しぶりに節子に会えて、ちょっと幸せな気分なのです。

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■ハーバードの正義論への失望と日本生まれの正義論サロンのお誘い

日曜日(2011年5月15日)にNHKBSで「ハーバードからのメッセージ 世界は震災から何を学べるか」というシンポジウムの記録を見ました。
シンポジウムが行われたのは4月22日です。
基調講演はサンデル教授でしたが、白熱教室的に学生とのやりとりもありました。
つづいて緊急医療、原子力、都市防災の研究者が講演しました。
期待してみたのですが、正直、失望しました。
もっと本音で言えば、サンデルやハーバードの本質を見た感じです。
コメントする気にもなれないほど、私には内容のない話ばかりでした。

昨日、東北応援をテーマにしたサロンをやったのですが、石巻市にボランティア活動で行っていた宮部さんから少しだけ現地での体験などを話してもらいました。
2時間近いハーバードのシンポジウムよりも、私には刺激的な20分でした。

サンデルは、こう問いかけました。
「この震災は、私たちを変えるのか」
私は、そもそもこの問題の立て方に違和感があります。
私なら、「この震災で、私たちはどう変わるべきか」です。
つまりサンデルの意識には主体性が感じられません。
白熱教室を聴いていて、いつも不満に思っていたことです。
観察的な議論は、20世紀の知ではないのかと思います。
啓蒙の時代は終わっています。

サンデルは、アダム・スミスの、遠くの人の不幸への共感は実践につながらないという指摘を紹介し、ユーチューブなどによって情報を継続的に共有できる現代では、それを変えられるのではないかと示唆します。
しかし、それに関しても、「今回の一連の出来事の意味についての対話」しなければいけないというだけで、何が当時と違うのかについての言及はありません。
地震前から取り組んでいたというグローバル教室の紹介もするのですが、私にはことさら新しい試みには思えませんでした。
つまり、スミスとどこが違うのか、私にはわかりませんでした。

ある学生が「ハイチやスマトラ沖の地震との違いは何か」と鋭い質問をしましたが、それに対するサンデルの回答はよくわかりませんでした。
要はあんまり考えていないのでしょう。

昨日の湯島のサロンでも、今回の震災で私たちの生き方が変わるのかというような話も出ました。
間違いなく変わるでしょうが、問題はどう変わるかです。
それを決めるのは、研究者や統治者ではありません。
私たち一人ひとりの生き方です。
震災が私たちを変えるのではなく、私たちが変わるのを応援してくれるのではないかと、私は思っています。
変わってもいいのです。
そろそろ生き方を変えてもいい時期なのです。

とまあ、こんな議論をサロンでしたいなと思っていますが、その前にまずは「日本生まれの正義論」サロンを開催することにしました。
5月29日1時半から湯島です。
案内はホームページに掲載しました。関心を持ってもらえたら、ご参加ください。

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2011/05/18

■節子への挽歌1354:悲しみ嘆き、後悔し、自らを責め、無為に時を過ごしましょう

コメントに投稿してくれたお2人の人が、こう書いています。

愛する人、すべてを分かち合ってきた人を失って、喜びや楽しみの感情は全くなく、罪悪感や後悔に苛まれ、ただ一日をやり過ごしている感じです。
この状態を地獄と表現しました。

妻を喪うと同時に僕はすべてを失った気がします。夢も希望も、したいことも行きたい所もない。

お2人に共通しているのは、世界が無表情になったということかもしれません。
私はそうでしたし、いまもなおそうだといってもいいかもしれません。
無表情の世界にどう関わっていいか、わからないのです。

自らが生きていることさえ意味を失っているのですが、同時に「生きないこと」もまた意味を失っているのです。
まあ簡単にいえば、みんな勝手にやってよ、という感じが、節子を失ってから少し経過しての状況です。
当時は、世界が崩壊しても、大隕石が地球に衝突しても、なにも動じなかったでしょう。
むしろ心のどこかに、そうしたことを望んでいたとさえいえます。
「したいことも行きたい所もなく」、「ただ一日をやり過ごしている」。
まさにそんな状況でした。

いまも、それが大きく変わったわけではありません。
できることなら、そういう世界に埋没していたいという気分もありますが、生きることは自分だけの営みではありません。
みんな関わり合いながら、生きている。
一人そこから逸脱するのは「正しいこと」(right)ではないでしょう。
意図的にそう考えているわけではなく、自分の意識を超えて、自然と心身がそうなっているのです。
そうした流れには抗いようがありません。
生命の不思議さを感じます。

まなさんは、こうした状態を「地獄」といいます。
「罪悪感や後悔に苛まれる」辛さはよくわかります。
私も時々、今でもですが、逃げたい気分に陥ることがあります。
不安に陥ってしまうこともある。

しかし、最近、私はこう考えるようになりました。
いなくなってなお、罪悪感や後悔に苛まれるほどに思いを込めた人と出会えたのだ、と。
それは、この辛さを補ってなお余り過ぎるほどの大きな幸せではないか。

それにしても、たった一人の、しかもどこにでもいるような人がいなくなっただけで、これほど世界は変わってしまうことがあることの不思議を思います。
節子という存在はいったい何だったのだろうか。
美人でも才媛でもなく、私と同じように、どこにでもいるただの人です。
生前、節子がよく言っていたように、「私より素敵な女性はたくさんいるでしょうに」、なぜこれほどまでの思いが続くのか。
いくら考えても不思議でなりません。

まなさん
ぷーちゃん
今の状況もまた、愛する人といっしょに創りだしたことなのです。
悲しみ嘆き、後悔し、自らを責め、無為に時を過ごしましょう。
きっとそこにこそ、意味があるのではないかと思います。
先輩面して、偉そうなことをいってすみません。
本当は皆さんとそう変わらないのですが。

今日は初夏のような日になりました。

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■原発事故を語ることの難しさ

一昨日、NPO法人科学技術倫理フォーラムの交流会がありました。
10人の人が集まりましたが、後半、原発事故の話題になり、話が尽きませんでした。
技術倫理問題に取り組む技術者や大学教授、安全問題のプロ、市民科学的な視点から活動している人に加えて、技術者ではない人も数名います。
私もその一人です。
時期が時期だけに、原発事故の話題も出ました。
たまたま今回は、日本原子力発電株式会社の役員だった方もいたので、かなり生々しい話も出ました。
私が感じたのは、立場が違うと見えている世界が違うのだということでした。
どちらが正しいというわけではなく、あまりに世界が違うので、コミュニケーションが成り立ちにくいのです。
そこに不幸の一因がありそうです。

昨日、後術移転の仕事に取り組んでいる友人が来ました。
やはり原発事故の話題が出ました。
原発に関しては、なかなかかみ合う議論ができないのですよね、と彼も行っていました。
エネルギー関係の会社にいた人なので、きっといろいろと体験しているのでしょう。

昨日はもう一人、NPOに関わっている友人が来ました。
彼は少し前まで原発には関心がなく、安全を確保する対策がとられていると確信していたそうです。
ところがある講演会で、原発にはいろいろと問題があることを聴いたそうです。
そして大震災発生後、ボランティア活動のために福島にも行き、そこでもいろいろな体験と情報を得てきたようです。
そして彼の言葉を借りれば、人生が変わったのです。
原発事故も、小沢事件も、まったく違ったように見え出したといいます。
彼の話から、かなり過激な反原発に変わっているのを感じました。

原発情報の多くは、おかしな形で広報されています。
だから「安全」か「危険」の両極端におかれやすいのです。
これも不幸の一因です。
彼から聴いた話ですが、福島では子どもたちが授業で原発に見学に行き、そこで「きれいなおねえさん」から原発の安全性を教えてもらうのだそうです。
そのためみんな原発の仕組みなどの知識はあるそうです。
その子どもが、今回の事故の後、「おねえさんに騙された」と言ったそうです。
おねえさんとは、原発で説明してくれた人のことです。
本当は、原発の危険性も教えなければいけませんが、原発事業主体や政府は、それをきちんと教えてこなかったのです。
つまり、本当のコミュニケーション、広報活動をしていなかったということです。

情報が共有されていなければ、対話や議論は成り立ちません。
残念ながら、こうした状況はいまなお続いています。
いままで原発安全の基本に立っていたマスコミは、今度は原発の不安を煽る一方です。

事態はなにも変わっていない。そんな気がします。

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2011/05/17

■節子への挽歌1353:地獄

昨日の続きで、地獄のことを書きます。

地獄はいろんな意味合いがあります。
手元の世界宗教大事典(平凡社)には細かな字で4頁も記載があります。
しかし、最初に書かれている定義は簡単です。
「死後に赴くべき他界の一つ」とあります。
地獄と言うと、恐怖のイメージがありますが、彼岸のこととも言えます。

私にとっての彼岸のイメージは、とても明るくあったかいものです。
そこに節子がいると思っています。
私は、すべての人は同じ彼岸に行くと考えています。
ですから、私にとっての「地獄」は、彼岸とほぼ同じです。

人権と言うことがあります。
human rights の訳語です。
人権思想を支えているのは、「生きていることは正しい(right)」ということです。
誰かからその正しさを与えられたものではなく、生きていることが正しいのです。
ちなみに、このことは「生きていないことは正しくない」ということにはつながりません。
生きていないこともまた正しいのです。
それは矛盾しません。
それぞれの状況を、素直に受け容れるということでしかありません。
しかし、「生きていること」を勝手に否定することは正しくないはずです。
正しいことを否定するわけですから。

生きていれば、辛いことも悲しいこともあります。
煩悩から自由になることなど、できるはずがありません。
梅原猛は、愛と俗世の価値を並べて、いずれに縛られても地獄と語ります。
地獄という言葉は、彼岸とは別に、現世をさす場合もあります。
煩悩が地獄を生み出し、そこから抜けるには煩悩を超えることと仏教は説きますが、その時の地獄は此岸のことです。

つまり、地獄は彼岸でもあり此岸でもあるわけです。
そして、生き地獄であろうと先の見えない地獄であろうと、生きなければいけません。
それが正しいことだからです。
しかし、私はあまり「地獄」という言葉は使いたくありません。
そこは節子のいるところであり、私のいるところだからです。

たしかに愛する人がいない世界で生きることは辛いことです。
しかし、辛いのは自分だけではありません。
相手もまた彼岸で辛いのです。
辛い「地獄」が続くのは、しっかりと受け容れなければいけません。
生きていることが正しくなくなったら、きっと愛する人が彼岸の地獄に誘ってくれるはずです。

節子を見送って1353日経ちました。
ようやくこんな言い方ができるようになりました。
これは喜ぶべきことでしょうか、あるいは悲しむべきことでしょうか。
節子はどう思うでしょうか。
判断に迷います。

書き上げて挽歌にアップしようと思ったら、まなさんからコメントが届いていました。
アップを迷いましたが、アップします。
また新しい宿題をもらってしまった感じです。

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2011/05/16

■節子への挽歌1352:ぷーちゃんのコメントへ

今日は宛先を変えます。
節子ではなく、ぷーちゃん宛です。
ぷーちゃんはこの挽歌に今日、コメントを寄せてくれた人です。
私が知っているのは、そのコメントに書かれていたことだけです。

最近、実はかなり気が滅入っています。
3.11症候群と私が勝手に命名している症状です。
そんな状況であることもあって、今朝、このコメントをみた時には思考力を失いました。
すぐに返事を書かなくてはと思いながら、書けませんでした。
悪いことに今日は、ちょっと気の重い用事が2つありました。
一つは入院のための病院での検査だったのですが、いろんな検査をしているうちにすっかり気を吸い取られてしまった気がします。
しかしその間も、ぶーちゃんのコメントが片時も頭から離れませんでした。

夜はあるNPOの総会でした。
そのことはまたどこかで書きますが、少し気の重い総会だったのです。
つかれきりましたので、本当はもう寝たいですが、もしかしたらぷーちゃんが返事を待っているかもしれません。
コメントに関する返事ではなく、挽歌で返答しようと思います。

ぷーちゃんのコメントは、コメント欄を読んでほしいですが、一部を抜粋します。
私の頭から離れない部分です。

最愛の妻を喪って、僕は壊れてしまったようです。
毎晩、仕事から帰ると、泣きながら酒を飲みます。
妻が元気だった頃は散歩をして過ごした休日は、今では朝から夜まで酒を飲んで泣いています。
いったいいつまでこの地獄が続くのでしょう。
もうひとりの方も、先日、「生き地獄」とコメントに書いてきました。
「地獄」
実はずっとこの言葉がこの数日、気になっていました。
地獄ってなんなのだろうか。

と、ここから先はどうも長くなりそうです。
うまくかけるほど、今日は私自身余裕がありません。
それにぷーちゃんはもう酒を飲んで寝ているかもしれません。
書き出しましたが、この続きは明日にします。
ともかくずっと考えていたことをぶーちゃんにはお伝えしたいです。
まなさん、にも。

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2011/05/15

■節子への挽歌1351:終わらぬ日々がつづく

昨夜、NHKBSテレビで「死刑 被害者遺族・葛藤の日々」を見ました。
時評編で書きましたが、先日、ブログの読者から「死刑弁護人」の本が事務所に届いていたこともあって、しっかりと見せてもらいました。

この番組は、今年の3月、最高裁で死刑が確定した連続リンチ殺人事件(1994年)で息子を殺された夫婦と弟を殺された人の17年間の心の動きを追ったドキュメントです。
主軸にあるのは、被告との関係を通しての、それぞれの心の葛藤です。

息子を失った夫婦は最後まで被告と会うことを拒否し、死刑を求めてきました。
一時期、被告から繰り返し届く謝罪の手紙に心が揺らぎますが、弁護士からの電話で弁護士の意図を感じて、再び心を閉ざします。
そして死刑が確定した時には涙ながらに喜び息子に報告するのですが、3か月後の取材では、気持ちがやはり整理できないと語ります。
目的が達成されてはじめて、死刑の持つ重さに気づいたのかもしれません。

弟を失った人は、途中で死刑反対に心が変わりますが、それでも時々、死刑反対を唱える弁護士たちに利用されているのではないかという迷いが生まれると語ります。
被告には会い続けますが、裁判の途中で脳梗塞で倒れてしまいます。
しかし、リハビリに励み、また刑務所に被告に会いに行きだすのです。
彼は死刑判決を聞いて「残念」と不自由な口で一言つぶやきます。

被害者遺族にとっての死刑とは何か、そのことを通して、生きるとは何かを考えさせてくれる番組でした。
こうした重い番組は、最近どうも苦手です。
一人で見るには、いささか辛いです。
かといって誰か第三者と見るのは、さらに辛いような気がします。
そういう番組を見ていると、自分でも気づいていなかった生の自分が露出するからです。
節子であれば、その露出がむしろ自分のパワーになりますが、節子以外の人だったら、それがたとえ娘であっても、心安らかではないように思います。

番組の話を長々と書きましたが、最後のナレーションでドキッとしました。
「被害者遺族にとっては、終わらぬ日々がつづく」
そんなナレーションだったと思います。
今思い出して、文字にしてしまうと何の感慨もないのですが、昨夜、番組を見ての最後にその言葉を聴いた時には、まるで自分のことを言われたような気がしたのです。

始まったことは終わらない。
愛する人の死は、それが病死であろうと殺害であろうと、人生を変えてしまいます。
変わった人生は、もう再び変わることはないのです。

この挽歌の読者の方がコメントにこう書き込んでくれました。

私はまだ40代なので、あと何年、夫無しで生きていかなければならないかと思うと、ぞっとします。
生き地獄です。
新しい人生が、生き地獄であってはいけません。
そう思いますが、私には、そしてたぶんご本人以外には、成す術がないのです。
生きるとは一体何なのか、この歳になって、そんなことを考えようとは思ってもいませんでした。
今頃は、縁側でのんびりと節子と意味のない無駄話を語りあっていたはずなのですが。

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2011/05/14

■節子への挽歌1350:夫婦での散歩のお薦め

節子
久しぶりにチビ太の散歩に行きました。
最近は歩くのもやっとで、あれほど喜んでいた散歩も、あまり喜びません。
それにあまり無理をさせないほうがいいとお医者さんにも言われています。
いつぞやは歩く向きを変え損なって、仰向きに転んでしまいました。
それ以来、ともかくチビ太の歩く速度に合わせてゆっくりと歩くようにしています。
たった200メートルくらいの往復に20分近くかかるのです。

今日、そうやって散歩しながら、節子と一緒の散歩のことを思い出しました。
節子も、「その年」の今頃はチビ太と同じようなテンポでした。
それでも節子は散歩を止めませんでした。
節子と一緒の散歩は、悲しい散歩も楽しい散歩もつらい散歩もありました。
手術直後のリハビリのための散歩は泣きながらだったことも少なくありません。
一緒に散歩していると、特に話などしなくても、お互いのことがよくわかります。
歩き方に、その人の性格や価値観が自ずと出てくるからです。

節子とは、散歩ではありませんが、一緒によく歩きました。
考えてみれば、私たちは奈良を1日、歩き続けることから始まったのです。
電車で偶然に会って、そのまま奈良に行き、奈良公園から、春日大社、東大寺をまわって、奈良駅に着いた時には、もう暗くなっていたのを覚えています。
それからもよくいろんなところを歩きました。
私たちが一緒に歩いた距離はどのくらいでしょうか。
かなり長いかもしれません。

しかし、自宅の周辺の散歩は、節子が胃の手術をしてからです。
日常生活における散歩は、もう少し歳をとってからという思いが、私にはあったのです。
もっと早くから一緒に散歩することが、生活に組み込まれていたら、私たちの人生は変わっていたかもしれません。
そんな気もします。

ご夫婦で散歩している姿を時々見かけます。
うらやましいという思いではなく、素直に祝福したい気がします。
私たちができなかった分も、たくさんしてほしいです。
夫婦にとっての散歩の効用はとても大きい。
それに気づかなかったのが、とても悔やまれます。
そして、その気になればできるのに、それをしない夫婦が多いのが残念でなりません。
まあ、私たちもそうだったわけですが。

もしお読みなっている方で、夫婦での散歩をされていない人がいれば、ぜひ伴侶の方に声をかけて、明日にでも一緒に散歩に出かけてみてください。
世界が変わるかもしれません。
私にはもうできませんが、できる人にはぜひお薦めしたいです。

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■節子への挽歌1349:ジャスミンの香り

節子
1週間ほど前から、駐車場の白いジャスミンが満開で、その香りがあたりに充満しています。
わが家の20メートル先くらいから、その香りがにおってきます。

ジャスミン茶は苦手ですが、ジャスミンの花の香りは大好きです。
風下に当たる玄関先の駐車場に咲いているので、家には香りは届いてきませんが、節子の位牌に小さな一輪を供えるだけで部屋にジャスミンが行き渡ります。
カサブランカもキンモクセイも、みんな気持ちを和らげてくれますが、ジャスミンはそれだけでなく、ちょっと夢も感じさせてくれます。
ジャスミンの香りは、なぜか節子を思い出させてくれるのです。

Jas

もう盛りを過ぎてしまっていたのでアップ写真にしました。

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■「3.11以前と以後で世界が変わったと感じます」

マスコミ報道を見ていると、原発事故への不安は収まりつつあるような雰囲気がありますが、事態はおそらく悪化しているように思います。
私の周りでもむしろ不安は高まっているような気もします。
今日は被爆による死者までが公表されてしまいました。

昨日、知り合いから故郷に転居しようと思うというメールが来ました。
昨日会った若者は、なぜみんなこんなに安心しているのか理解できないと言っていました。
たしかに、最近のテレビの報道にも緊迫感がありません。
1号炉の状況が明らかになるにつれて、工程表も破綻しつつあると思いますが、それを心配する声も高まりません。
「慣れ」が広まっているのか、慣れさせられてきているのか、あるいは諦めたのか、わかりませんが。

一時期、自重していたテレビも、何もなかったように、元に戻ってしまいました。
こうした状況を見ていると、ソドムとゴモラを思い出します。
神が、もう一度怒らなければいいがと祈りたくなります。

生活のあり方を本気で見直す動きはあまり感じられません。
むしろ節電と称した販売促進活動が呆れるほど増えています。
以前も書きましたが、すべてが収益活動に取り込まれていきます。
しかも規範が軽視されるのも、私には心配です。
クールビズでネクタイなしの姿も多いですが、政治家くらいはネクタイをしてほしいです。
国民の首を絞める前に自分の首をしっかりと絞めて、襟を正すべきです。

原発と原子力は、所詮は同じものだという、ただその一点から私の原発観はつくられていますので、いささか極端かもしれません。
福島はわが国の3番目の被爆地であり、しかも、じわじわと被爆している状況にある。
私には、恐ろしい話です。
わかっている人がつい口を滑らすと、よってたかってマスコミがそれを非難し撤回させます。
ですから真実はますます見えなくなっていくわけです。

毎日のように、原発の危険性を話しあう集まりが開かれていますし、その報告や映像がメーリングリストやユーチューブで広く流れてきます。
しかし問題は極めてシンプルです。
神奈川の新茶の汚染が話題になることで、それは一目瞭然です。
私たちは放射能とうまく付き合わなければいけない社会をつくってしまったのです。
その認識からはじめないといけないように思います。

昨日も友人から、「3.11以前と以後で世界が変わったと感じます」という手紙をもらいました。
その変わってしまった新しい世界にうまく入り込めずに、最近、いささか精神不安です。
何かを時評する気が起きてきません。
厭世観に襲われています。
気分転換に「運命のボタン」という映画を見てしまいました。
ますます滅入ってしまいました。
たぶん軽い「うつ」症状です。
困ったものです。

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2011/05/13

■節子への挽歌1348:「ちゃんと入院しなさいよ」(

節子
風早さんから電話がかかってきました。
「入院するんですって!」といつものように思いを込めた声が聞こえてきました。
「親知らず歯を抜くだけですよ」
と答えたら、「知ってます。でも侮ってはいけません。ちゃんと入院してくださいよ」というのです。
そういえば、ある人も同じようなメールをくれました。
私がちゃんと入院することをまだ疑っているようです。
どうも私は友人たちからの信頼がありません。

しかしなぜ風早さんが知ったのでしょうか。
あるメーリングリストで日程決めに関して、その日は入院日だと答えたのを読まれたようです。
私は口が軽いので、気楽に何でも話してしまい、いつも節子から「言わなくてもいいことをいってしまうんだから」と呆れられていましたが、まさに余計なことを口にしてしまうタイプなのです。
困ったものです。

風早さんはメールまでくれました。
それによると、昭和58年にやはり1週間の入院で親知らず歯を抜いたのだそうです。
問題は、その後にこう書いてありました。

今でもカンカンというノミで骨を削る音が耳の奥に残っています。
恐れさせるつもりはありませんが、侮ってはなりませんぞ!
これは十分に「恐れさせて」います。
まあ担当の医師からはもっと脅かされていますが。

実は、この件は入院が決まった時にフェイスブックに書いたのですが、その記載へのコメントがいろいろ寄せられたのにも驚きました。
フェイスブックでは時々、メッセージ性のあることも書いていますが、そういうことへの反応よりも、格段に多かったのです。
世界の未来と私の歯の手術とどっちが重要かといやみを言いたい気もしますが、後者のほうが気楽に反応できるのでしょう。
つまり重要ではないということです。
困ったものです。
しかしみんなが心配してくれることには感謝しなければいけません。
そういえば、風早さんのように体験者もいました。

娘たちは心配していません。
節子がいたら心配してくれるのに、と娘たちに言ったら、お母さんも心配しないよ、と即座に言われました。
そういえば、節子の最初の胃の摘出手術の時、一番心配していなかったのは節子でした。
早期発見だから大丈夫と言っていました。
家族や友人を心配させないように、明るく話していました。
その頃のことを思い出すと、節子にまた無性に会いたくなります。

しかし1週間、病院で何をしたらいいのでしょうか。
久しぶりに読書三昧とも考えましたが、「ノミで骨を削る音が耳の奥に残っている」としたら、読書どころではないでしょうね。
医師と交渉して早目に退院しなければいけません。

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2011/05/12

■節子への挽歌1347:苦悩する人間から愛する人間へ

節子
昨日は風邪気味なのに約束があるために湯島に出かけました。
それですっかり調子を狂わせてしまいました。
それで挽歌を書く気力もなく、昨夜は早々と寝てしまいました。
折角、表題の番号と節子のいない世界になってからの日数とを一致させようと努力しているのですが、また1日ずれてしまいました。
今日はがんばって2つ書こうと思いますが、まだ頭がぼんやりしていて、書くことかどうか心配です。
実のところ、最近、あまり社会活動をしていないのです。
社会に関わるような活動をしていないとなかなか思考の世界も広がりません。
脳の内外の世界がつながっていることは、こうした体験から良くわかります。
行動と思考はそれぞれを支えあっているのです。
行動していないと挽歌や時評もなかなか書けません。

ところで、一昨日から心にひっかかっていることがあります。
朝日新聞に連載されている「人・脈・記 生きること」の13回目のタイトルは「愛する人間に変わった」でした。
「夜と霧」の著者、ビクトール・フランクルの話です。
彼はアウシュビッツで、妻と両親、そして兄までも失っています。
生きる意欲をなくすまでに悲しんでいた彼を、よみがえらせたのは、再婚することになるエリーでした。
そして、ビクトール・フランクルは「愛する人間」に変わったのというのが、その記事の内容です。
フランクル夫妻の伝記の中に、ビクトールのメッセージが出てくるそうです。 

「エリーへ あなたは、苦悩する人間を愛する人に変えてくれました」
なぜビクトールは、悲しみや苦悩から解放されたのか。
2人が出会ったころ、食べることも忘れて語りあったそうですが、語り尽くしたビクトールがこう語ったというのです。
「もうこれで話した。すべて終わりだ」
私の心にひっかかっているのは、この言葉なのです。
すべて話してしまえば、終わりになるのか。
もしそうならば、私なら話したくないと思ったのです。
しかし、その一方で、すべて話したいとも思ったのです。

まあこんなつまらないことを、この2日間ボーっとしながら、考えるでもなく考えていたわけです。
そして、いつものように、同じ結論に達しました。
悲しみも苦悩も、愛することも、みんな結局は同じことなのだと。
ビクトール・フランクルは、それに気づいたのです。

「夜と霧」は最近、池田香代子さんによって新約が出されたところです。
ちなみに、池田さんは最近話題の浜岡原発の停止を呼びかけてきている人でもあります。
その池田さんが新約されたというので、再読してみようかと思っていたところです。
いえ、正確には再読ではありません。とても読了できなかった本の1冊です。
いまならもしかしたら最後まで読めるかもしれません。

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2011/05/11

■自己責任と他者責任は同義語

被災地にまつわる報道には、考えさせられる話がたくさんなります。
一番考えさせられるのは、人と社会との関係です。

たとえば、昨日から始まった避難区域にある自宅に一時帰宅した住民に対し、国側が「警戒区域が危険であることを十分認識し、自己の責任において立ち入ります」などとする同意書に署名を求めたという話には驚く一方で、奇妙に納得できてしまいました。
一時期、「自己責任」が盛んに言われた時がありましたが、他社に対する「自己責任」という言葉は「責任回避」と同義語です。
みんな「自己責任」をとりたくないのです。
そういう意味では、この言葉は「他者責任」と同義語かもしれません。
こうまでしないと後で問題が起きた時に、責められることもあるのでしょう。
こうして、責任回避のスパイラル進化が始まっていくのかもしれません。
責任回避とは、人とのつながりを切るということでもあります。
人のつながりを切った社会づくりが進められているというわけです。
そのことが、いろんなところで見え出しました。

そもそも生きるということは、自己責任を引き受けるということです。
わざわざ他人から自己責任などといわれたくないと、私は思います。
今回のユッケ事件にも当てはまります。
生きるための自己責任への覚悟が希薄になっています。
誰かの保証してもらわないと生きていけないとは、まさに家畜の世界といえるでしょう。
家畜の群れには、横のつながりは不要です。
必要なのは主人とのつながりだけです。

私は、家畜としてではなく、自己責任を持った人間としていきたいと思っています。
しかし、そうしたことを許さない風潮があることも事実です。
いまや住む場所さえ行政が決めるという時代です。
決める行政も大変ですから、「自己責任」ルールを使わざるを得ないのかもしれません。

うれしい話もあります。
今朝のテレビで、津波被災地の住人たちが、自分たちの地域に戻って、みんなで支えながら暮らしているのを報道していました。
自分たちで発電機を持ち寄り、時間を決めて利用したりしていたそうです。
そこに漸く昨日、電気が通じたという話でした。
震災前には、挨拶をする程度の人たちが、しっかりと支え合う生き方をしだしたのです。
しかし、浸水の可能性の高い地域なので、行政は高台への移住を勧めているようです。
場合によっては、そこに住むことを許されないかもしれない。
そのため壊れている自宅の修理もままならないようです。

自然災害はどこでも起こりえます。
それを踏まえた暮らし方こそが、私は歴史であり、地域の文化だと思います。
確かに今回の地震も津波も大きかったですが、だからといって、ただ危険から逃避するだけの発想でいいのか。
自然と共に生きる生き方をこそ、考えるべきではないか、そう思います。
決めるのは、あくまでもそこに住む人たちではないかと思います。
行政ができるのは、そこに住むことに関する危険性の情報提供です。

みんなで支え合いながら、新しいコミュニティを育てだしている。
そうした人たちは、「自己責任」などという言葉を意識はしていないでしょう。
ただただ自然にそうしているのではないかと思います。
それこそが生きることだからです。

そうした動きが、東北の各地で始まっているのでしょう。
市町村合併でおかしくなった、暮らしの場が、原点に戻って問い直されているような気がします。

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2011/05/10

■節子への挽歌1346:本当に必要なものは一つ

節子
こちらではいろんなことが起こっています。
たとえば今日はこんなことがありました。

福島の原発事故で周辺の住民は自宅退去させられていました。
それ以来、みんな自分の家に戻れないでいたのです。
そして、今日から一時帰宅が開始されたのです。
自宅にいられるのはたった2時間。
そして持ち帰られるのは一袋です。
私だったら何を持ち帰るか。
テレビでは、位牌や預金通帳、印鑑、権利書、アルバムなどを持ち帰る姿が報道されていましたが、まあふつう思いつくのはそんなところでしょう。

しかし考えてみるとこれは結構難しい問題です。
何を選ぶかに、これまでの自分の生き方、これからの自分の生き方が象徴されるような気もします。
私もいろいろと考えてみました。
しかし、なかなか選べません。
そして結局は選べないだろうと言うことに行き着きました。
言い方を換えれば、何でもよくて、目に付いたものを持ち出すことになるだろうということです。
節子がいないという前提での話ですが。

節子がいない現在、すべての物事の重要性は、私にはフラットになった気がします。
私にとって重要だったのは、考えていくと、節子だけだったのです。
真意が伝わるかどうか不安ですが、人にとって本当に必要なものは一つしかないのかもしれません。
その「一つ」が、人なのか、物なのか、場所なのか、思い出なのか、あるいは名誉なのか誇りなのか。
それは人によって違うでしょう。
なかには「お金」と言う人もいるかもしれません。

私の場合は、節子でした。
そのたった一つの「必要なもの」を失った時、人は価値の基準を失います。
自らが生きていくことの価値さえ見えなくなる。
だから、その「一つ」は、自分よりも大切なのです。
それがあればこそ、生きていけるのかもしれません。
それを無くした時、人はどうやって生きていけばいいのか。
少なくとも「生きる意味」は変わってしまいます。

自宅に久しぶりに戻った人の言動を見ながら、そんなことを思い馳せていました。
そして、みんな何かを「持ち帰る」ためにではなく、たくさんの思いを「置いてくる」ために、自宅に戻りたかったのではないか、とふと思いました。
みんなの生き方はたぶん大きく変わっていくでしょう。
その出発点として、自宅に立つことの意味は、とても大きいように思います。

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■転向ブーム

福島の原発事故以来、「転向」が続発しています。
「転向」というと否定的なニュアンスがありますが、昨今の原発評価に関する転向の動きは私は好意的に受けとめています。

転向を感じたのは、まずは新聞記者からです。
毎日新聞の大阪社会部の日野記者が、4月21日の「記者の目」で、「これまで不都合な警告や批判を封じ込め、「安全」を自明のものとして押し付けてきた業界の独善的体質が今回の事故の背景にあると思える」と書きました。
フェイスブックで、もう少し早く書いてほしかったとコメントしたら、ある人から「漸く書けるようになったのだから応援すべきだ」とたしなめられました。
その通りです。
私も、日野記者に拍手を送りました。

これまで原発を推進してきた学者にも転向が広がっているように思います。
たとえば、最近、内閣官房参与を辞任した小佐古教授がその典型です。
涙の辞任会見で話題になりましたが、あの涙は転向への迷いの涙だと思います。
小佐古さんは、これもいま話題の浜岡原発のアドバイザーだった人だと聞いていますが、原発推進派だったはずです。
だからこそ参与に任命されたのでしょう。
髙木さんや小出さんとは違って、時流の中で生きている人でしょう。
しかし、その小佐古さんも転向しました。
私は、複雑な思いではありますが、拍手したいと思います。

テレビのキャスターやコメンテーターの発言も微妙に変わりだしました。
まだはっきりと「転向」したと思える人はいませんが、少なくとも原発に批判的だった人の「物言い」は変わってきました。
おそらく発言できる雰囲気が生まれてきているのでしょう。
それに「教化」されるように、たぶん何も考えていないタレントの発言も変わりだしているように思います。
マスコミ全体の空気が「転向」しつつあるともいえます。

こうした動きは歓迎したいですが、気になる点があります。
それは、こうした「転向」が、「信念の転向」ではなく、「功利的な転向」なのではないかということです。
あるいは、「孤独の転向」ではなく「流された転向」ではないのかということです。
要するに「勝ち馬」に乗っただけです。
もちろんそれが悪いわけではありません。
負け犬の遠吠えよりも、勝ち馬のいななきのほうが良いに決まっています。
それに、勝ち馬と負け犬が逆転したということでもあります。

それはわかっていますし、浜岡原発の運転停止のように、私が望む方向に動き出していることは歓迎すべきなのですが、なぜか素直に喜べないのです。
喜べない理由の一つは、テレビで見る街頭インタビューの市民の発言です。
制作者の編集があるでしょうが、今の電気依存の便利な生活を手放したくないと考えている人が多いのには驚きます。
たぶんマタ「計画停電」をちらつかされただけで流れは変わりかねません。
電力が不足しているというはっそうそのものが、私にはおかしい発想だと思うのですが。

国民が「転向」するには時間がかかりそうです。
なぜならみんな何も考えていないからです。
テレビで街頭取材に答えている人の話を聞いていると蹴飛ばしたくなりますが、多分私も取材されたら同じような発言をするかもしれません。
かく言う私も、おそらく何も考えていない仲間の一人なのでしょう。
自分ではわかっているような気もしていますが、何も動いていないのですから。

まさに大勢に順応する生き方しか、私たちはしていないのだと思うとぞっとします。
そんな世界に生きている自分がおぞましくて、どんどん厭世的になってしまっています。
どうやってこの底無し沼から脱出すればいいのでしょうか。
私も改めて「転向」すべきで時期かもしれません。

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2011/05/09

■節子への挽歌1345:丑三つ時の事件

昨夜、時間はまさに丑三つ時、つまり午前2時。
わずかな音で目が覚めました。
不連続で、パソコンのキーボードを打ち込んでいるような音です。
うとうとしながらだったので気のせいかと思いました。
ところがしばらくしてまた聞えてきました。

私は寝る時には、真冬でもドアを開けて寝ています。
わが家でドアを閉める習慣があるのは、娘たちだけです。
ですから娘の部屋を除いて、すべての部屋は扉があいています。
その音は部屋の外から聞えてきます。
気のせいではなく、まちがいなく誰かがキーボードをたたく音です。
娘はもう寝ていますし、彼女の部屋の扉は閉まっているので聞えてはこないはずです。
寝室の隣が私の仕事部屋ですが、どうも音は階下から聞けてくるようです。
階下の和室には、節子が使っていたパソコンがあります。
そういえば、ちょうど節子がキーを打っているような、あまり速いテンポではない打ち方です。
音は間違いなく続いています。
節子でしょうか。

時計を見ると、まさに「2:00」。草木も眠る丑三つ時です。
起き上がって階段のところまで行きました。
と、そのキーボードを打ち込むような音がぴたっと止まったのです。
やはり気のせいかと思っていたら、今度はちょっと違う音がしてきました。
意を決して、階段を下りました。
さて、それからどうなったか。

実に退屈な展開が待ち受けていたのです。
期待させてすみません。
そこにいたのは、わが家のチビ太だったのです。
チビ太は室内犬ですが、いささか獰猛な性格なので、いつもリビングの一角に紐でつながれています。
ところが、なぜかその紐がはずれてしまったようで、階下を自由に彷徨していたのです。
その歩く音が、ちょうどパソコンのキーボードを打つ音だったのです。
いやはやとんだ丑三つ時の事件でした。

チビ太を彼のベッドに連れて行こうとしたら、足がびしゃっと水につかりました。
なんとチビ太くんは廊下におしっこをしていたのです。
なんとまあ性格の悪い犬でしょうか。
まあ飼い犬は飼い主に似てくると言いますから仕方ありませんが。
しかし、なぜチビ太の紐ははずれたのでしょうか。
そんなに簡単にはずれるはずはないのですが。

やはり節子の仕業でしょうか。

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■「資本主義はどこへ向かうのか」

西部忠さんが最近出された「資本主義はどこへ向かうのか」(NHKブックス)を読みました。
http://astore.amazon.co.jp/cwsshop00-22/detail/4140911735
西部さんとは面識はありませんが、以前から地域通貨に関する論考で、学ぶことの多い人でした。
本書のサブタイトルは「内部化する市場と自由投資主義」です。
久しぶりに知的興奮を感じながら読みました。
私がワクワクしたのは、「言語」と「貨幣」をつなげて考えている発想です。
これまでの西部さんの論考では、あまり読み取れなかったのですが、実に納得できました。
私が「ジョンギ」で目指したかったことがようやく自分でも理解できました。

ところで、最後の「おわりに」に書かれていた西部さんの言葉が、一昨日書いた記事(「消費しなでもいいのだ」)に重なるような気がしたので、ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

グローバリゼーションとは、わたしたち自身の内部における、無意識のレベルにおける価値や規範、思考習慣の変容を伴ってもいる。それはあたかも、わたしがペットボトルの水に小さな違和感を感じつつも、やがてそのことを忘れて、日々、貨幣でペットボトルの水という商品を買い続けたように。

それだけではない。わたしたちはあたかも資本家のように費用を節約し、より新しい技術や商品、有望な収益機会に投資して利潤を上げるように考え、判断し、行動することを強いられるようになっているのではないか。人々は、日々、先物やFXに投資し、自らの人的資本に投資する。それは必ずしも自ら望んだものではない。どこか外部から強いられた強迫観念のようなものである。わたしたちの意識はそれによって操作されているとも言える。それこそ、まさに内なる制度でないだろうか。

気楽に読めるという本ではありませんが、地域通貨(私はコモンズ通貨と呼んでいますが)にご関心のある人にはお薦めします。

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2011/05/08

■節子への挽歌1344:カーネーションのない母の日

今日は母の日です。
残念ながらわが家には何事も起こりませんでした。

節子がいた頃は、みんなで母の日を祝って食卓を囲み、娘たちは節子に何かをプレゼントしていました。
父の日とはだいぶ違いました。
そういえば、母の日は私が子どもの頃からありましたが、父の日は途中で誰かがつくったものですので、私にはほとんど興味がないというのも一因でした。
私がまだ小学生の頃は、母の日にはみんな赤いカーネーションを付けました。
母親のいない子どもは、白いカーネーションでした。
今から思うと何という思いやりのないルールだったかと信じられない気がします。
大人のルールに懐疑的だった子ども時代の私は、当時から反発していました。
私はカーネーションが好きではありません。

今日は節子の位牌壇にもカーネーションは飾られていません。
なぜ飾らないのと娘に訊いたら、節子もカーネーションが嫌いだったのだそうです。
今日はじめて知りました。
それでわが家の庭にはカーネーションがないのです。
それで節子に供えるのは撫子なのだそうです。
そういえば、一昨日のお墓参りの花にも撫子が入っていました。
考えていないようで、娘たちはいろいろと考えてくれているようです。
私とはだいぶ違います。

節子への母の日プレゼントは私が代理で受け取るよと娘たちにいったのですが、相手にされませんでした。
どうも母親と父親は違うようです。
いや私が親としてあまり認知されていないのかもしれません。

節子は節句とかメモリアルデイとかイベントデイは、それなりに好きでした。
私は古来の節句などはともかく、誰かが勝手につくった商業主義的な「○○○の日」というのは好きではありません。
私が嫌いなせいか、節子がいなくなってから、そうした祝膳が少なくなったような気もします。
しかし、娘たちが適度に節子的な食事を用意してくれます。
その日が、わが家の祝日なのです。
まあわが家の祝いの膳と言っても、手巻き寿司や筍ご飯や、まあそんな程度なのですが。

明日はみんなで夕食は韓国料理に行くそうです。
明日は何の日なのでしょうか。

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■節子への挽歌1343:井口さんからの新茶

節子
井口さんから毎年恒例の新茶が届きました。
お茶好きの節子に供えさせてもらいましたが、久しぶりに井口さんに電話しました。
奥さんが出ました。
節子は会ったことはなく、手紙だけの交流でした。

その井口さんの奥さんが体調を崩してもうかなりになります。
難しい病気で、なかなか治療法がないようです。
何か私に出来ることがあればいいのですが、私には何ができるか検討もつきません。
節子がいたらもう少し何か方策があるような気もしますが、私はただ心配することしかできません。
井口さんに限らず、こうしたことがこれまでも何回もありました。
夫婦の付き合いや女性への対応は、節子がいない私には難しいのです。

井口さんは、奥さんとできるだけ一緒にいるようにと勤務を辞めました。
仕事は続けていますが、仕事量は激減したはずです。
大学の教授だったのですが、その潔さに感服しました。
それだけではありません。
昨年、転居することにしましたと連絡があった時には驚きました。
奥さんの体調を考えての決断だったようです。
ますます感服しました。
私も節子の体調に合わせて、少しだけそれに似たような決断をしましたが、いまから考えるとやはり中途半端でした。
思いだすと悔やまれることばかりです。

久しぶりに電話で話した奥さんは元気そうでした。
その旨、伝えると、最近ようやく底を脱しましたという答が返ってきました。
とても明るい声でした。
辛い体験もお聴きしました。
看病していたお母さんを数か月前に見送ったようです。
しかしそれが逆に一つの節目になったようです。
おそらくとても深く愛していたのでしょう。
矛盾しているようですが、私にはそんな気がします。
代わって電話口に出てきた井口さんも元気そうでした。
とてもうれしい気持ちになりました。

伴侶の体調の辛さは、わかり合えるようで、なかなかわかりません。
それが私の体験的反省です。
しかし、2人で取り組んでいる時は、お互いにとても幸せなのかもしれません。

井口さんもしばらくは仕事があまりないようです。
お二人でゆっくりと季節を楽しまれることでしょう。

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■第三次インティファーダの動き

中東の動きがなかなか見えてきませんが、先週、メーリングリストで次のような情報が流れてきました。
真偽のほどはわかりませんが、ネットで調べたらどうもそうした事実があるようです。

この3月末から4月にかけてイスラエルに対する「第三次インティファーダ」を呼びかけたフェイスブック・ページをイスラエルとシオニスト団体がその圧力によって削除させました。(出典:松元@パレスチナ連帯・札幌)

インティファーダ。
以前、ホームページで少しだけ書いたことがあります
インティファーダはそもそも「蜂起」という意味ですが、パレスチナ問題においては1980年代後半に起こったパレスチナでの住民蜂起をさします。
「石つぶてで圧政者に立ち向かう住民」に対して、最新兵器で掃討するイスラエル軍」という構図が報道されたために、その蜂起は国際世論を起こしました。
まだフェイスブックなど広がっていない時代でしたが、イメージの強さはいつの時代にも風を起こします。
中東の民主化革命のはしりといえるでしょう。

今回、チュニジアから始まった中東の住民蜂起はエジプトでは大きな変化を起こしましたが、リビア、シリア、イエメンなどではなかなか成果をあげられずにいます。
これに関してもさまざまな論考がネットで流れています。
そこに新しい希望を見る人も少なくありませんが、対立は激化し、ますます暴力的な様相を呈しています。
それに対して、第三次インティファーダが呼びかけているのは、非暴力の住民蜂起です、
蜂起ですから、暴力的要素が全くないわけではないでしょうが、個人が主体か組織が主体によって、暴力の性質は全く異なります。
第一次インティファーダでは「投石 対 最新兵器」と言われましたが、そのことに住民蜂起の本質が象徴されています。
つまりインティファーダは、個人対組織の対立構造とも言えるのです。
そしてそれこそが「民主化」につながります。
住民蜂起のない「民主化」は、たぶん画に描いた餅でしかないでしょう
いまの日本を見ると、それがよくわかります。

こういう状況の中で、ビンラディンは暗殺されました。
インティファーダを呼びかけた人たちにとって、ビンラディンは敵だったのか味方だったのか。
それはわかりませんが、少なくとも蜂起する住民たちを支えているのは、憎悪ではないはずです。
そこに私は未来を感じます。
そして、同時にオバマの大統領就任演説が虚しく思いだされます。

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2011/05/07

■節子への挽歌1342:自殺未遂サバイバーの友人

節子
昨年知り合った吉田さんという人がいます。
私よりも歳上の男性です。
彼は、自殺未遂したことをカミングアウトし、昨今の自殺対策関係者にもっと自殺未遂者の声を聴いて欲しいと働きかけ続けてきました。
しかし、なかなか聞いてもらえないばかりか、吉田さんの思いの強さに逆に敬遠されるような状況に陥っていました。
私は、その噂を少しだけ聞いていましたが、昨年11月に私たちが主催したフォーラムに吉田さんが参加してくれました。
直接話してみると、しっかりした人で、噂とは違います。
噂で人を判断してはいけないことを改めて実感しました。

以来、吉田さんはよく湯島に来ます。
そして彼のこれまでの人生をしっかりと聞かせてもらいました。
そしてこれからの生き方や活動計画をじっくり聞きました。
私よりも年長なのに、その計画への吉田さんの思い入れはすごいものがあります。

吉田さんはかつて会社を経営していました。
ところが注文が多くなりすぎて、対応できなくなり、そこから人生が狂い出しました。
精神的にダウンし、狂言自殺を経て、本当の自殺を図りました。
幸いに生命は助かりましたが、それもあって家族は崩壊しました。
吉田さんを再度の自殺から救ったのは、実の妹さんだったようです。
その方は、現在はフランスにお住いのようです。

最近はすっかり元気ですが、吉田さんが時に涙ぐむことがあります。
家族の話をする時です。
周囲の人ともさまざまな確執がありましたが、この半年、吉田さんといろいろと話しているうちに気持ちが和らいできたのが伝わってきます。
しかし、思いを変えられないのが、やはり家族への思いのようです。

家族との絆という言葉がありますが、そこには愛憎がひしめきあっています。
もちろん吉田さんは、いまも家族を心から愛しています。
それはよくわかります。
だから時に涙ぐみ、時に怒りを見せます。

吉田さんと話していて、いつも感じます。
社会に向けての行動に、吉田さんをせきたてているのは、きっと元奥さんの存在なのだと。
離婚後、吉田さんと奥さんがどういう関係にあるかはともかく、間違いなくいまの吉田さんの意識の後ろには、別れた奥さんが存在しています。

こんなことを書いたのは、私がなぜこの頃、動けないのだろうと考えていたからです。
生きる拠り所だった節子が、彼岸に行ってしまったことと無縁ではないでしょう。

彼岸はやはり遠い。
この頃、そう思えて仕方がありません。
もし愛する人がまだ此岸にいるのであれば、それを大切にしなければいけません。
私からすれば、そのことに気づかない人が多すぎます。

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■消費しないでもいいのだ

連休になって、観光地にようやく観光客が戻ってきたといいます。
大震災後、自粛ムードが広がりましたが、その後、反自粛ムードも出てきました。
普段と同じ生活をするのが一番の被災者支援という話もあります。
ライフスタイルを変えなければという議論の一方で、急にライフスタイルを変えたら経済がますます縮小し、被災地支援さえできなくなるという議論もあります。
実際に、すでに経済は縮小の動きもあり、私の周辺でも問題はいろいろと起きています。
悩ましい問題だと思いますが、私にはそうした「べき論」はあまり興味がありません。
議論などするよりも行動すればいいだけの話ですし、そもそも大震災があったからといって変えるような生活態度はまたすぐに戻るでしょう。

しかし、そうした「べき論」とは別に、みんながあることに気づきだしたのではないかという気がしています。
その「あること」とは、消費しなくてもいいのだという気づきです。
客が来た割には財布の紐が硬かったという話も少なくありません。

「消費は美徳」キャンペーンをきっかけに、私たちは消費もまた経済成長のための義務だという意識を植えつけられてきました。
私のような反経済成長主義者でも、そうした文化からは自由ではなく、新製品だというとついつい買ってしまってきました。
「消費は美徳」キャンペーン、消費こそが経済を成長させるということの行き着く先は、リーマンショックになる前のアメリカのカード社会です。
そこでは、消費者自身が、消耗品として浪費されたといってもいいでしょう。
会社では労働者として、社会では消費者として消耗させられていたのです。
私たちは、生産活動と消費活動を対比的に捉えていますが、昔、「脱構築する企業経営」という連載記事で雑誌に書かせてもらいましたが、視点をちょっと変えれば、生産と消費は同じことなのです。

私たちは経済成長を持続させるために、消費しなければいけないという強迫観念を植え付けられているように思います。
最近はデフレ基調なので、消費を抑える作用が働いていますが、それでも「消費しなければ」という思いを、みんなどこかに持っているのです。
だから大震災で、「自粛」という大義名分を得た時には、実はホッとした人も少なくなかったように思います。
しかし、実に皮肉なことに、消費の自粛は経済成長を妨げます。
つまり消費の自粛は収入の減少につながるのです。
そして自粛はよくないというキャンペーンが始まりました。
ホッとする間もなく、またみんな市場に狩り出されました。
でもちょっとこれまでとは違うような気がします。
無理に消費しなくてもいいのだ、ということを実践しだしたのではないかという気がします。

ちなみに、私は自粛ムードには反対です。
矛盾していないかといわれそうですが、こういう時期にこそ消費は必要だと思うからです。
私の場合は、したがって「反自粛」ではなく、私の感覚ではむしろ「浪費」です。
被災者の生活を思いながらいつもよりも多く浪費し、被災者の経済が戻ってきたら、できるだけ消費しない、私にとっての日常的な生活に戻ります。
こういう暮らし方、つまりできるだけ物を買わない暮らしが増えていけば、経済成長率は低下するでしょうが、暮らしやすい社会になるように思います。
これを機に、消費から自由になり、逆に消費の主人になる生き方を志向することが必要になっているように思います。
消費者として生活するのではなく、生活者として消費したいものです。

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2011/05/06

■節子への挽歌1341:初ものを食べる時には東を向いて笑わないと

節子
めずらしいことが起こりました。
ユカがデザートにスイカを買ってきたのです。
スイカと言っても小さなスイカの、しかも半分だけですが。
早すぎる初ものは、わが家ではなかなか買いません。
まあ高いからですが、その文化は節子から娘たちへときっちりと伝わっています。
スイカはまだ早すぎると思っていたのですが、なぜかユカが買ってきました。
こういう時には必ず「節子だったら買ったかな」と言う話になります。
私たち夫婦には、それなりのルールはありましたが(たとえば早すぎる初ものは買わないもその一つです)、「ルールには縛られない」という実に便利なルールもありましたので、もしかしたら節子も買ってきたかもしれません。
何しろ被災地支援で野菜を食べなければいけません。
ちなみに、そのスイカは茨城県産ですが、茨城も風評被害で大変なのです。

早速、節子にお供えしました。
そうしたら娘がいいました。
お母さんが、初ものを食べたら、東を向いて笑わないとだめだよと言っていたね。
こんなふうにして、わが家では時々、節子が今でも登場します。

節子の叔母が京都にいました。
私も何回か節子と一緒に、その叔母さんの家に行きました。
京都の家らしく、行儀作法にうるさいようでした。
私も節子も、若い頃は形重視の行儀作法にどちらかといえば反発していましたから、その家は苦手でした。
叔母も叔父もとても良い人でしたが、いささか時代に反発していた私と、その私を選んで、きちんとした結婚式もあげなかった節子には厳しかったのです。
世間に反発していた私と躾にうるさい叔母叔父の間に立って、節子は苦労していたのでしょう。
叔母の家に行く時には、節子は私のいろいろと注文をつけていましたから。

「初ものは東を向いて笑って食べる」というのは、京都の文化だそうです。
もしかしたら、これも京都の叔母から習ったことかもしれません。
笑いはともかく、旬のものを最初に食べるときは、太陽が昇ってくる東を向いて、太陽に感謝しながら食べるという意味のようです。
節子は、娘たちが生まれてから、こういうことを言うようになったような気がします。
それまでは、私に話しても無駄だと思っていたのです。
しかし実際には、40歳を過ぎた頃から、私もそうしたことに関心が高まりました。
行儀作法の形の奥にある歴史や心が見えるようになったからです。
気づかせてくれたのは、本人は意識していなかったでしょうが、節子との暮らしです。

ちなみに、今日のスイカですが、何しろ小さくて一口でなくなってしまいましたが、甘くて美味しかったです。
しかし5月からスイカを食べるのはやはりちょっと気が引けます。
次に食べさせてもらえるのはたぶん7月に入ってからでしょう。
そういえば、節子もそうだったような気がします。
時々、予想しなかったものをかなり早目に食卓に出して、家族を喜ばす。
まあわがやの贅沢は、400円のスイカのレベルなのですが。

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■東北被災地応援にこんなアイデアはどうでしょうか

私のホームページで先月紹介した「隣人の時代」の著者の佐久間さんから、このブログの記事を自分のブログでも紹介したとメールが来ました。
佐久間さんは時々、ブログで私のことに言及してくださいます。
佐久間さんは社長という激職にもかかわらず、次々と本を出し、その上、ホームページやブログも毎日書き込んでいます。

最近、私のブログに言及してくれたのは、次の2つの記事でした。
「ビンラディン殺害」
「東電社長の土下座」
 
 
佐久間さんのブログはトラックバックを認めていないので、記事でご紹介します。
その一つ「東電社長の土下座」のなかに、こういう文章が出てきます。

「もう、福島での隣人祭りなどやめようか」とも思いました。

この文章から、佐久間さんが東北での隣人祭りを考えていることが伝わってきます。
これに関してはたぶん佐久間さんのブログで間もなく明らかになるでしょうから、私から言及するのはやめますが、この文章を読んでこんなことを思いつきました。

東北には今回の地震、津波、原発事故などで仕事を失った人がたくさんいます。
一方、東北にはボランティアがたくさん行ってもなお処理できないほどのたくさんの仕事があります。
前にも書きましたが、これをつなげればいいわけです。

それで東北被災地の人たちを東京電力が雇用します。
ボランティアがやっている仕事、あるいはボランティア活動を支援する仕事、さらには佐久間さんも構想しているらしい隣人祭りのような人のつながりの場づくりの仕事などを、東電が会社の仕事として受け持つのです。
東北の人が、いま求めているのはなんでしょうか。
仕事、地域の整備、希望、人のつながり、そうしたことでしょう。
少なくとも100万円の慰謝料ではないでしょう。
このアイデアを実現すれば、大きな問題解決にならないでしょうか。
名案だと思うのですが。
東京電力は採用してくれないでしょうか。

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2011/05/05

■節子への挽歌1340:「見知らぬわが町」

節子
久しぶりにテレビドラマを見ました。
NHK福岡放送局が昨年12月に放映した「見知らぬわが町」です。
今日、全国放映されたのです。
このドラマのことは、福岡の西川さんから昨年の放映時にお聞きしていました。
劇中にかなり重要な役割を果たすハーモニカ演奏を西川さんが指導されたのです。

舞台は福岡県大牟田市。かつて炭鉱で栄えた町です。
ドラマは次のように展開します。

主人公は16歳の高校一年生。不登校に悩んでいる。
夏休み最後の日、憂鬱な気分を振り払うかのように、自転車で町外れに出掛け、そこで目にした巨大な廃墟に不思議と心を奪われてしまう。
それは、この町の過去の象徴とも言うべき、炭鉱のヤグラだった。
それをきっかけにして、彼女はどんどん町の歴史にのめりこんでいく。
それと並行して、家族の過去が見えてくるのです。

詳しくはNHKのサイトを見て下さい。
サイトには制作エピソードなども出ていて、とても面白いです。

主人公は早くして母親を亡くしています。
それはストーリーとはあまり関係はありませんが、見ている私には大いに関係がありました。
妻がいなくなると、母親がいなくなると、家族は変調を来たします。
しかし、それもこのドラマにはあまり関係はないでしょう。
にもかかわらず、涙が出たのはなぜでしょうか。
恥ずかしながら中途半端な涙ではなく、一緒に見ていた娘の手前、嗚咽をこらえるのがやっとのほどでした。
これほどの涙は、節子と一緒に見たアンゲロプロスの『永遠と一日』以来です。

おそらくそこに描かれていた、3世代の家族の、それぞれの生活ぶりが、私の何かにひっかかったのです。
明らかなのは、いしだあゆみが演ずるおばあさん役を、節子が演じられなかったことです。
あるいは老夫婦の姿を私が演じられなかったことです。
一緒に、慎ましやかに老いていくのが私たちの夢でした。

テレビを見終わってからもう2時間以上たちますが、まだ涙が止まりません。
節子に会いたい、苦しいほどにそう思います。

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■東電社長の土下座

東電社長が被災地を回って謝罪している姿を見て、気持ちがまた暗くなりました。
土下座まで強要されているのを見たときは、とても悲しい気持ちになりました。
東北被災地を応援しようという気持ちは萎えました。
もちろんそうしたことは例外的なことなのでしょう。
被災地にボランティアに行った友人からは、東北人の高潔さに感動したというメールももらっていますし、私も基本的にはそう感じています。

被災地復興のために、私たち全員が応分の経済的負担をするのは当然のことだと思います。
そもそもこれまで私たちは「安価すぎる電力」の恩恵を受けてきたのです。
原発コストは社会的費用やライフサイクルコストを考慮しないで算出されたものです。
1970年代に、そうした議論は盛んにあり、原発コストは決して安くないという主張もありました。
しかしそれを無視して日本経済は、安くて安定した原発を選んだのです。
日本の経済発展は、したがって原発の恩恵を受けてきたといえるでしょう。
国民も当然その恩恵を受けてきたのです。
関西電力などが他人事と考えているようなのが不思議です。
明日はわが身なのではないかと思うのですが。

原発は安全だと言っていたではないかと清水社長に詰め寄る人もいます。
しかし原子力が安全などと思う人の気がしれません。
原子力爆弾のことを知らないわけはないでしょう。
同じ原子力、同じ放射線、それが無縁だと思うほうが、私には間違っていると思います。
そういう人たちは、きちんと子どもたちに原爆の体験を教えてきたのでしょうか。
テレビで、原発は安全だとPRするタレントやアナウンサーに、違和感を持ったことはないのでしょうか。
もしそうなら、そのことをこそ反省すべきです。
それがなければ、これからもまたそういう言葉を「利用」して生きていくでしょう。
それでは社会は変わりません。

いま大切なことは、誰が悪いかではなく、この事態をどう乗り越えていくかです。
言い争っている時ではないでしょう。
テレビの映像を見て、元気が出ることも多いですが、暗い気持ちになることも多いです。
テレビの報道のあり方に問題があるのかもしれませんが。

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■監察委員で八百長を封じ込めるという発想の蔓延

日本相撲協会が昨日、評議員会で八百長再発防止策を決めたと新聞に出ていました。
内容は、携帯電話持ち込み禁止、八百長の告発を受け付けるホットラインの設置、支度部屋と土俵近くに監察委員を置く、東西の支度部屋への出入り制限などです。
どこかおかしい気がします。
こうして私たちは、自らを規制する仕組みを発達させ、家畜化していくのでしょうか。
相撲協会には力士を信頼するという発想はないようです。
それでは何も解決しないでしょう。

ユッケで死者が出るという事件が起きています。
厚労省の生食用の肉の衛生基準やその強制力が問題になっていますが、この問題と相撲協会の対応の問題は、どこか似ているところがあります。

責任を制度に押し付けるという発想です。
ルールの中なら何をやってもいい。
昨今の企業のコンプライアンスの取り組み姿勢にもつながっていきます。

監視委員が取り締まらなければならないような状況がどういう意味を持っているのかを理事長は理解していないのでしょうか。

この例でも明確にわかるように、組織のトップの役割は大きいです。
もちろん政府においても、です。
こういう時期だからこそ、トップを考え直すべきだろうと思います。
能力以上のことを期待することは悲劇です。
誰のことを言っているのか、と言われそうですが、もちろん日本相撲協会も政府もです。

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2011/05/04

■節子への挽歌1339:またお風呂で寝てしまいました

節子
また湯ぶねで寝てしまいました。
最近こういうことが多く、そのうち、浴槽で溺死してしまうかもしれません。

今日は久しぶりに湯島に出ていましたが、来客続きで昼食を食べ損ないました。
その後も来客やら用事でばたばたしてしまい、帰宅したら死にそうなほど疲れてしまいました。
お風呂もやめて寝たかったのですが、娘が攻めて湯ぶねにつかるだけでもと言うので、入ったのですが、気がついたら寝ていました。
困ったものです。

私は一人で何かをするのが嫌いです。
話す相手がいないとだめなのです。
ですから、一人でレストランに入ることはまずありません。
お風呂も一人が好きではなく、節子がいた頃はいつも一緒でした。
だから一人でお風呂に入っても退屈で仕方がありません。
話し相手がいないことがどれほど退屈なことなのか。
沈黙が苦手なのです。

今日、午前中にお会いした人も私と同じで、沈黙が苦手な人です。
彼は、2人で話している場合、間が耐えられないので、ついつい余計なことを話してしまうといっていましたが、よくわかります。
余計なことを言うと、いろいろと問題を起こしかねません。
それもまたよくわかります。

節子との会話でも、余計なことを話して夫婦喧嘩になったことはよくありますが、喧嘩は要するに話し合いですから、私は好きでした。
しかし節子は好きではないようで、喧嘩すると口をきいてくれなくなるのです。
沈黙には弱い私は、そこでやむを得ずにすぐ謝ってしまっていました。

話がそれました。
お風呂の話でした。
昔、私が好奇心に任せてさまざまなプロジェクトに取り組んでいて、節子と話す時間があまり取れない時期がありました。
その頃の私たち夫婦の会話はお風呂でした。
お風呂では身体を洗うよりも会話だったのです。
そういう生活が長かったので、会話のない入浴は退屈で仕方がないのです。
会話できないお風呂の時間は退屈で、ついつい寝てしまうのです。

それだけではなく、お風呂で寝てしまうほどに疲れているのかもしれません。
生活のリズムが崩れると大したこともしていないのに疲れを感じます。
いや、大したことをしていないから疲れるのかもしれません。
明日はちょっと「大したこと」に挑戦してみましょう。
地震以来放置していた掃除に取りかかることにします。

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■「ガザのための交響楽団」

今朝のテレビで最初に見たニュースが、「ガザのための交響楽団」のニュースでした。
オバマのような暴力的な人(人の殺害を目標にし、その実現を喜ぶ人)をもいれば、自らが危険を冒して平和を示す人もいます。
そのあまりの対称性は、偶然とは思えません。
心がやすまります。

以前、ラマラのコンサートの話を書いたことがありますが、「イスラエル国籍を持つ世界的指揮者ダニエル・バレンボイム氏が3日、初めてパレスチナのガザ地区を訪問、この日に向けて欧州の音楽家で結成した「ガザのための交響楽団」の指揮を執り、子供ら約700人の聴衆から拍手喝采を浴びた」とヤフーのサイトに出ています。
記事を引用させてもらいます。

AFP通信によると、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などが演奏され、聴衆は静かに聴き入った。バレンボイム氏は「親愛なる友人よ、あなた方は何年もここに閉じ込められている。これこそわれわれがやって来た理由であり、世界の人々が心配していることを理解してもらえるだろう」と呼び掛けた。
AFPによれば、英語教師ファトマ・シャヒンさん(28)は「子供の心の中で何かが変化し、人を判断する前にちょっと考えるようになるのではないか」と話した。 

経済学者ケインズは、世界を支配するのは思想しかないといったそうですが、思想を変えるのは書物や教育からではなく、体験からです。
今回、コンサートを聴いた子どもたちの思想が結果をだすのは20年後かもしれませんが、間違いなく世界を変えていくでしょう。
人を殺しても、世界は変わりません。

ラマラのDVDを、もう一度観たくなりました。
DVDで観ても、とても感動的です。

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2011/05/03

■リンチの国

昨日から実に憂鬱です。
原因は、昨日報道された「オサマ・ビンラディン殺害」です。
オバマ大統領は、そのことを発表する演説で、「ビンラディン容疑者を拘束または殺害することが就任以来の最優先課題だった」とし、その殺害を「アルカイダ打倒の戦いの中で、最も大きな成果」と強調したそうです。
なんということでしょうか。
西部劇の保安官の演説かと耳を疑いました。
まだアメリカには、リンチの文化が残っているのでしょうか。
そうは思いたくありませんが、フセインの時にふと感じたことがやはり事実だったのかと愕然としました。
前にも書きましたが、オバマ大統領にはどうも信頼感を持てないでいましたが、改めて失望しました。
チェンジとは、何に向かってのチェンジだったのか。

実は、最近、このブログで誰かを悪く言うのはやめようと思っていた矢先です。
リンチをした人を批判するのもまた一種のリンチだと思い出したからです。
残念ながらその決意は3日で終わってしまいました。

中近東で起こっているデモの映像を見て思うことがあります。
若い女性たちが顔を見せて、銃器の前でもたじろがずに、しっかりと自己主張しています。
最近そういう映像を繰り返し見ているうちに、これまでの私のアラブやイスラム社会の知識の偏りに気づかされました。
学生の頃から中東の歴史やイスラム関係の書籍はそれなりに読んできたつもりでしたが、やはりどこかに埋め込まれた先入観から自由ではなかったのです。
若い女性たちの輝く目をみて、驚くようではどうしようもありません。

9.11事件の真相は、私にはわかりませんが、少なくともアメリカ政府の発表のいくつかが嘘だったことは明らかになってきています。
フセインの裁判をしっかりとやったら、もう少し真相は見えてきたのでしょうが、それを恐れてか、フセインもまたリンチのようにして「殺害」されました。
そして、ビンラディン。
これで頭を高くして眠れるようになったのは誰なのでしょうか。
「テロとの戦い」とは「テロの戦い」のことなのでしょうか。

リンチを続ける野蛮国のアメリカに依存しなければならない日本の国民であることが、実に憂鬱で、言いようのない怒りを感じます。

余計なことですが、ビリー・ザ・キッドよりも、パット・ギャレットが卑劣だったのではないかと私は学生の頃から思い続けていたことを思い出します。
「銀の星」(シェリフのバッジ)を笠に着た行動は、私にはどうも信頼できません。

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■節子への挽歌1338:生命とは強くてもろいもの

節子
庭の藤が満開です。
クマンバチがたくさん寄ってきています。
Fuji1105

節子がいなくなってから庭の手入れが行き届かず、かなりの花木を枯らせてしまいました。
私たちの思い出のある花木もだいぶ失われてしまいましたが、まあ生命あるものいつかは消えていくのですから、仕方がありません、などというと、節子がまた「相変わらず都合のいいように納得してしまうのね」と笑うでしょうが。
まあそこが私の良いとこなのです。

一昨年は「北斗七星」の形に咲いたナニワイバラは、今年はランダムにわっと咲いてしまいました。味も素っ気もありません。
自然は気ままでもあります。

昨年やっと復活してくれたサツキは芽を出してくれません。
油断していたら復活をやめてしまったようです。
節子が大事にしていた山野草もあんまり状況がよろしくありません。
自然と付き合うのは大変です。

生命とは強くてもろいものです。
植物と付き合っていると、それがよくわかります。
そして、節子もそうでした。
3月の東日本大震災で被災した人たちの報道を見ていても、そう思うことがよくあります。
いえ、それよりも、私自身がまさに「強くてもろい」存在であることを最近は痛感しています。

さて今日も、庭や室内の花に水をやりましょう。
水をやりすぎて枯らしたランや、水が不足して枯らしたパピルスなど、わが家の植物はだんだん少なくなってきていますが、今年は増えるようにもう少し誠意を持とうと思います。
節子は、たぶん信じてはいないでしょうが。

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2011/05/02

■節子への挽歌1337:イザナキかオルフェか

愛する人を冥界まで探しに行った話で有名なのが、日本のイザナキとギリシア神話のオルフェウスです。
これについては、この挽歌でも何回か書きました。
この両者はよく似ているといわれますが、実は全く違います。
最近、ようやくこの挽歌でも「死」と言う言葉を使えるようになったので、書くことにします。

イザナキもオルフェウスはルールを破ったために愛する人を現世に連れてこられませんでした。
そこまでは一緒ですが、そこからが違います。
オルフェウスは、その後も愛する妻を思い続けます。
しかしイザナキは、冥界の妻の姿を見てしまってからは、妻から逃げようとするのです。
そこからの話は「死霊との闘い」です。
そしてそこに端を発したせいか、いまも日本では死者を送った後は自らを塩で清めます。
このあたりのことは、工藤隆さんの「古事記の起源」(中公新書)にわかりやすく書かれています。

私は節子を見送るまで、死者への恐れがとても強く、墓地にもあまり行くことができませんでした。
墓地から伝わってくる冥界のエネルギーを素直に受け容れられなかったのです。
ところが、節子を送った後、そういう恐れがなくなりました。
節子を送った直後は、異常なまでになくなりました。
父母の時とはまったく違いました。
薄暗い、だれもいないがらんとした真夜中の葬儀室に、遺体と2人だけでいるなどということは、それまでの私にはとてもできなかったでしょう。
愛する人の死を体験すると、人は冥界に関する捉え方が変わってしまうような気がします。

工藤隆さんの本によれば、古代人はそもそも死を恐れるものだったようです。
だからこそ篤く弔い、埋葬するわけです。
そうしないと祟られるかもしれません。
墓石は冥界との入り口をふさぐものかもしれません。
オルフェウスのように、冥界を恐れないのは知性が生み出した物語だと工藤さんは言います。
納得できるような気もしますが、違和感がないわけでもありません。
ネアンデルタール人が、死者に花束を供えていたことは有名ですが、そこに感ずるのは冥界との往来の思想です。
むしろ知性が冥界との通路を閉ざすために、死霊や地獄の思想を生み出したようにも思われます。
彼岸や天国の思想は、それへの反論です。

イザナキかオルフェかと問われれば、私はオルフェ的な生き方をしています。
今もなお、おろおろしながら、生きているわけです。

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■読者から届いた1冊の本

ホームページやブログをやっていると、いろいろな出会いがあります。
フェイスブックとはまた違った出会いです。

ホームページ(CWSコモンズ)に書いたのですが、先週、オフィスに1冊の本が届いていました。
郵送ではなく、直接届けてくださったのです。
郵送は時々ありますが、直接届けてくれた人は初めてです。
しかし、残念ながら私は不在でしたので、ポストに本とメモが残っていました。

本は安田好弘弁護士が書いた「死刑弁護人」です。
ホームページに少し詳しく書きましたが、私のブログの「光市母子殺害事件」記事に対してのアドバイスが、本を届けてくれた目的のようです。
マスコミ報道やネット情報だけでは偏っているとアドバイスしてくれました。
安田弁護士は光市母子殺害事件の弁護士です。
私は、ブログで感情的に安田弁護士を批判しています。

自分で書いたブログ記事を読み直してみました。
品格を欠く文章で、恥ずかしい限りですが、そもそもこのブログは、感情をできるだけそのまま書くことを心がけていますので、仕方ありません。
その時は、そう思ったのです。
私が大切にしているのは、いつも「その時の気持ち」です。
気持ちは時間と共にどんどん変わりますが、ツイッターのように、その時の気持ちを書いておくことが、私には大切なのです。
間違った自分、取り繕わない自分、そうした中にこそ、私がいるような気がするからです。
一度だけの人生ならば、できるだけ私の人生を生きたいからです。

「死刑弁護人」の序章は、光市母子殺害事件の安田弁護士からの報告でした。
特に新しい発見はありませんでしたが、安田弁護士の姿勢は少し理解できました。
残念なのは、もししっかりと真相を伝えたいのであれば、個人プレイではなく、制度的な対応をすべきだったと思います。
そうしたことのために日弁連はあるのだろうと思います。

わざわざこの本を届けてもらったのに、私の考えは変わりませんでした。
本を届けてくださった方に、そのことをお伝えしたいのですが、メモに書いてあったアドレスにメールしても戻ってきてしまいました。
もしかして、このブログを読んでもらえるかもしれないと思い、あえて記事にさせてもらいました。

ちなみに、フォーラム90の機関誌も同封されていましたから、その方は死刑制度反対の取り組まれているようです。
私も死刑制度は反対ですから、そうした活動には参加してもいいと思っていますが、残念ながら安田弁護士たちのやり方には参加できない気がします。
それに、死刑制度だけではなく、いまの司法のあり方を変えなければいけないと思っています。
司法改革は、裁判官のためでも弁護士のためでも検察官のためでもなく、誠実に生きている人たちのためのもの、平安な社会のためでなくてはいけません。
私にとっては、裁判官も検察官も弁護士も、みんな同じ仲間に見えます。
お互いに批判しあっている限り、司法改革は実現しないでしょう。
そんな気がします。

本を届けてくださったSさん、お会いできればと思っています。

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2011/05/01

■地方議員の役割

私は現在のような状況では、地方議会の議員は職業化すべきではなく、ボランタリーな意識に基づく市民活動にすべきではないかと思っていました。
もし職業化するのであれば、行政で何が行われているかを住民にしっかりと伝えるとともに、住民の生活や考えを行政にしっかりと反映させる役割にすべきではないかと思っていました。
しかし、残念ながら実際の地方議員は、あまり住民を見ていないような気がします。

しかし、一昨日、酒田市の佐藤丈晴さんという市議会議員の行動を聞かせてもらって、少し考えに変化がありました。
佐藤丈晴さんは、2009年に結成された全国災害ボランティア議員連盟のメンバーです。
この組織は、国・都道府県・市町村の災害ボランティア活動や防災に関心のある議員が、防災や減災、復興支援に関する調査研究を行い、それぞれの議会での活動に役立て、地域防災力の向上に資すことを目指して結成されたそうです。
佐藤丈晴さんは、今回の大震災の後、原発事故の陰になって救援が遅れがちだった福島県の被災地の支援に取り組んでいます。
フェイスブックで、その動きがわかるのですが、実に勢力的に、実践的に活動しています。

佐藤丈晴さんと知り合ったのは1年ほど前です。
私が取り組んでいるコムケア活動の「事業仕上げフォーラム」に参加してくださったのです。
そして一昨日の、東北応援コムケアサロンにも、わざわざ酒田市から参加してくれました。
佐藤丈晴さんといろいろとお話ししていて、市議会議員は自治体の横をつなぎながら、社会全体に大きな影響を与える役割が果たせるのだということに気づいたのです。
私はいままで議員が現場を見ずに、行政や上位の自治体、さらには国家の議員をみていることに批判的でした。
せめて市長をトップにした自治体政府と住民をつなぐ役割をしてほしいと思っていたのですが、そうした垂直軸ではなく、水平軸にこそ、地方議員の役割があるのかもしれないと思ったのです。
ネグリのマルチチュードを生かす役割と言えるかもしれません。
まさにこれから求められているのが、水平軸のネットワークです。

そうした視点で考えなおしてみると、新しい展望が開けそうです。
佐藤丈晴さんは、一昨日の集まりで、「誰が、ではなく、何を、が大切だ」と話していました。
とても共感できます。
マルチチュードのガバナンスのヒントが、そこにあるのかもしれません。

日本にも、まともな地方議員はいるのです。
我孫子市で付き合っている限り、そういう展望は持てませんでしたが、佐藤丈晴さんに会えて、これまでの先入観の呪縛を解くことができました。
我孫子の市議会議員には、どうしてこういう人がいないのでしょうか。
たぶん私も含めて我孫子市民の民度が低いのでしょう。
反省しなければいけません。

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