■節子への挽歌1357:ホッとする空間
私のオフィスは湯島にあります。
ワンルームマンションの一室です。
部屋の真ん中にテーブルがあり、15人ほどであれば話し合いの場がもてます。
平成元年の8月から続いています。
実にいろいろな人がやってきました。
大学教授から予備校生、上場企業の社長からリストラにあった現場作業者、社会起業家やNPO関係者、国会議員から地方議員、大都市の市長から職員、公安警察の人から麻薬常習者、殺人課の警察官も来ました。右翼も来ましたし、革命家も来ました。
自殺未遂者も僧侶も、写真家も作家も、キャリア官僚も、著名な財界人も来ました。
デザイナーも芸術家も、百姓も靴職人も霊能者も行者も、渋沢栄一のひ孫も来ましたし、だれかの生まれ変わりだという人も来ました。
書いていくときりがないですね。
そうそう、今もお付き合いのある「元やくざ」の人もいます。
さらには、私の前世の友人も来ました。
いろんな人と一緒に、いろんな話も来ます。
M資金の話もあれば、生活保護の話も夫婦関係や親子関係の相談、25億円の遺産の寄付の話し、生きるための3万円の工面から6億円の仕事の相談までさまざまな相談も来ます。
オフィスは小さな1室ですが、実にさまざまなものがつまっています。
これだけさまざまな人が座ったことのある部屋は、そう多くはないでしょう。
会社を辞めた時、私が実現したかったのは、誰もがそこにいくとホッとできる空間です。
みんなに開かれていて、だれもがそこにある珈琲を飲める空間です。
そこではだれもが一人の人間として、楽しく話し合える空間です。
疲れたらそこに来るとちょっとだけ元気になれる空間です。
困ったらそこに行くと何とか先が見えてくる空間です。
死にたくなってもそこに行くと生きたくなってしまう空間です。
病気になってもそこにいくとみんなと同じだと思える空間です。
そんな空間をつくりたかったのですが、23年もたったのに実現できませんでした。
数年前に、一緒にその夢に取り組んでいた妻を病気で見送りました。
妻は、常識人でしたから、あまりにもいろんな人が来るので、最初は混乱しました。
オフィスに行くのを嫌がったこともあります。
しかし節子がいたおかげで、もしかしたらビジネス空間とは違った雰囲気が生まれ、そのおかげでいろんな人が素直に自分を開いてくれたのかもしれません。
ある会社の社長は、節子にとてもほれ込んでくれて、いつもお土産まで持ってきてくれました。
会うたびに、いつも節子をほめてくれました。
節子がいなくなって、オフィスを閉めようと思いました。
あまりにも思い出がつまっているからです。
しかし、結局、閉められませんでした。
閉めようと思った理由と閉めなかった理由は同じです。
閉めませんでしたが、夢は忘れました。
最近、またそのオフィスに通いだしました。
私だけではなく、またいろんな人が来てくれるようになりました。
今日は2つのサロンを開催したのですが、20人を越える人たちが来てくれました。
サロンで話を聞きながら、このオフィスをどういう空間にしようと思っていたかを、久しぶりに思いだしました。
もしかしたら、ちょっとだけ夢に描いていた空間になっているかもしれないと思いました。
サロンが終わったら、参加してくれた人たちがみんなで片づけをし、食器を洗い、きれいにしてくれました。
急に、このオフィスでホッとしてくれる人がいるかもしれないという気がしました。
とても幸せになりました。
どこかに節子がいるような気がしました。
| 固定リンク
「妻への挽歌07」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1400:世界で一番孤独な部屋には「孤独」はない(2011.07.03)
- ■節子への挽歌1399:そうだ 奈良にいこう(2011.07.02)
- ■節子への挽歌1398:消えてしまった老後(2011.07.01)
- ■節子への挽歌1397:暑い夏の夜は嫌いです(2011.06.30)
コメント