■ビジョンのない人の善意よりも、ビジョンのある人の悪意を
君が代訴訟に関するはじめての最高裁判決が出ました。
起立を命じる職務命令は「合憲」とされました。
公立学校の卒業式で「君が代」を斉唱するときに教諭を起立させる校長の職務命令をめぐる訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、命令は「思想・良心の自由」を保障した憲法19条には違反しないとの判断を初めて示した。そのうえで、自由を侵されたとして損害賠償などを求めていた元教諭側の上告を棄却した。(朝日新聞)大阪では国歌斉唱義務化の条例案が議論されていますが、この最高裁の判決は私には驚き以外のなにものでもありません。
日本はますます70年前に戻りだしている気がしてなりません。
大震災や原発事故の報道の陰で、じわじわと何かが進んでいるような気がします。
あえて顰蹙と批判をおそれずにいえば、大震災はそれに利用されているような気もします。
国民の意識も、「日本はひとつ」の雰囲気の中で、一つの方向に向けられています。
スポーツ選手やタレントは、その動きに、自らの利害を乗せて動いているようにさえ見えます。
ビジョンのない善意は、地獄に向かいかねません。
また手ひどい批判が届くでしょうが、あえて書いてしまいました。
強制しなければいけないほどに、日本の国歌や国旗は魅力がないのでしょうか。
魅力がなければ、その魅力を高めるようにするのが、為政者の役割です。
自らを正さずして、何を正すのか。
発想の方向が反対のような気がします。
また政府主導で、いわゆるコンピュータ監視法なるものも審議に入っています。
表面的には最近問題になっているコンピュータウィルス対策ですが、以前問題になっていた共謀罪につながるものだろうと思います。
名前の付け方一つで、人は簡単に騙されます。
これも「はじまり」のひとつかもしれません。
先日、ネットに詳しい人と話していたら、佐藤さんのネット行動はその気になれば完全に把握できるようになっているはずですと話してくれました。
幸いに私の場合は、「その気になる」対象ではないのですが、まさにそうした時代なのです。
情報社会とは「情報管理社会」であり、クラウド化とは私たち一人ひとりが制度に依存して、そのなかでの情報活動だけができる状況なのかもしれません。
少し遅れましたが、まさにジョージ・オーウェルの「1984年」の世界です。
ショック・ドクトリンのことは以前も書きましたが、毎日テレビでわけのわからない原発情報に触れさせて、みんなが怯えている間に、何かが着々と進行している。
そんな気がしてなりません。
それを可視化するためにも、小沢一郎に再登場して欲しいと思っています。
ビジョンのない人の善意よりも、ビジョンのある人の悪意を、私は歓迎します。
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