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2011/05/24

■節子への挽歌1360:常懐悲感 心遂醒悟

仏教話ついでにもう一つ思いだした言葉を書くことにします。
「常懐悲感 心遂醒悟」
法華経寿量品にある言葉です。
東日本大震災以来、時々、心に浮かぶ言葉です。

30代の頃、仏教関係の入門書をかなり読んだ時期があります。
特に悩みがあったからではなく、単に知識としての興味からです。
しかし、それでも記憶に残るものはあります。
節子の病いと共にあった4年、さらに節子を見送ってからの3年、この言葉がようやく理解できてきた気がします。

「常懐悲感 心遂醒悟」
「じょうえひかん しんすいしょうご」と読みます。
常に悲感を懐けば心は遂に醒悟せり。
つまり、人は悲しみを持つことによって、心は澄んでくる、というような意味でしょうか。
悲しみが、人を目覚めさせてくれるのです。

私はあまり苦労のない人生を送ってきました。
悲観したことがないわけではありません。
節子に会う前にかなり派手な失恋も体験しました。
数日間、独身寮の一室にこもっていたこともあります。
まあよくある話ですが、ある日、窓を開けたら、きれいな花が咲いていました。
花の美しさを本当に知ったのは、その時かもしれません。
その少し後に、節子に出会いました。

しかし、概して私の人生は退屈でした。
思うように進むことが多かったのです。
そして節子との別れ。
全く信じられないことでした。
悲しみが一挙に心身を包みこみ、半年ほどは、たぶんかなり異常を来たしていたはずです。
娘たちとさえ、うまく付き合えなかったほどです。

しかし次第に、まさに「心が目覚める」ように、自らのではない悲しみが見えるようになってきた気がします。
節子の悲しみさえ十分見えなかったのに、いまは多くの悲しみが感じられるようになったのです。
心が澄んできたかどうかはわかりません。
でも昨日、数年前から私のところによく来る人が、佐藤さんの周りにはいい人ばかりだと言ってくれました。
いい人ばかりに取り囲まれていたら、私もきっと心が澄んでくるでしょう。
悲しみに感謝しなければいけません。

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妻への挽歌07」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

私の夫は、魂の格が私より随分高い人だったと思っています。
夫は若くして両親を亡くしました。
一方、私のほうは、恵まれた環境で甘やかされて育ちました。

夫と私の問題を話していたときに、夫が「誰か本当に大事な人を亡くしたときに、あなたも変わるかもね」と言ったことがありました。

まだまだ悲しみに感謝するような気持ちにはなれませんが・・・・

投稿: まな | 2011/05/24 20:01

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