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2011/05/12

■節子への挽歌1347:苦悩する人間から愛する人間へ

節子
昨日は風邪気味なのに約束があるために湯島に出かけました。
それですっかり調子を狂わせてしまいました。
それで挽歌を書く気力もなく、昨夜は早々と寝てしまいました。
折角、表題の番号と節子のいない世界になってからの日数とを一致させようと努力しているのですが、また1日ずれてしまいました。
今日はがんばって2つ書こうと思いますが、まだ頭がぼんやりしていて、書くことかどうか心配です。
実のところ、最近、あまり社会活動をしていないのです。
社会に関わるような活動をしていないとなかなか思考の世界も広がりません。
脳の内外の世界がつながっていることは、こうした体験から良くわかります。
行動と思考はそれぞれを支えあっているのです。
行動していないと挽歌や時評もなかなか書けません。

ところで、一昨日から心にひっかかっていることがあります。
朝日新聞に連載されている「人・脈・記 生きること」の13回目のタイトルは「愛する人間に変わった」でした。
「夜と霧」の著者、ビクトール・フランクルの話です。
彼はアウシュビッツで、妻と両親、そして兄までも失っています。
生きる意欲をなくすまでに悲しんでいた彼を、よみがえらせたのは、再婚することになるエリーでした。
そして、ビクトール・フランクルは「愛する人間」に変わったのというのが、その記事の内容です。
フランクル夫妻の伝記の中に、ビクトールのメッセージが出てくるそうです。 

「エリーへ あなたは、苦悩する人間を愛する人に変えてくれました」
なぜビクトールは、悲しみや苦悩から解放されたのか。
2人が出会ったころ、食べることも忘れて語りあったそうですが、語り尽くしたビクトールがこう語ったというのです。
「もうこれで話した。すべて終わりだ」
私の心にひっかかっているのは、この言葉なのです。
すべて話してしまえば、終わりになるのか。
もしそうならば、私なら話したくないと思ったのです。
しかし、その一方で、すべて話したいとも思ったのです。

まあこんなつまらないことを、この2日間ボーっとしながら、考えるでもなく考えていたわけです。
そして、いつものように、同じ結論に達しました。
悲しみも苦悩も、愛することも、みんな結局は同じことなのだと。
ビクトール・フランクルは、それに気づいたのです。

「夜と霧」は最近、池田香代子さんによって新約が出されたところです。
ちなみに、池田さんは最近話題の浜岡原発の停止を呼びかけてきている人でもあります。
その池田さんが新約されたというので、再読してみようかと思っていたところです。
いえ、正確には再読ではありません。とても読了できなかった本の1冊です。
いまならもしかしたら最後まで読めるかもしれません。

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