■節子への挽歌1361:黒岩さんが西日本新聞に出稿しました
節子
黒岩比佐子さんが生前に書いていた文章が、今月の西日本新聞に10回連載されました。
藤原さんがその記事を送ってきてくれました。
読み出しましたが、やはりなかなか読めるものではありません。
黒岩さんが、この原稿を書いていたころのことがよくわかるからです。
当時、彼女から送られてくるメールに対して、無理はしないほうがいいよ、とは決していえませんでした。
彼女は、寝食も忘れて書くことで希望が見えていたのです。
それが痛いほど伝わってくるので、むしろ過酷なほどの無理を応援していました。
ですから、そこに何が書かれているかも、読まなくてもだいたいわかるような気もします。
現世にいなくなった親しい人が、こうしてライブに登場してくるのを体験すると頭がちょっと混乱することもあります。
節子の場合は、毎朝、いたはずのところにいないので、毎日、その不在を確認できますが、そうでない場合は、ついついその不在を失念することも少なくありません。
黒岩さんも、なんだか今も、突然に訪ねてくるような気がしてなりません。
親しい友人が亡くなっても、その時はとても寂しく悲しいのですが、少し時間がたつとあまり感じなくなることがほとんどです。
とても親しかったのに、まったくと言っていいほど悲しくなかった友人もいます。
若い頃、北欧でヒッピー生活をしていた彼は、生前から生とか死には頓着していなかったのです。
私が心から好きだった友人の一人でもありますが、直接会うことはだんだんなくなっていました。
合わなくてもいいほどに親しい関係というのもあるような気がします。
そのせいか、彼の訃報を聞いた時は、衝撃的なショックは受けましたが、不思議なほど悲しくはありませんでした。
しかし、どうしても葬儀には行けずに、今もなお、彼の死を自らの眼では確認していません。
ですから、私の中では彼はまだ生きていて、私たちの関係はあまり変わってはいないのです。
どれだけ一緒にいる時間があったかで、悲しみは決まるのかもしれません。
節子と一緒にいる時間はたくさんありました。
特に闘病生活に入ってからは、ほぼすべての時間が節子とともにありました。
だから、節子がいなくなった後の喪失感は大きかったのです。
闘病を共に続けた夫婦は、とてもつらいものです。
毎月開催している自殺問題をテーマにした交流会で、先週、医師の人がご自分の患者の自殺を止められなかった経験を話してくれました。
流れの中で話し出してしまったのだと思いますが、途中、声が詰まって話せなくなりました。
聴いている私も、頭が真っ白になり、その人が何を話したのか、今はもう全く思い出せないのですが、「大きな喪失感」という言葉だけが今も頭に残っています。
この挽歌でも書いたことがありますが、「喪失感」の大きさは、言葉では表現できません。
以前はたぶん「対象喪失」と書いたかと思いますが、実際には自らが喪失する感じなのです。
また書いているうちに、思いが飛び回って、支離滅裂な文章になってしまいました。
書き出した時に思っていたのは、その人が生きていると思えば、みんな生き出してくるではないかということでした。
黒岩さんが生きているとしたら、節子もどこかに生きていると思えばいいのだ、という、これまたおかしなことを書こうとしていたのです。
死者と現世で会うこともある。
私はそう信じているのです。
しかし、今となって思えば、節子の葬儀に出たのは失敗でした。
| 固定リンク
「妻への挽歌07」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1400:世界で一番孤独な部屋には「孤独」はない(2011.07.03)
- ■節子への挽歌1399:そうだ 奈良にいこう(2011.07.02)
- ■節子への挽歌1398:消えてしまった老後(2011.07.01)
- ■節子への挽歌1397:暑い夏の夜は嫌いです(2011.06.30)
コメント
先日、亡くなった母が、生前元気だった頃、私に言い残していた言葉があります。それは母の親友、由紀子さん(仮称)には、病気のことも亡くなったことも、すぐには知らせないで欲しいということです。母と由紀子さんが共に過ごした時期は母が結婚する前の2年くらいです。あとはずっと遠く離れていて、それでも親友と呼び合う間柄でした。「由紀子ちゃんを悲しませたくない。生きていると思えば、今まで通り、これからもずっと大事な友達として存在し続けることができるんだから・・・。お母さんが死んで、落ち着いた頃に、あなたから由紀子ちゃんにお母さんの意思を伝えて欲しい」母は、由紀子さんには、死んだ証みたいだから何も残したくない、と言って手紙も残さず、全てを私に任せて逝ってしまいました。佐藤さん。私はどうしたらいいでしょう。由紀子さんに会いに行こうか、私から手紙を書こうか、いつ、どんな手段で最初の知らせをするべきなのか、とても悩んでいます。
投稿: 埋田 | 2011/05/27 15:08
埋田さん
埋田さんの悩みは、いつも難しいです。
少し考えなければ答えられませんが、考えると小賢しい案しか出てこないでしょう。
直感的な回答です。
私なら、母と自分と連名で手紙を出します。
明るく楽しい手紙ですが。
お客さんが来ました。
また改めて。
投稿: 佐藤修 | 2011/05/27 18:22
佐藤さん。名案をありがとうございます。佐藤さんにお訊ねしてみて本当によかった。連名で手紙を書くとこにします。亡くなった母の今の思いは、私が通訳しようと思います。「由紀子ちゃんへ」と母が彼女を呼んでいたように、母の口調で、そのまま書こうと思います。母の心を想像すると悲しい訳ではないのに涙が出てきます。母の心と私の心が同化するようです。由紀子さんとは全く面識のない私ですが、由紀子さんへの愛しさで胸がいっぱいになります。母が心から愛した大切な親友を、悲しませたくありません。明るい手紙を書こうと思います。ありがとうございました。
投稿: 埋田 | 2011/05/28 11:03
埋田さん
明るい手紙は書けましたか。なかなか書けませんよね。
投稿: 佐藤修 | 2011/06/23 18:38