■節子への挽歌1341:初ものを食べる時には東を向いて笑わないと
節子
めずらしいことが起こりました。
ユカがデザートにスイカを買ってきたのです。
スイカと言っても小さなスイカの、しかも半分だけですが。
早すぎる初ものは、わが家ではなかなか買いません。
まあ高いからですが、その文化は節子から娘たちへときっちりと伝わっています。
スイカはまだ早すぎると思っていたのですが、なぜかユカが買ってきました。
こういう時には必ず「節子だったら買ったかな」と言う話になります。
私たち夫婦には、それなりのルールはありましたが(たとえば早すぎる初ものは買わないもその一つです)、「ルールには縛られない」という実に便利なルールもありましたので、もしかしたら節子も買ってきたかもしれません。
何しろ被災地支援で野菜を食べなければいけません。
ちなみに、そのスイカは茨城県産ですが、茨城も風評被害で大変なのです。
早速、節子にお供えしました。
そうしたら娘がいいました。
お母さんが、初ものを食べたら、東を向いて笑わないとだめだよと言っていたね。
こんなふうにして、わが家では時々、節子が今でも登場します。
節子の叔母が京都にいました。
私も何回か節子と一緒に、その叔母さんの家に行きました。
京都の家らしく、行儀作法にうるさいようでした。
私も節子も、若い頃は形重視の行儀作法にどちらかといえば反発していましたから、その家は苦手でした。
叔母も叔父もとても良い人でしたが、いささか時代に反発していた私と、その私を選んで、きちんとした結婚式もあげなかった節子には厳しかったのです。
世間に反発していた私と躾にうるさい叔母叔父の間に立って、節子は苦労していたのでしょう。
叔母の家に行く時には、節子は私のいろいろと注文をつけていましたから。
「初ものは東を向いて笑って食べる」というのは、京都の文化だそうです。
もしかしたら、これも京都の叔母から習ったことかもしれません。
笑いはともかく、旬のものを最初に食べるときは、太陽が昇ってくる東を向いて、太陽に感謝しながら食べるという意味のようです。
節子は、娘たちが生まれてから、こういうことを言うようになったような気がします。
それまでは、私に話しても無駄だと思っていたのです。
しかし実際には、40歳を過ぎた頃から、私もそうしたことに関心が高まりました。
行儀作法の形の奥にある歴史や心が見えるようになったからです。
気づかせてくれたのは、本人は意識していなかったでしょうが、節子との暮らしです。
ちなみに、今日のスイカですが、何しろ小さくて一口でなくなってしまいましたが、甘くて美味しかったです。
しかし5月からスイカを食べるのはやはりちょっと気が引けます。
次に食べさせてもらえるのはたぶん7月に入ってからでしょう。
そういえば、節子もそうだったような気がします。
時々、予想しなかったものをかなり早目に食卓に出して、家族を喜ばす。
まあわがやの贅沢は、400円のスイカのレベルなのですが。
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